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2月28日の虐殺

 僕が台湾二二八事件とそれに続く白色テロについて知ったのは、20年ほど前で、感覚的にはそんな古い話ではない。もっとも、台湾でも長い間語られることがタブーとされ、戦後生まれの中には知らない人も多かったようだ。
 二二八事件とは、昭和27年(1947年)2月28日夜半、国民党政府の圧政に怒った台湾市民の蜂起と、それを鎮圧するために送り込まれた軍による虐殺のことである。
以後、国民党政府は戒厳令を布き、台湾人を弾圧、日本統治時代の高等教育を受け、将来の台湾を背負っていくべき若きインテリたちをことごとく政治犯として牢獄に送って処刑した。これが白色テロといわれる。
司馬遼太郎は「台湾の悲劇は、支配する者(中国人)よりも支配される者(台湾人)の方が民度が高かったことによって生まれた」としている。

戒厳令が解除されるのは1987年。38年間の戒厳令は世界最長だそうだ。
二二八事件と白色テロの時代を扱った初めての映画、侯孝賢監督の『非情城市』の公開は1989年。侯孝賢はまさに二二八事件の起こった1947年の生まれ。彼自身は、広東省生まれの外省人。ある意味、この題材を選んだのは勇気あることだと思う。

▼怒った民衆の外省人狩り。外省人か本省人(台湾人)かを識別するために、日本語で話しかける。他に『君が代』を歌いあって確認する方法もあったらしい。主人公(トニー・レオンは、台湾人だが聾唖者なので、疑いをかけられてしまう。『非情城市』より。

▼日本ではもうほとんど歌われることのなくなった昭和7年の流行歌『幌馬車の唄』。台湾のお年寄りには特別な意味をもっている。白色テロで投獄された政治犯が、処刑所に連行される仲間を見送るときに歌った歌だそうだ。明日は、自分がこの歌で見送られるかもしれないという思いを込めて。『非情城市』でもそのシーンがあった。


▼今もお葬式などで歌われるようである。

▼二二八事件を再現。リアル過ぎて、下手な感想の言葉もでない。(台南)

坂井徳章(湯徳章)は実在した弁護士で日台ハーフ。恥ずかしながら僕もこの人のことは僕も知らなかった。今も台湾ではとても尊敬されている人だそうです。彼が銃殺された場所には胸像も建ち、記念公園もあるそうだ。下線にリンクあり。

坂井徳章(湯徳章)は子供用の絵本にもなっている。

▼当時を知る方の証言。


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