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ウマとともに生きる


<ウマとともに生きる>里山のケモノたち

もう誰も歩かなくなった古道を歩いていると人々がウマとともに生きた痕跡(馬頭観音など)を見つけることができる。また同様に武家屋敷が残る地域や〇〇の小京都と呼ばれるような街並みには必ずと言っていいほど馬をつなぎとめていた繫木や繋石、飼っていた馬口や馬小屋、宿場町には馬宿などが見られる。全国どこにでもこいったものが見られるほど、日本の伝統的な家畜こそウマだと宣言することができる。

そもそも人類が家畜化したのは比較的歴史が浅く5千年前ごろだそうだ。日本列島にももともと野生のウマが人類よりも先に住んでいたようでオオクニヌシノミコトに馬肉を献上したと記されている古文書も実在する。また大宝律令(701年)には、各地に「馬の牧(律令国家の管理していた牧場)」を置き、政府機関としての「馬医寮」を設置した記録が残っている。ウマを家畜としている国には必ずと言っていいほど馬学があり、もちろん日本にもある。

世界史の流れと同じように日本でも最初は狩猟対象としてのウマから家畜化され、人々のパートナーとなっていった。明治まで北海道には野生のウマが存在したようで、明治開拓の原動力として大活躍した。また現在でも宮崎県に生息する御崎馬が野生馬として紹介されているが、このウマは牧場の開設当時から柵や草地の手入れはするものの、給餌することなく自然のまま育てられているというところから野生馬と言われている。また年に一度の馬追いで投薬や検査などを行なっているため「半野生」という言い方のほうが近いだろう。

江戸時代のウマは主に武士が乗るもので、他には荷物などの運搬の仕事が多かった。そのため農民の世界にはあまり出てこないが神事や季節行事には度々姿を現す。たとえば神送りの人形に対して多く船やウマが作られる。

お盆にはウマがナスかキュウリで作られ、祖霊はこれに乗って帰るのだという。神様はウマに乗ってくるものだと広く信じられていたようで、神社の神馬もヒトではなく神の乗り給うウマということだ。現代でも神社で奉納する絵馬はもともと、ウマをひいて寄進したことが由来となっているがのちに絵で描いたウマで代用させるようになった。

農民の世界であまりウマが出てこないのは農耕馬として利用していた人々が東日本や山間部の寒い地域に限定されるからだろう。逆に西日本や海沿いなどの標高が低い地域では農耕のパートナーはウシだった。

なぜ東西で農耕馬と農耕牛と、パートナーの家畜が異なっていたかというと、土質と気候の違いがあったからだ。東日本と山間部では昔から冷害に悩まされるほど地温が低い土だったのに対し、西日本は気候が温暖で干ばつのリスクが高い地域だった。

ウマはウシと違って胃を一つしか持たないが、発達した盲腸の中に微生物がたくさん住み着き、植物の繊維分を分解する。そのためウマの厩肥はウシのそれよりも分解しきっておらず微生物のエサが豊富で、温度が6℃ほども高く(温肥)、田畑に還すと土着菌が喜んで発酵を促進する。

そのため雪が降るような冷害が多い田畑にはありがたい存在だった。ビニールハウスやマルチがないからこその適正技術である。逆に気温が高く土が乾き、農地が固くなりやすい西日本では、力の強いウシが農耕のパートナーに向いていた。

初夢の「一富士二鷹三茄子」のうちのナスは旧暦正月(新暦2月ごろ)に一番高い野菜という話だが、これは静岡の暖かい農地で、さらにウマの厩肥で地温を高めて、栽培してまで手間暇かけて収穫までこぎつけたため、高値となっていたのだ。

西日本でもウマは飼育されていたが、それは主に武士たちの乗り物としてか、山間部の往来の移動手段または荷物の運び役としての活躍だった。現在でもウマに関する行事は西日本にも残る。そのため日本の在来馬は東日本だけに限らず西日本にも多く見られるのだ。どの地域にもウマで人や物を運ぶ馬方と呼ばれる専門家がいた。

また東日本でも畑がしづらい地域ではウシは活躍したようで、ウマとの混牧も多く見られる。ウシは雪をかき分けて草を食べることはできないが、ウマと混牧すればウマの残りを食べさせることができ、年間を通じて寒冷地でも放牧が可能になる。

豊作や家内安全などを祈る祭りにウマが活躍する神社は全国にある。流鏑馬で豊作や一年を占うこともあるのは江戸時代に武運や太平を願う神事と結びついたようだ。弓が放たれる音や的を射る音は魔を払うとされ、的の欠片を魔除けや縁起物として授与する神社もある。

ウマが農民たちととても近い存在だったのは東北地方や信濃などの中部山岳地帯である。こういった地域には「駒」がつく地名や山岳名、神社、苗字が多く残っていることからも分かるだろう。

やませによる農作物の被害を最小限に抑えるため、東北地方では古くから畑昨や畜産中心の農業を営む農家が多かった。農耕用にウマは欠かせない。そこから生まれた民家に南部曲り家がある。母屋と馬小屋をL地肩の棟続きにして、ウマを家族と同じように大切に扱った。

