「美容で自尊心を高めよ」と自己啓発を煽られる時代
「美容師」と「美容家」
「美容師」として働くためには、免許が必要だ。しかし「美容家」と名乗るための条件はふんわりしている。
現在は、個人が思い立ったときに「美容家」と名乗り、名刺をくばったり、情報発信をすることは黙認されている。影響力を持てるかどうかは別として。
SNSの拡大とともに「美容家」という言葉は美容領域でより身近になっている。企業側が自社の商品・サービスの売上増大のために美容系のインフルエンサーを都合よく利用しているケースも見受けられる。
現在、美容情報はあふれている。あふれすぎている。
実践する美容の選択の自由は広がっているのに、美容で得られる「望ましい効果」の正解は狭まっているように思う。
影響力のある美容家が「これが正解」と言った場合、別の選択をしていることに不安や罪悪感を覚えることもあるだろう。誰かの容姿や若さを賛美するコメントを目にすればするほど、自分のアラが無性に気になることもあるだろう。
そうして、美容医療やサプリメントの需要は高まり、高額化粧品ブランドは今年も「ブランド史上最高」をうたった商品を発売する。
需要を引き起こす場として、SNSや美容雑誌(紙媒体・webメディア)の果たす役割は大きい。
毎月、20日前後に一斉に発売される美容雑誌には、それぞれの雑誌に「美容家の教祖」みたいな人がいるのだが、読者が肌の悩みを相談するコーナーがあって、最近はこんなやりとりが印象的だった。
その後、ビューティーアドバイザーが悩める読者に「そんな悩みにはコレ」と約6万円の美容液を勧めていた。心がときめくなら「それも安い」と思う人もいるだろうし、経済的な余裕がある人もいるだろう。美容雑誌の内輪ノリに心地よさを覚える人もいるかもしれない。だが、教祖のような人に不安を言い当てられ6万の美容液を進められる構図は、ちょっと不気味だ。
こんなふうに、美容が過熱している風潮は日本に限ったことではない。例えば、アメリカや韓国でも「美しくなる」ための整形件数は増加の一途をたどる。楽しんで施術を受ける人ばかりではなく、美容の強迫観念にとらわれる人もいる。
美容家が大切にする「物語」とは?
さて、美容家がライフストーリーを語る時、こういう物語が多いことに気づいた
(1)「昔は無理していた・悩んでいた」
↓
(2)「等身大の美容を見つけて、自分のメソッドを確立した」
↓
(3)「今は内面の美も大切にしているし、無理をしていないから、昔よりも幸せ。おすすめの美容法やアイテムは…」
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(4)「自分のように、皆さんにも美容でハッピーになって欲しい」
この物語を成立させるために、過去の失敗や悩みは必須。そして、その克服につながったモノやコトにつなげ、道を示すのが定番だ。
私は仕事のために毎月ほとんどの美容雑誌に目を通しているが、今まで私が目にしてきた真偽不明の美容術を切り貼りしながら、虚構のインタビューを構成した。
「ラブコメディ研究家」と勝手に自称している人物が書いたものなので、眉に唾をつけて、全てを疑いながら読んで欲しい。
最後のパートだけラブコメディ研究家の素が出てしまったことをお許しいただきたい。
化粧品のセールスコピーでは、使えない表現(薬機法により)がかなりある。しかし、美容家や美容研究家が「個人の感想」としてお墨付きを与える場合、それらの表現を使っているケースが多く見受けられるのは、ちょっと怖い。
インターネットの情報の大海の中には、メディアからまつりあげられている美容家、自称美容家、美容系の資格を持つ経験豊富な美容家など、さまざまな人がいるので、SNSに投稿された写真が不自然に加工されていないか、特定の商品・病院に誘導していないか、しっかり見極めてほしい。
ここまで、いろいろ殴り書きしたが、美容家になりきって好き勝手に文章を書くと1本6万の美容液を使わずとも結構いい気分になれる。「美容家妄想日記」皆さんにもお勧めしたい。