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小説:明日の僕らに喜びの花を贈る 前編

――その小屋には先客がいた――

 

雨のにおいが近づいているのはわかっていたが、まさか滝のような大雨になるとは思っていなかった僕は、この辺りに小屋があることを思い出し、雨宿りをするため記憶を頼りに森を駆けてようやく小屋までたどり着くことができた。雨でずぶ濡れになった身体を乾かすため、服を乱暴に脱ぎ捨てた後シバリングをし、水気を辺りにまき散らす。ふぅと一息ついた後周囲を見渡した。小屋のなかには家具が一式そろっていたが、時が止まったかのようにホコリが積もり乱雑に置かれていた。この小屋の持ち主はすでにいないのだろう。屋根に穴こそ空いていないが、あちこちから雨漏りがしていた。薄暗い小屋の中央に大きな柱があったのでそこに寄りかかり休むことにした。

「ついてないな……早く止むといいけど」

座りながら窓の向こう側を見ながらひとりごとをつぶやく。

「……誰か、いるのですか……?」

僕の頭上にある耳がピクリと動く。雨音しかしないと思っていたこの小屋の中で今、僕の背後から、確かに声が聞こえた。

「……なんだ、先客がいたのか」

薄暗い小屋の中、雨音、雨のにおいで目と耳と鼻が利かなかった。これではオオカミ族として失格だ、と笑われてしまうくらい気配に気づかなかった。

「すまない、雨が止むまでここで雨宿りさせてくれないか?」

柱を挟んだ背後にいる人物に声を掛ける。

「……別に、私の小屋ではないので私に頼まなくても大丈夫ですよ」

ああ、それもそうだと僕は思った。彼……声からして彼女も僕と同じ理由でここに来たのだろう。

「なら、お互い雨が止むまで大人しくしていようか」

「……」

それからしばらく、僕らは口を利かず雨のオーケストラが鳴り止むのを待っていた。後から気づいたが、雨のにおいに交じって花の香りが後ろから漂っていることに気が付いた。普段生活していて花の香りなんて気にしないはずなのにと不思議に思いながら、香りの正体を彼女に聞いてみた。

「なぁ、君は今花を持っているんじゃないか?」

「……えぇ、持っていますけど、それがなにか?」

「素敵な香りの花だなと思って。花の名前を教えてくれないか?」

「……名前までは私も知りません。けれど、私の一番好きな花です。……いい香りですよね」

まだ顔も名前も知らない、雨宿りをしながら柱越しに話しているだけなのに、僕が気に入った花の香りが彼女の一番好きな花だと分かりなぜか少しだけ嬉しくなった。

 

雨のオーケストラが、雨のオルゴールに変わり始めた頃僕はいつの間にか眠ってしまっていたらしい。気づいた時には雨は止み、窓から朝日が差し込んでいた。僕が眠っていた足元に一輪の花が置かれていることに気づき、それを拾い柱の向こう側を見たがすでに彼女の姿はどこにもなかった。

「名前だけでも、聞いておけばよかったな」

雨がくれた出会いは、一輪の花とその香りだけを残して去っていた。

 

 

 

「おかえりなさいませ!昨晩の豪雨の影響でケガでもしていたのではないかと心配しておりました!」

「雨宿りついでに休息をしていただけだ。ケガもしてない、大丈夫だよ」

一族の皆が待つ村にようやく帰った僕は、村の者に会う度に心配され声を掛け続けられた。無理もない、僕は明日6年に一度行われる儀式の大役を担っているのだから。

 

 

僕の名前は「レイン」

オオカミ族を代表して明日、一つの命を奪わなくてはならない……

 










――たった一度見たその顔を、私は覚えてしまった――

 

 

