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起業のカタが気になる日本

日本では「習う」ということが文化の奥深いところに織り込まれている。これは他国文化には中々見ないとても貴重な価値観を生み出し、時には不況から救い、時にはイノベーションを生み、時には世界に「習う」という事の美しさを説いてきた。

ただこの習うという行為を何も考えずに、なんとなく習うという人たちが増えた場合、そこには「習い」ではなく「倣い」だけが有る。

私は幼少時代に少しだけ剣道をしていたことがあるが、ただ単に練習だけしていた訳ではなく、時々師範から稽古をつけてもらっていた。そもそも師範の様に体は動かないし、持っている才能も違う訳で、稽古で習った事を練習し、身につけ、自分なりに工夫をし、体の動かし方、頭の使い方を学んでいた。新しい事を教わり、それを何度も繰り返し、考え、自分のもにし、又それを繰り返す。「習い方」をそんな風に教わった。

起業と起業ごっこ

日本で起業家を育て続け、起業を繰り返していると、日本での起業アクセラレーターとか起業家育成と言う業界には全く起業をした事の無い人で溢れていることに誰にでも気がつくと思う。日本でのスタートアップの数がなぜアメリカの様に増えないのか?と言った議論をする時に大体、日本にはエンジェル投資家がいない、とか、個人がリスクを取れないから(「失敗を恐れている」論)、とか、先輩起業家やロールモデルがあまりいないから、という話はよく聞く。自分もまずそういった点に気が付き、では日本風のスタートアップ業界はどういう感じに成長して行くのかということについてずうっと考えてきた。

起業は起業家からしか習えないとは言わない。だが、日本のスタートアップ業界は、ザックリ言うと、起業の仕方を教えて欲しい人とそれを教えたい人が過半数に思える。起業がしたいと言うよりも、起業の仕方を習いたい。そして起業はしないが、起業の仕方を教えたい。今のこの国のスタートアップ業界はそんな感じの人が多い。起業をする前にリスクヘッジをし、失敗しないで起業っぽい事をしたい様にも見える。

本当に起業できた人達は、スタートアップ業界にはいない。今のスタートアップ業界は評論家だらけだ。

スタートアップ予備校登場

そんなスタートアップ業界で行われるアクセラレーターや起業家育成プログラムには「習い事」に参加する感覚で起業家志望者が集まる。そして、多くのアクセラレーターや起業家育成プログラムは起業家ごっこをしたい「生徒」を集う。予備校みたいな感じだ。そしてそこでは、起業家ではなく、「先生」達が雇われ、起業の理屈が教えられる。

剣道の稽古に話を戻すが、私が通っていた道場では強くなる方法や試合に勝つ方法を教わった事はないが、剣道の習い方を教えてもらった。そしてその習い方が他の分野でも使える習い方という事になる。試合に勝てる方法だけを教えて下さい、とはいかないものだ。

恐らくだが、予備校感覚で起業の仕方を習う人は、起業すれば必ず儲かるとでも思っている気がする。だとしたら、はっきり言って、就職をし同じエネルギーを一流企業につぎ込んだ方が、統計学的にはかなり無難に稼げるので、起業は辞めた方が良い。又予備校のようなアクセラレーターで「起業」を教えている人達には、是非一回起業してみて欲しい。起業講師だらけの世の中がおかしい事に気がつくと思うから。

諦めるのが早すぎる起業家たち

起業を教える側に回った人達の多くは一回は真剣に起業を考えた人たちだと思う。なんらかの理由で最後まで振り切れずに、起業を教える側になる。それはそれで重要なスキルを伝授する仕事であり、先生が先生になる理由と似た理由で起業コーチなどになる人はいるとは思う。私も素晴らしい先生とクズの様な先生両方から教わったことがあるが、運良く素晴らしい先生の方が多かった。彼らは何かパッションがあった。パッションが子供であろうと、教育そのものであろうと、その科目そのもであろうと。

起業は学問ではない。起業はライフスタイルであり人生の選択である。それを人に教えられるという人は、どういう人か?少なくても起業を諦めた人たちでは無い方が良い。起業を教えたいのであればまず諦めず、起業してみると、起業家として共有できる内容はかなり深くなる。それは、起業をして、最初の勢いで何もかも楽しく、ゴリゴリ働いても苦にならない「ハネムーン期」を過ぎ、人を雇い、スケールする難しさや、何度か訪れる「会社を閉じるかもしれない」位の困難を乗り越えて初めて見えてくる起業の深みだ。その深みが見えるまで諦めて欲しくない。会社を登記し、名刺を持っている位で起業したつもりになり、そこから先の「起業」を諦め、「起業を教えます」とはいって欲しくない。

何を誰から習いたいのか?

どうしてもアクセラレーターや起業家育成プログラムに参加したい場合、講師達や、起業コーチ達のお世話になる前に、是非一回「なぜ教えようと思ったのか?」と尋ねてみたらいいと思う。それが理解できるだけでも、その講師やコーチから学べるものが変わるはずだと思う。起業の仕方なんて何通りでもある。

講師やコーチに評価されず、とことんやるのが起業ではないか?

間違った起業の仕方なんて無い。間違う事を恐れ、起業の仕方を教わろうと考える前に一回考えて欲しい。何を習いたいのか?YouTubeや無料で高質なセミナーや教材が沢山あるこの世の中、さらに何を求めるのか?

本気で起業したい人は、誰と起業したいか、とか、何をしたいのか、と言った問いを優先すべきだと思う。そう言った問いに答えが出るのは時間がかかる。そういった過程が重要であるから世の中には起業家コミュニティーが存在し、コミュニティーの中でお互いに学び合う場が作られている。

カタから入る日本の起業家

「習い」が重要である日本でこそ発生する、「形から入る」姿勢が日本のスタートアップ業界を遅くさせ、そしてゆくゆくはイノベーションに足枷をかけていると思う。「習い」が重要であるから「形」を教える人たちで溢れる日本。「習い」は教育でも社会の仕組みでも重要なだけに、習うだけの「起業家」は後を絶たないし、そんな彼らに「起業を教える」という仕事はまだまだ増えて行くと思う。難しいが、本質的な事を学びたい起業家の卵たちはきっと本質的な事を学べる環境を探し求められるので、そこはあまり心配していないが、起業や起業家そのものをコモディティとして扱う行為はやめて欲しい。

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