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新しい試みと現実認識(サピエンス)

どこに投稿するか分からないが(掲載されないかもしれないが笑)、

ひとまず新しい論文のタイトルが決まった。

『サピエンスと馬:競馬の誕生』である。

(何とも)壮大なテーマ。

でも今、書く必要がある。

従来の研究と最も違う点は、『論語』からの着眼点だ。


先生がいわれた、「名馬はその力をほめられるのではなく、その徳(性質のよさ)をほめられるのだ。」(『論語』第7巻より)


この言葉の意味は人間の眼差しの介在である。

野生の馬を見て、人類(サピエンス)が馬の力強さを客観的に認識することは可能(集団の中で明らかに突出している、容姿が良い等)であろう。

例えば、はやい、逞しいなど・・・

しかし、徳のある馬(性質の良さ)は人間の眼差しによって初めて判断される。

簡潔に言えば、人間に役立つかどうか「名馬」が決まる。

・軍馬は戦争で役立つ馬

・農耕馬は農業に役立つ馬

・家畜は生産(成長)に役立つ馬

・伝達・運搬に役立つ馬(「競馬」に近い)

・競馬は「はやい」(それが役立つ)馬

というように・・・

『人類と(友としての)馬』というタイトルをやめて

『サピエンスと馬』というタイトルに変えたのは、

ハラリ(2016)の言うサピエンスの認知革命が与えた影響が大きいからである。

だから本研究は従来までの研究と異なったところで着地することになる。

これまでの競馬の定義は人間の眼差し(認知行動)について自明のこととして扱い、深く論じられてこなかった。それを改めて検討する。

私の関心事項は、

①人間は馬をどう扱って来たか。
・他の諸動物との違い、サピエンスによる動物の雇用(もともとは動物と動物)

②馬は(ある時点で)政治権力、戦争(領土の拡張)と深く結びついた。

③そもそも競馬は何のために行われて来たのか。

④大航海時代、サピエンスは無知を受け入れ、世界へ旅立ち、科学(者)の発展と貨幣による資本革命=流通を生み、帝国主義を促した(と、ハラリは述べている)。

⑤娯楽のイギリス(近代スポーツの誕生)
・王侯貴族とジェントルマン(新しい富裕層)
資本主義・議会制度・民主主義・投票
近代スポーツ・ギャンブル・ゲーム(ルール)
改良という名の遊び
血統・記録・進化論
そして、サラブレッドの誕生(18世紀に出現し、19世紀の初頭になって世界に台頭)
競馬後進国から世界最強の競馬大国へ

⑥イギリス型近代(洋式)競馬の拡大と変容
ジェントルマン(主に外交官、商人)の競馬は植民地(帝国)主義と結びつく。他の諸国は受容→変容や、対抗としての「ツール」競馬(軍馬育成)や大衆競馬の道に進んだ。

⑦現在の馬は競馬や乗馬に(サピエンスと馬の関係の帰結:特に先進国、旧植民地など)
「はやさ」の追求、資本主義の欲望、自由・民主主義、権力(財力)と遊び

これら多くの問題を競馬の発展は含んでいる。

現在の私は力不足なので、梅棹忠夫の『文明の生態史観』(1967)、ウィリアム・H・マクニールの『世界史』(2008)、『戦争の世界史』(2014)、本村凌二の『馬の世界史』(2001)、『競馬の世界史』(2016)、ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』(2016)を土台に、

馬による文明の生態史観、を描くことが目標だ。

サピエンスが登場する以前の野生のウマ科の時代からサピエンス(人類)の誕生。そこから馬に対する眼差し(認知)の発見。これを最終的に競馬(古式競馬、近代=洋式競馬)の誕生にまで結び付けていく予定である。

やや以前までのコラムと重複する点もあるが(笑)、

とにかくやってみるしかない。

まさか『論語』から着想を得られるとは夢にも思わなかった。

名馬とは馬自体が名馬と判断するのではなく(当たり前、笑)、人間(ヒト科のサピエンス)が馬を(様々な用途の観点から)「名馬」たらしめるのだ。

昔から漠然としていた構想が今では明確な形を持って意識されるようになった。

ここで少し小ボケ。

ウマ娘はその徳(性質のよさ)をほめられるのである。

(可愛い!)