6年前から私はまるで呪いのように幾度も聞かされていた。

「次の生け贄は、きっとお前だな」

「一族の恥だよ!あんたは生け贄になるくらいしか取り柄がないのさ!」

「近寄んなよ!生け贄候補が俺たちに変わったらどうすんだよ!」

「生け贄」という言葉。私は6年の間どれだけ口にされたのかわからない。

私はみんなとは違うことをいつもしていた。右を向いたら左を向いて、下に行ったら上に行って、みんなが寝ていたら私は起きていた。集団で生活する私たち羊族にとって、誰かが違う道を行くのはとても危険なことだった。私自身それは理解していたけれど、それでも皆と同じことをするのがどうしても苦痛で、苦手だった。だから私はいつもひとりだった。皆とは少し離れたところにいつもいた。そんな私を面白おかしく笑い、冷たい言葉を放たれ続ける日々が続いた。逃げ出した時もあったが簡単に連れ戻されてしまった。一族にとって「生け贄」である私は必要な存在だからだ。逃げることもできない、ただ生け贄になる。その日のためだけに生かされている日々が続き、私の中で感情というものが消えつつあったけれど、ひとつだけ心の支えになるものがあった。私の心を癒してくれるものを、生け贄になる3年ほど前に見つけることが出来た。

 

私たち一族は季節が変わるごとに山のあちこちへ移動を繰り返していたので、花が咲く季節になると私はその花の香りだけを頼りに、その花が咲いている場所を探しにいった。名前は知らない、小さくて儚いその花は、私と違っていつも大勢の仲間に囲まれて咲いていた。

「……見つけたっ」

今年も見つけることが出来た。私はその花に囲まれて寝転がるのがなによりも好きだった。温かい太陽の日差しと、その花の香りに包まれてお昼寝をするのが私の唯一の楽しみだった。

「ふかふかで、気持ちいい……」

このままずっとここにいたい。そんな気持ちが私の中で反すうされ、そのまま深い眠りについてしまった。起きた時には日が暮れていて雨が降り始めていた。

「……急いで帰らないと、また……」

逃げ出して、連れ戻されたときにされた仕打ちを思い出し身震いしたが、暗い雨の中を帰るのは無謀だと判断した私は、どこか雨宿りできる場所を探し回り、小屋を見つけることができた。

 

――そして、見つけた小屋に彼が来た――

 

名前も知らない、柱を介しての不思議な空間で私たちは雨宿りをした。私と同じ花の香りが好きという、たったひとつの共通点。たったそれだけだけど、私にはそれだけで充分だった。

 

朝日が昇る前に雨が上がり、私は眠っている彼より先に起きて柱の向こう側にいた寝顔を見て驚いた。ピンと尖った耳、手から伸びる長い爪と鋭い牙。話にだけ聞いていて、見るのは初めてだったオオカミ族。驚きはしたが、不思議と怖くはなかった。歳は私と同じくらいかな。整った容姿をしていてしばらく見惚れてしまった。そして私は今まで誰にも聞けなかった事を寝ている彼に言った。

「……あなたが私だったら、どうしますか?」

夢の中にいる彼にそっとささやく。このまま大人しく、生け贄になる?それとも、最後まで抵抗して生きる道を探す?私は答えが出ないまま生け贄の日を迎えることになるのだろうか。生け贄の儀式は明日。彼に会うことはおそらく、二度とない。

「……さようなら。……今日、あなたに出会えてよかった」

彼の足元に花を置き、私は小屋を後にした。

 

 

「儀式の前日に遅くまで何処へ行っていたんだ?」

「……私はもう、逃げも隠れもしません」

一族の皆が私に声を掛ける。「生け贄」の私には声を掛ける。私がいなかったら別の誰かが生け贄に選ばれるから、私が無事に戻ってきて皆安堵している。……ああ、そうか。やっと分かった。私は自分が生け贄になることで誰かを護っているんだ。これが私の生まれた理由なら、私は私の運命を受け入れよう。

 

 

私の名前は「コメット」

羊族の中から6年に一度選ばれる「生け贄」として、明日その命を捧げる……

 

 









――僕は、その香りに気づいたとき、手にしていた儀式用の剣をその場に落としてしまった――

 