居間や座敷からウマの様子が見えるし、エサを食べる様子で彼らの調子を見極める。また「馬釜」という広い土間ではウマのエサである干し草やワラを煮たり、ヒトが食べる煮物や大豆を煮るなどして、暖かい空気が家にも馬屋にも入るようになっている。

ウマが身近な地域では昔から子供の遊び相手でもあり、子供の学び相手でもあり、ウマがヒトを学ぶ場でもあった。そのためウマにまつわる民話も数多く生まれ、ウマが信仰の対象にもなった。「チャグチャグ馬コ」として現代にまで引き継がれている伝統行事もある。「オシラサマ」は美しい娘が恋に落ちたウマとの悲しい物語が元となっている。

ウマに履かせていた馬沓を拾ったら縁起が良く、家の軒先にかけると雷除けになるとされた。ヨーロッパには蹄につけている鉄がラッキーアイテムとして、道で拾ったら玄関に飾ると幸運になるという言い伝えがある。ヒマラヤではハイカーの荷物を運ぶウマが落としていく糞をせっせと道の両脇にある畑に運んで堆肥としている。ウマをこよなく愛するモンゴルには日本の何倍ものウマにまつわる諺があるという。

日本のウマにまつわる諺ではウマはあまり賢くないようだが、実際にはサルやトリよりも賢く、ヒトの言葉を覚えているかのように仕事を覚えてしまうという。どうやら声のトーンや口元の動きに反応しているようだ。

江戸時代から明治時代までウマは日本人のパートナーであり続けたが、その後自動車やトラクター、飛行機などの登場によって一気に衰退していった。しかし最近では林業の中で地駄引き(馬搬)を復活させている人がいる。

引退競走馬による馬搬や田畑の馬耕などが少しずつ復活している。ウマが特に力を発揮するのは間伐を行なった山や森での作業。機械では通れないほどの狭さでも、ウマは自分が通れさえすれば大丈夫だ。車道のように山を大きく崩す必要がない。

ウマの小回りが利く性質とゆっくり大きな力を出せる性質が、日本の複雑な地形と山仕事に合っている。軽トラで山は迂回しなくては反対側に行けないが、ウマなら山を横断することができる。しかも日本の山なら燃料(エサ)にも水にも現地調達ができて困らない。道や橋がなくても、ウマなら通ることができるのも魅力的だ。

岩手県遠野市で馬搬を続ける見方さんは
「ウマは機械とちがうのさ。機械であればどんなときでもただアクセルを踏み踏めとやっていればいいが、ウマはそうはいかない。~中略~。ウマはスイッチひとつで動きだす機械じゃあない。ウマは生き物だから。」という。

馬搬は決してウマに物を運ばせることではなく、ヒトとウマが生き物同士、同じ立場に立って息を合わせて、一つになって働く仕事だということがよくわかる。ウマは賢いからこそヒトと意思疎通が取れる。ウマが合うとはまさにこのことだろう。

見方さんはウマが楽に歩けそうな道を選び、まずは軽めにしてあげる。危険なときは顔を殴りつけてでも止めることもあるし、怠けそうになれば喝を入れて励ます。馬搬はヒトもウマも危険な仕事であるからこそ、お互いに心を通わせる必要がある。だからこそ信頼関係が重要となる。

ウマは汗をかく動物なので、仕事が終われば一緒に川に入って洗ってあげる。一緒に散歩して、ウマに好きな草を自由に食べさせてあげるのだという。仕事のパートナーではなく家族同然だ。

ウマは特に秋の七草であるハギ(マメ科)が大好物だ。ウマは自分の体重の2倍ほどのものを運べ、そして糞は森や田畑の土着菌の栄養となり、森と食糧を育む。

北海道南部の渡島半島では土産馬が年間を通じて放牧されている。「山に馬を投げておく」というように時折見回りをするほか、臨終に放任しておく。ウマは雪中からミヤコザサなどを掘り出して食べて成長していく。クマザサ、クズなどの繁盛する草を食べることで下草狩りが必要なくなり、フンが樹木の堆肥となり、自然遷移のスピードが緩やかな地域において、自然遷移を早める役割を担う。

こういった事情からアフリカなどの発展途上国にその技術と関連した道具類が輸出され、過去に何度も失敗に終わっていた西洋的な開発から脱却した、真の適正技術による開発が進んでいる。

先進国でも同様に開発が進む。スウェーデンではウマを最先端の軽量自動車や水圧技術と組み合わせている。ウマの使用が小規模な森林管理で広がらないのは、ウマをきちんと飼育・調教できる人間が少なくなり、コストが高くなってしまっているからである。

血統や機具の質も重要だが、愛情と呼べるほどの感情の交流がヒトと家畜の間に築けるかどうかも同じくらい重要である。相手がトラクターであれば、家畜独特のニーズである愛情のためにそれほど献身的に向き合う必要がない。私たちは今、機械と命どちらも大切にする生き方を模索する必要があるだろう。

※写真はこちらから転用
https://hibi-ki.co.jp/moridehataraku019/

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