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喜びを深く感じた日

つい最近、また一つ年を重ねた。

「誕生日おめでとう」と温かいお祝いの言葉を頂く中で、今年は「自分の心の在り方」に大きな変化を感じた。


今までの自分は人が信じられなくて、正直、誰からの優しさを受け取るのが難しいことが多かった。

不安や恐怖が、ずっとデフォルトの人生で。

誰かの好意は嬉しいはずなのだけれど、人から優しくされてることに気付くと、すごく怖くなってきて、逃げたくなってしまうのだ。

これは、愛着障害の人によくある防衛反応だそうだ。
幼少期からあまりにも強い緊張や不安に慣れすぎると、愛されたり、優しくされることに、強い違和感と恐怖を感じてしまう。

人から愛されることが怖くて、何だか居心地が悪くて、感情を切ったり、
その場から離れたくなってしまう。

わたしも実際そういう部分があって、ふと安心感や誰かの優しさを感じた瞬間に怖くなってきて、嬉しい気持ちに浸り続けられなかった。
今までの人生、ずっとずっとそうで。

でも、今年の誕生日は違った。

誰かからの「お誕生日おめでとう」という言葉に、深く喜んで、浸ることができる自分がいた。

お祝いの言葉を素直に受け取って「嬉しいな」と心から感じた。

誰かの優しさを感じることが怖かった。
実際、今もまだそんなところは残ってる。

でも今回は、「おめでとうと言ってもらえて幸せだなあ」という感情に浸り続けることができた。

これは、自分にとって大きな変化だ。
正直、このような感じ方ができる日が来るとは思っていなかったから。

わたしは、「優しさを受け取ることができない」という悩みを少しづつ、手放せてきているのかな?と思えた。


今年の誕生日は、とっても深く幸せを感じた。
自分の心の内側に少しづつ「愛着」が育ってきているのかもしれない。


そして、自分の誕生日をお祝いしてくれる方たちに対して、感謝の気持ちをより深く感じた。

それがとても嬉しくて。
とっても、嬉しかった。
お祝いしてもらえて幸せだった〜。

大袈裟かもしれないけれど、「あなたはここにいていいよ」と、自分の存在を祝ってもらった、そんな気がしたんだ。


そして、それぞれが自分の人生を歩む中で、ふとわたしの誕生日に気づいてくれて、「おめでとう」と言ってくれること。

そんな時間を与えてくれたことがありがたい。

メッセージをくれること、プレゼントをくれること、優しさをくれること。
一つ一つのことが決して当たり前じゃないから。
ありがたく、ありがたく、受け取りたいと思う。

そして、その優しさを
今度はわたしが返していきたいな、と思った💐



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