参考文献は軽く50~100は漁ることにしよう。

そこから30くらいに絞るのがいつものやり方で、

簡単な修論であれば、20冊くらいでも書けるから(1週間くらい)本当に恐ろしい(笑)。

おそらく博論(学術出版)の素材としての論文は今回が最後になると思う。

(一応、500ページくらいは書きためてある。研究科と指導の先生には大変申し訳なく・・・自分で「線」を引くのが苦手な人・・・笑)

日本ウマ科学会、スポーツ人類学会、京大の紀要を視野に入れて書く予定。

ちなみに私はポスドク問題について偉そうに語る権利がない。

しかし、やり方は知っているので少し書いてみる。

これは目標でもあるし、別の道も視野にある。

①博士号取得→出版助成→学術出版  単著1が最低ライン(2、3あると有利)

②ベストセラー作品(出版)単著1~2

③学術賞受賞(出来れば、運)

④論文数最低5~10(学会の学術誌で若手奨励賞は年齢制限あり、基本的に量産)

⑤口頭発表10(15)~30(20やっていたら凄いと思う!)

⑥講師歴(複数年、複数科目、出来れば3科目以上)

⑦大学名はあまり関係ないが、海外の有名大で10%強(かつては人数が少なかった。近年の流行り)、東大・京大の博士で10%(格差はあって在学中に海外の有名大=英米仏の大学等でほとんどの時間を過ごした人はかなり優秀。場合によっては青田買いもある)、早慶・その他旧帝大で5%、関関同立やマーチ、地方国立で2~3%が常勤になる確率。

(例外は政治、キャリア支援や福祉関係(実務家教員からの引き抜き)になると思う。スポーツ系の場合は早稲田と筑波が強く、教育系も学芸大や筑波が強い。社会人大学院は実務家教員が多かった)

と、これらは私の指導教員の大先生方から教わった(笑)

文系でこのくらいの条件が揃っていて初めて「運ゲー」でない意見を述べる権利がある、と思う。

(とりあえず応募しまくって就きましたは憧れない・・・最低でも東大・京大、出来れば本郷キャンパスの学科長、学長クラスに入りなさい、と指導された。哲学、社会学のケースである。)

私は少しずつ積み上げる予定。

もうちょっと頑張って見てダメなら別の道に進むと思う。

残念ながら・・・

⑧豊富な人脈

これもありました(笑)

とりあえず博士課程出る前は単著1論文5発表10、人脈300人を目標にしていた。

論文に関しては出来れば学会誌を中心に巡る予定であったが、研究テーマの都合上、どうしても(超)高得点2、低得点1となってしまう。学問のスレスレ(新しい研究が生まれた当初は分かりづらく55%の理解、無難に行くと80%の理解は得られます)を狙うとそうなります。最近では無難(堅実さ)も大事だと思うようになりました(笑)。

しかし、何年居ても論文0(1)発表0~1の人も居る世界(東大・京大でも)。

そういう方は別の道に進みます(半分くらいは・・・哲学の場合)

結局は自分次第なのかな、と思う。

大学院については内部の人、外部の人とかは関係なく、単なる実力(と運、やる気)の世界。

だいたい大学院重点化云々言っている人は業績、人脈が少なく、運もない印象だ。

しかしながら、学問の基礎は好きか、嫌いか、やるか、やらないか、向いているか、向いていないか、

「向いてないけどやり切るか」

「他の道に進むか」

ただあるのはそれだけ、というような気がする。

基本的に「好きで、才能もあり、やる気があり、前向きな人」は多少運が悪くても悩まない。

その時間もまさに本気で頑張っているからだ。

そういう人は周りが勝手に評価してくれるし、①~⑧の力をほとんど持っていると思う。

上記程厳しくなくとも博士号、単著1、論文3~4、発表(論文執筆の都合上3~7はやることに)、教歴あり(教えることが好き)。これに学術賞ある人は大体上手くいっている。

ひとまずこの夏は他の趣味を程々にもうひと踏ん張りするつもりだ。

ウマ娘の論文第2弾書きたかったのだけれども(笑)

明日は50くらい文献集めてみよう!

追記:

久しぶりの更新になってしまいました!

客観的事実や経験、能力を積み上げよう!

結果は裏切らない!

(2022.7.26)

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