今日はオオカミ族と羊族の両種族から選ばれた者が、6年に一度儀式を行う日。儀式の内容はいたってシンプル。一つの命を生け贄に捧げること。オオカミ族と羊族が暮らすこの山には、古くから守り神がいて6年に一度儀式を行うことで守り神が僕たち一族を災いから護ってくれているらしい。らしいというのは、僕自身その守り神を見たことはないし、皆が口を揃えて言う生け贄の儀式というのをあまり快く思っていなかったからだ。姿形の見えない「何か」に護ってもらっていると言われても実感がわかない。僕は自分の見たもの、感じたものしか信じない性格だった。だから正直、信じてもいない生け贄の儀式の代表なんて嫌だった。けれど僕は一族の中で狩りが上手かったし、同期と力比べをしても強かった。さらに僕の父が18年ほど前に行われた儀式の代表だったこともあり、嫌だと言えるタイミングもなく、とんとん拍子で話が進んでしまった。父と比べられるのも嫌でたまらなかった。父は今まで行われてきた儀式の中で最も早く生け贄を捉えて儀式を終わらせた為、一族の中でひと際有名だった。僕は儀式が行われる10日ほど前に儀式がどういう流れで行われるのかを父から教えてもらっていた。

 

儀式のルールを詳しく説明するとこうだ。

1……オオカミ族と羊族の代表はそれぞれ、守り神が住むとされる洞窟、普段は入れない聖地へと送り込まれる。

 

2……オオカミ族は羊族を生け贄として捕獲し、守り神に捧げる。

 

3……羊族がもしも、オオカミ族から逃げ延び、生きて聖地から脱出できた場合、生け贄になることはない。

 

4……万が一オオカミ族が羊族を捕まえられず、逃げられてしまった場合、オオカミ族が自ら守り神の生け贄にならなければならない。

 

つまり、代表に選ばれた者は、どちらかが必ず命を落とす……

 

洞窟の中は入り組んでいて迷路になっている。そして、今までオオカミ族が羊族をとり逃がしたことは一度もないそうだ。一応、それぞれに身を護る武器を渡されるがオオカミと羊、身体能力の差は歴然。公平でもなんでもないこの儀式を、僕はやっぱり好きになれなかった。

狩り自体は好きだ。獲物を仕留め、その命を明日生きる糧にするためにありがたく頂く。無益な殺生はしたくないのに、この儀式で失われる命になんの意味があるのだろうかと考えてしまう。

 

そんな疑問が消えないまま儀式の当日が来てしまった。洞窟の中は松明が灯されており、何も見えないわけではなかったが、立って歩くと天井に頭が当たりそうなくらい狭かった。羊族の代表は既に奥で待機しているらしい。僕は、命のやり取りをする者と儀式が始まるその瞬間まで会うことはなかった。どんな者が選ばれたのか興味はあったが、手心を加えるつもりは毛頭なかった。普段、オオカミ族と羊族は互いに交流などしない。儀式が行われる前はオオカミ族が羊族を獲物として狩りをしていたらしいが、この儀式が始まってから両種族で取り決めがあり、オオカミ族は羊族を獲物として命を奪うことは禁止になり、更に両種族の交流までも禁じた。だから僕は一度も羊族に会ったことはない。この儀式で初めて出会う、はずだった――

 

洞窟の奥地に着くとそこは大きな空洞になっており、こちら側に後ろを向きながら座っている者が中央にいた。間違いなく、今回の儀式に選ばれた羊族の代表だった。僕は臆することなく中央に近づいていくとこの洞窟には似合わない香りが漂ってきた。

「……この香りは……」

僕は、その香りに気づいたとき、手にしていた儀式用の剣をその場に落としてしまった。この香りを僕は知っている。雨の日の夜、顔も名前も知らない不思議な空間で唯一覚えていた香りだったから。

「……もしかして、君なのか?」

君と呼ばれた彼女が振り返る。振り返った彼女の顔を、僕は生涯忘れることが出来なくなってしまう――


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