動物性堆肥について 質と量
<動物性堆肥について 質と量>
江戸時代までに田畑に投入されていた動物性堆肥と現代の動物性堆肥では質が全く違っている。その一番大きな違いは家畜たちのエサの違いだろう。そのため安易に過去の動物性堆肥についても批判することは、現代においての動物性堆肥の使用を困難にさせてしまうだろう。
雑食であるブタやニワトリは人間が食べた残飯を中心に、家屋周辺の雑草も食べていた。鶏糞は糞と尿が入りじまり、チッソ分の多さと即効性が魅力だが、チッソ焼けを起こしやすい。施肥すると土中内微生物に頼る必要がなくなるため土壌の多様性が減少し、土が固くしまって冷たくなってしまいやすい。豚糞も同様に糞と尿が入り混じるため、同様に高い栄養分と即効性があるが土への影響は大きい。
ウマは昔からずっと草ばかり食べていた。ウマの胃腸は牛ほど発達していないため、草を十分に消化することができず、未分解の状態で排泄する。そのために馬糞はその後、微生物によってさらに発酵されることで発酵熱を生み地温を上げてくれる。江戸時代の農書には「温肥」として紹介されている。そのため、現代でも北日本や標高の高い山間部など寒冷乾燥地では有効な施肥の一つだ。世界重要農業遺産の中国アオハンの乾燥地農業やマサイ族の放牧はヒトが食べられない植生を家畜が食べて糞にし、その糞を利用して穀物や果樹類を栽培している。
代わりに牛糞堆肥は「冷肥」と呼ぶ。本来草食動物であるウシは主に入会地や茅場などの雑草ばかりを食べていた。草が少なくなる冬期は秋に稲わらを貯めておいたり、ススキなどを保管していた。これらは現代でいう干し草である。江戸時代の牛糞もウマほどではないが、現代よりも未分解の状態であったと言われている。そのため排泄後に微生物の発酵が行われていた。しかし、現代の牛糞はほぼ全てのものが分解されて排泄されため、土中内の微生物や昆虫のエサとなる量は限られてしまう。
そんな家畜のエサは現代、そのほとんどがヒトの主食であるトウモロコシやダイスなどの穀物を食べている。ここに大きな違いがある。現在の家畜が穀物を食べるようになったのは最近のことである。窒素肥料など化成肥料が誕生し、穀物の生産量が増えたことと、穀物を飼料とすると家畜が早く太ることが分かったこと、そして飼料は輸出が可能だったためだ。それは欧米にとって農業面でも経営面でも政治面でも有利に働いたからだ。
家畜の飼料にはヒトが食べるには小さい小魚たちも利用される。日本では練り物などに加工されることがほとんどだが、世界にはそういった食文化はほとんどない。そのため、そういった小魚は海に返すのではなく、魚粉に加工され輸出され、家畜用の飼料となる。その影響を受けているのがカンパチやマグロなどの大型肉食魚類であり、オットセイやイルカ、クジラなどの大型哺乳類である。それらの密猟や乱獲を辞めるだけでは彼らの絶滅を防ぐことはできない。
世界に700億頭いる家畜の3分の2は工業的畜産によって飼育されており、彼らが世界の穀物の生産量の3分の1を食べている。大豆粕に限れば90%が、それに世界の漁獲量の最大30%が飼料に加工される。私たちヒトが食べられるはずの穀物や魚が家畜のエサとして消えている。本来ほとんど口にすることがないはずなのに。
家畜のエサが変わったことでその分から作られる堆肥の質も変わった可能性が高い。とくに胃腸内の微生物の種類や量は著しく低下したことが報告されている。またエサと一緒に与えられる抗生物質が胃腸内の微生物の多様性を失わせ、糞に残留してしまう抗生物質が土中内の微生物に悪影響を与えている。
動物の糞が植物の栄養分となること自体は決して不自然ではない。しかし、現代の家畜の糞は人間の都合によって、野生の生態系で循環する糞とは様子が違ってしまっているし、大量施肥は自然界ではありえない。実際に動物性堆肥を使用した畑では虫食いが多く、臭いもきつい。たとえ完熟堆肥だとしても同様だ。
本来の野生状態では動物の糞は糞虫やミミズ、土中内微生物によって分解されて土に戻る。その過程をすっとばして堆肥化して、施肥するのは早く植物に吸収させたい人間の都合に過ぎない。自然界ではあらゆる生物がバトンリレーのように分解していく過程で、あらゆる生物を養い、豊かな土壌を作り出す。
もともと肥沃な土壌である日本では扱いにくいものだが、養分が失われやすい砂質土壌や寒い地域では少量の施肥は有効な技術の一つだろう。しかし、その家畜の糞の質にはこだわりたいものだ。
もともと家畜はヒトが食べられない植物を食糧として、ヒトが食べられる食糧もしくはヒト以上のエネルギーを生み出すことが目的だった。貧困と飢餓問題がまだ起きている現状で、ヒトの主食をわざわざ食べさせる必要はあるのだろうか。幸いにも日本の里山には利用されていない雑草が除草剤を使って駆除するほどある。ヒトが四里四方のものを食べれば健康を維持できるというように、家畜もそれぞれのテリトリー内に生えるものを食べる方が健康を維持できるのではないだろうか。
日本の農地が適正に循環できるチッソの限界は124万トンだという計測がある。日本はその2倍近い238万トンの食料由来のチッソが環境に排出されている。そのうち80万トンが畜産から出たもので、しかも飼料の約80%は輸入に頼っているから、64万トンが輸入のエサによるものである。現在日本で飼育されている肉用牛(乳用牛は別)の頭数は昭和30年代の頃とあまり変わらないという事実はあまり知られていない。
家畜のエサをすべて国産飼料と自生する植物で賄うことが可能かどうかはわからないが、輸入飼料への大幅な依存を減らすことは可能だろう。その家畜の糞を堆肥化させて、貧弱で寒冷地の田畑に施して生産性を上げる循環システムも十分可能なはずだ。
また、新しいエネルギー源としての利用にも期待ができる。生ゴミや動物性の排泄物(ヒトも含む)などをメタン発酵させることでメタンガスを発生させて、発電や調理用のガスとして使用できる。発展途上国でも小型のものが導入されているように、日本でも田舎暮らしには欠かせないものになるかもしれない。使い道に困るゴミはなく、副産物として液肥が得られる。
また動物の糞を乾燥させて燃焼させる熱ボイラーも少しずつ普及している。家や家畜小屋、温床、ビニールハウス内を温め、副産物として高栄養の灰が得られる。しかし日本の場合乾燥させるのに手間がかかるので、どのくらい効率的なのかは見極めが必要だろう。
現代では東北や山間地において林業家たちが自伐型林業とともに馬搬を取り入れ直し始めている。また農家たちの中でも馬耕の価値が見直され、少しずつだが復活している。機械相手ではないためにマニュアル通りに動いてくれるわけではないが、命相手だからこそのやりがいもあるようだ。また、家畜の糞からキノコ栽培を試みる事例も増えている。
家畜はもちろんのこと、そこから得られる資源やエネルギーを有効活用するためには農業の現場と畜産の現場、そして林業を含む里山全体の産業と人々が繋がりを戻す必要がある。パーマカルチャーデザインとはその繋がりと循環をデザインすることだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?