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わが青春、自販機エロ本の世界⑦

 群雄社を訪ねてみて驚いたのは、いわゆるエロ本出版社にありがちな、オヤジ臭さがまったくないところだった。社員も若かったし、事務所の壁もヤニで黄ばんいるということもなくラジカセからはロックが流れていた。『ガールハンター』の編集長は田中一策という人で当時25歳くらい。僕の持ち込み原稿を読んで一言、「おもろいね」と言ってくれた。この時書いた原稿、サザエさん一家のパロディエロ小説は、次号の『ガールハンター』に載った。
 こうして、ライターとして群雄社に出入りしているうちに、気が付くとデスクをひとつもらい、編集見習いのような形で居ついしまった。ときどき餌をもらいにくる野良猫が、そのまま飼い猫になった、そんな感じだった。
 田中氏の経歴がふるっていた。高校時代はシンナー遊びにあけくれ、夜中にプラモデル屋を襲撃、ボンドを強奪して捕まり、歌にも歌われる練馬少年鑑別所に収監されたが、ここで猛勉強し、ストレートで東大に合格したのだという。あとにも先にも鑑別所から東大に入った男というのを彼以外に知らない。東大中退後はニューヨークを放浪、オーバーステイで強制送還されたというのだからすさまじい。
 他に、僕と同じように自販機本を拾ったことが縁でこの世界に加わったという、京大中退の山本土壺氏、アイドルグループ「ずうとるび」の元マネージャーだった中野D児氏といった、濃い面々が群雄社自販機部門のメンバーだった。「知的な掃き溜め」という言葉がぴったりの会社だった。
 自販機部門を束ねるリーダーで僕の直属の上司となる木暮祐二は、早稲田の露文卒で、英語、ロシア語の他にポーランド語も話すインテリである。新日プロレスにも出入りしている関係からか、プロレス好きの僕は可愛がってもらい、彼のカバン持ちとしてよく蔵前国技館の大会を無料観戦した。普通は立ち入ることのできない選手控室もフリーパスだった。アンドレもホーガンもキッドもタイガーマスクも国際軍団もいた。新日の黄金期である。
 木暮さんは群雄社退社後、夫人とともに改革開放以前の旧ソ連、東欧を半年にわたって巡る旅に出た。インテリ左翼・木暮祐二にとって人生の落とし前の旅だったのだろう。東独からハガキももらった。
 帰国後、プロレス・格闘技の映像会社クエストを設立、業界、そしてレスラー(とりわけ前田日明)の信頼も厚かった。先年、逝去の報を知って驚いたものである。思えば、僕が群雄社の門を初めてくぐって40年が経とうとしているのだ。

木暮さんが編集長を務めた新日本プロレスのパンフレット雑誌『闘魂スペシャル』。僕は同誌の記者(実態はカバン持ちw)として控室に出入りを許されていた。ここで見聞したレスラーの”ちょっとイイ話”はいずれ。田中一策氏もカメラマンとして参加している。

初出・東京スポーツ

(追記)木暮さんの訃報は(株)クエストのFBで知った。30年以上会っておらず、もし知っていれば、葬儀にも参列したかった。幸い告別式の動画がYouTubeに上がっていて見ることができた。参列者の中でもひときは目を引いたのはやはり前田日明だった。そもそもクエストは、テレビのついていない旧UWFのために興した会社なのだそうだ。前田氏にとっても木暮さんは大恩人なのだ。遺影の中の木暮さんは、僕の知っている木暮さんよりいくぶん痩せ小さく見えた。180を越える身長はレスラーと並んでも見劣りしなかったと記憶している。喋りながら眼鏡のブリッヂを人差し指でいじる癖は、晩年も同じだったのだろうか。「これからは前田の時代だ」「猪木はいずれ選挙に立候補する」。あなたの予言はすべて当たりましたね。一緒に藤原選手(まだブレイク前)にヘッドロックをかけてもらったときの強烈な痛みを今はなつかしく思い出します。

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