じちかいの怪

「やめたい」そう思いはじめて結構な時間が経った。

大震災の2ヶ月後、住んでいるコミュニティの力になりたいと意気込んで自治会の役員になった。実際には輪番で回ってきた役回りだが、意気込んでいたのは事実だ。翌年には副会長となり(副会長は当時6人いた)、様々なイベントの中心的な役割を担ってきた。

しかし、イベントの企画や準備も大変だが、毎月の定例会や担当している会報の制作、夏と冬に行われる夜のパトロールなどやることは絶えず山積している状態で、さらに副会長になったと同時になんの説明もなく自主防災組織に入れられた。こちらも毎月の定例会があり、防災訓練なども定期的に行われる。

そして副会長の一人で地域の重鎮である中学校のPTA会長に、青少年相談員という市のボランティア団体の学区長になれと言われ、しぶしぶ了承した。
これは市内の各中学区に配置される青少年の健全な育成を目的とした子ども向けイベントサークルのようなものである。我が学区のメンバーは10名でそこのリーダーとなった。これも月に一度市内の学区長などが集まる運営委員会なるものが開かれ、さらに月に一度、学区メンバーを集めて学区会なるものも開催しなければならない。

さらにさらに相談員の学区長になると、もれなく青少協という団体のメンバーに任命される。こちらも月に一度定例会がある。

つまり月に5つの定例会があり、それぞれの団体のイベントに参加もしくは企画実施しなくてはならないわけだ。それのほとんどは土日に行われるため、自分の子どもたちとはなかなか出かけたりはできない。

流石にうんざりしてきたので、数年前から自主防災組織には参加しなくなった。自治会よりもメンバーが多いし、以前提案したAEDの設置に関して「うちではやらない、自治会で勝手にやれ」的なことを言われたので、それなら自主防災に参加する意味はないと思ったからだ。

青少協も定例会の参加を減らしている。これは土曜の昼間に開催されるため、仕事の都合上難しいからでもある。

先述した通り、自治会の副会長は6人である。
その副会長たちが次々と辞めてしまった。
引っ越したのが2名、喧嘩して出て行ったのが1名、親の介護で1名、なんとなく辞めたのが1名。
気がつくと会長と自分の二人だけとなってしまった。

そもそも副会長たちは現役の世代が中心となっている。高齢者が6割という我が街では少数派の年代だ。現役の世代は大抵は共働きだったり、離婚をしていたり、30年前とは違って仕事以外にもやることがあって忙しい。さらにこの街に住む住民の多くは都内へと通っている。片道1時間以上電車に揺られて通うことが当たり前である。次第に疲弊してくるのは当然だろう。以前、リタイアした元気な方々を執行部にと提案してみたが、なんとなく却下された。なぜだかは有耶無耶にされてわからなかったが、このような状況ではなんとかしてくれないとこちらが困るのだが。

とにかく自分の中では今年度で身を引こうと決めている。
充分、街に貢献してきたはずだ。

時間がいろいろな所から奪われていく。
離婚をして、貴重な週末の子どもとの時間や、自分のための時間をである。
最近はそんなことばかり考えている。

他人から見れば愚痴に過ぎない、他愛のない悩みだが。

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