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第18話:新馬戦はアニメ第1期(中央入り)

ウマ娘ブームは2021年春に訪れた。

というと、古参の人はブチ切れるかもしれない(笑)

なぜならアニメ第1期もヒットしたからだ。

2016年に発表された「UMAMUSUME PROJECT」は、2018年に事実上のメイクデビュー(第1期のオープニング曲は「Make debut!」、エンディング曲は「グロウアップ・シャイン!」、新鮮な感じがする)を迎えた。

無論、この2年の間にも様々な動きがあったのであるが・・・

多くのアニメ・競馬ファンが「ウマ娘」を認知したのは、第1期のことであった。

第1期のウマ娘は2018年4月2日から6月18日までの期間に放送され、全13話(R)であった。

(その後に「BNW」のアナザーストーリーが追加された。ここでは略)

主人公にスペシャルウィーク、準主人公にサイレンススズカが設定された。

舞台の時期はスペシャルウィークの田舎からの上京に始まり(トレセン学園への入学)、レースとしては1997年秋から1999年秋の物語であった。

(なお、競馬では12月も「秋競馬」という。「秋古馬3冠」概念)

アニメの中ではスペシャルウィークにとってサイレンススズカは憧れの存在であり、かつライバルのウマ娘だった。

しかし、史実としてはスペシャルウィークとサイレンススズカは一度も対戦していない。

むしろ史実に照らし合わせてみれば、皐月賞、日本ダービー(東京優駿)、菊花賞などのクラシック戦線(98年)におけるスペシャルウィークのライバルは同世代のキングヘイローやセイウンスカイであった。

また、同世代の最強馬争いのライバルとしてはエルコンドルパサーやグラスワンダーが該当した(ちなみに、この2頭は1998年秋の毎日王冠でサイレンススズカと対戦し、敗れている)。

既存の競馬ファンの中でスペシャルウィークとサイレンススズカをライバルと思う人は少ない(むしろ、居たらビックリする・・・笑)。

では、なぜこの2人のウマ娘がライバル関係になるのかと言うと、天皇賞・秋における仮想のライバル設定において2人の物語が成立するからである。

1998年秋の天皇賞・秋は競馬ファンの間でサイレンススズカの悲劇としてよく知られている(「沈黙の日曜日」と呼ばれる)。

アニメの中ではサイレンススズカの故障にとどまり、死には至っていない(第7話「約束」)。

翌年、スペシャルウィークは天皇賞・秋(99年)に勝利する(この事実が重要!かつ春秋連覇を果たしている)。

一方で故障から回復しつつある物語の中の最強ウマ娘・サイレンススズカは競馬場には応援に駆け付けず、練習場(トレセン学園)で仮想のスペシャルウィークと対峙した(第10話「何度負けても」)。

上述したとおり史実どおりであったら、物語全般のクライマックスシーンが天皇賞・秋になることはない。

だが、ウマ娘第1期は1990年代後半の天皇賞・秋(2,000m)を沸点とする物語であった(不思議なことに・・・笑)。

(ジャパンカップ、有馬記念もたいへん素晴らしい演出となったが、準主人公のサイレンスズカとの関係が浮き彫りになっていない。

なお、1997年は日本中央競馬会(JRA)の売上のピークで4兆円を超えた。

また、98世代は競馬ファンの間で最強世代の候補のひとつとなっている。

(これも怒られるかもしれない。最も人気のある説なので・・・笑)

原因はエルコンドルパサー、グラスワンダー(ともに外国産馬)がクラシック戦線に参加出来ず(当時のルール、漫画「みどりのマキバオー」にも忠実に反映されている)、しかも共にスペシャルウィークとの直接対決で勝利していること。

また、エルコンドルパサーが99年の凱旋門賞で2着に入り(優勝馬モンジュ―)、

そのモンジューをジャパンカップでスペシャルウィークが破ったこと。

などが挙げられる。

(そのスペシャルウィークに有馬記念でグラスワンダーが勝ったので当年の年度代表馬選考はかなり揉めた・・・しかし、競馬の国際化を支持するライター、記者さんにとってエルコンドルパサーの海外GⅠ制覇と凱旋門賞2着はインパクト絶大であった。結局、年度代表馬は「エルコンドルパサー」となり、時間はかかったが後に「顕彰馬」にも選出された。

(詳しくはウマ娘の教科書のスペシャルウィークの項目を参照されたい。)


もともと競馬ファンにとってこの世代には特別な愛着があった(これは重要だ!)。

また、悲劇の競走馬・サイレンスズカが98世代に絡んでいたのでアニメ第1期は戦略的にこの時期になった(「UMAMUSUME PROJECT」)と思われる。

だから競馬ファンにとって「ウマ娘」のセンター(「AKB48」における前田敦子のようなもの)がスペシャルウィークであること(日本調教馬、日本総大将)に何ら違和感はない(笑)

当時の獲得賞金ランキング1位や20世紀の名馬企画でも高く評価されていた。

97年(スペシャルウィークがデビューした年)が日本競馬の売上のピークで、今後これを上回ることは絶対ない!

だからこのあと「ウマ娘」でディープインパクトやオルフェーヴル、コントレイル、ジェンティルドンナ、アーモンドアイなどが仮に実装されたとしてもこの地位は決して揺るがない!(笑)

全盛期の日本競馬の模様を見せつけたサイゲームス!

非常に上手い戦略なり!

ここからウマ娘(うまぴょい)伝説が始まったのだ!


追記)

第1期のアニメの円盤は凄く売れた!

競馬ファンやアニメファンの間でも知名度があった。

競馬場の中にもポスターがあり、武豊が広告塔として選出されていた。

今のようなコラボイベントも普通にやっていた(笑)

しかし、ゲーム「ウマ娘 プリティーダービー」のリリース(配信)はその事実を遥かに凌駕する程に破壊力抜群であったのである。

(2022.12.19)


少し編集中です。文章も一筆書きなり。

しかし、こんな作為をよく堂々と行なったものだ(笑)

サイゲームス(「UMAMUSUME PROJECT」)は・・・

・おまけ

私は論文公開後、ネット上で「天皇賞オタおじさん」と呼ばれた(笑)

2006年(京大に所属したのは2009年)から2022年3月まで研究して、

「オタク」よばわりは認めるが、単なるアニ(声)オタ・競馬ファン(の戯言)と思われたのは非常に心外であった。

泣いた・・・笑

後にその人と仲良くなった(歓喜!)


参考論文:

『社会システム研究』第25号(京都大学紀要)の筆者論文より。

久しぶりに見たらダウンロード数がこの論文だけヤバイ!笑

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/275611







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