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目からビーム!104 貴婦人ギヨティーヌとパリ紳士

 昨年(2021年)12月21日、法務大臣から3人の死刑囚の刑執行が発表された。その直後、例によってフランス大使館は抗議の声明を発している。要するに死刑のような非人道的なことを日本はやめよということである。
 どんな凶悪犯でも可能な限り警察官が丸腰で対処し、逮捕後の処遇は司法にゆだね、たとえ死刑の判決を受けても正当な理由あれば、再審請求もできるのがわが国である。スーパーに立てこもったテロリストを有無もいわさず射殺する国とはたしてどちらが人道的で人命尊重意識が高いといえるだろうか。
 フランスはなぜそこまでよそ様の死刑制度に口を出したがるのだ。革命で60万人の首を切り落としたという過去の負い目がそうさせるのか。それとも悪名高い魔女狩り時代の反省か。いうまでもなく、日本にはそんな黒歴史はない。
 フランスが死刑を廃止したのは1981年で、僕の感覚からすれば、さほど遠い過去でもない。処刑方法は革命以来の伝統でありフランスの象徴でもあるギロチンである。松田聖子が『青い珊瑚礁』を歌っていたころはまだギロチンも現役だったのだ(実際のギロチン刑は1977年が最後)。そればかりか、1939年までは死刑は公開で、死刑見物は庶民の貴重な娯楽のひとつだったらしい。
 死刑執行人は世襲で、ムシュー・ド・パリ(パリ紳士)monsier de parisという粋な愛称で呼ばれていた。仕事道具のギロチンはムシュー・ド・パリの私物だそうで、山田浅右衛門にとっての同田貫のようなものだ。ちなみに、ギロチンを仏語風に発音すればギヨティーヌgillotine。どこか貴婦人を思わせる響きがある。女性名詞である。
 フランス最後の死刑執行人を取材した動画を観たことがある。「引退したがね、今でもときどきこいつを研いでやらないと寂しいんだよ」といわんばかりに老人が取り出したギロチンの刃は鏡のように輝いていた。まさにマエストロ(親方職人)の風情であった。
 フランス大使館によれば、死刑に犯罪抑止効果はないとのことだが、本当だろうか。現に、80年代に入って、フランスでは凶悪犯罪増加を受け「ギロチン復活」を望む庶民のデモも起こっている。犯罪も増え、それに合わせて現場処理(警官による射殺)も増えただけ、というのが実情なのではないか。これは穿ち過ぎかな?

歴史上、もっとも著名なムシュー・ド・パリといえば、革命当時その任にあったシャルル・アンリ・サンソンだろう。ルイ16世、王妃アントワネットほか、エリザベート、ロベス・ピエール、デュ・バリー夫人(なんと若いころ、サンソンと恋人でもあった)、その他無数の貴族が、彼のギロチンの露となった。生涯で彼が斬り落とした首は2700を超えるという。
そが名はギヨティーヌ。台座にはElle attend le coupable(彼女は罪人を待ってる)の文字。斬り落としやすいように刃を斜めにするアイディアはルイ16世によるもの(なんという皮肉)。サンソン自身は、王を大変尊敬していたという。ギロチン登場以前は、処刑人が斧で首を切断していた。

初出・八重山日報


(追記)映画『暗黒街のふたり』(73)で、現代のギロチン刑が描かれている。アラン・ドロンは仮出獄後、更正を誓ってまじめに働く元銀行強盗。ジャン・ギャバンは彼を優しく見守る保護司。そして理不尽な結末が…。
ギャバン&ドロン3度目、そして最後の共演作となった。監督・脚本のジョセ・ジョバンニは冒険小説の作家(『冒険者たち』の原作が有名)としても知られるが、実は元マフィアの下っ端という経歴の持ち主で、自身も脱獄の刑で死刑を求刑された経験(フランスでは脱獄の罪は非常に重いらしい)がある。 

 死刑までの様子をリアルに淡々と描いた作品といえば、この他に大島渚監督の『絞死刑』(1968年)、水島総監督『南京の真実・第一部~七人の死刑囚』(2008年)がまっさきに浮かぶが。

おまけ 今もこの曲を聴くと、ギロチンという言葉が頭をよぎる。いや、ギロチンという言葉を聞くと、この歌を口ずさんでしまうというのが正解か。聖子はやはり歌が上手い。


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