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中編小説「押忍」(10)

「これだよ。オマエはそういう奴だ。自分だけは別次元にいると勘違いして、高いところから俺たちを見下してんだよ。それが伝わってくるからオマエのツレは離れていく。オマエに話しかけるのは俺だけだ」
「俺の人格に関する講義だったら、もう帰るよ」
「まあ待て]
 きびすを返して立ち去ろうとした僕の右肩を掴む指からは、やはり一筋縄ではいかない気勢が感じられました。
 「俺はこの一年、ずっとボクシングを習っている。恥を忍んでオマエの空手道場に入門しようかとも考えたが、それじゃオマエにずっと追いつけないと思ったからな。周りは何だよやっぱり迫田くん強いじゃんよとなって、俺はめでたく三年の番格の座を取り戻し、いつまでも耳に障る噂と闘い続けなきゃならなかった」
「どんな」僕は歩みを諦め、もう一度迫田に向き直ざるを得ませんでした。「あの迫田くんを一発で倒した一年は改めて化け物だった、という噂だ。俺がどれだけ喧嘩相手をブチのめしても、結局オマエの凄さを際立たせるだけだった」
「ご愁傷様でしたと言うべきなのかな」
「ああ、本当に感謝してもらいてえな」
 そして僕らは、少し黙りました。迫田は時を持て余すように、卒業証書の入った筒で自分の肩を二度三度叩きました。
「ボクシングジムに入った当初は、毎日ボロ雑巾のようにやられてよ。でもオマエの逸話は耳に入ってくる。芽衣のことも助けてやったらしいな。負けてらんねえという一心で、今日までジム通いはやめなかった。進学する気持ちなんてさらさらなかったのに、ジムの会長がそれなら将来プロテストは受けさせないとほざきやがって、仕方なく最低限の勉強もしたよ。オマエのお陰でバカ学校とはいえ高校に行くことにもなった」
「俺は何もしてないけどな」
「いいんだ。俺が勝手にそう言ってるだけのことだ」
 そして目の前の男は、僕をじっと見つめてきました。それは確かに闘う男の眼でした。
「去年の秋頃、伊勢佐木モールでオマエのお袋さんにバッタリ会ってな。迫田くんじゃない?て声かけてくれて」
「知らなかったよ」
「俺が強く口止めしといたんだよ。俺がオマエに倒された翌日、オマエだけは中に入れてもらえなかった校長室での話し合いの内容について、何か知ってるか?」
「道場の師範から少しだけ聞いた」
「ウチの親は警察に被害届出すだの訴訟起こすだの、学校の管理不行き届きを新聞社に投書するだの、やり方も知らねえくせにぎゃあぎゃあ騒ぎながら調子乗ってオマエのお袋さんを睨みつけたんだよな。お袋さん、睨み返してきた。タクミが誰かを殴ったというのなら、そうせざるを得なかった理由があるはずです、迫田くんの治療費はお支払いしますが、裁判沙汰にするというのなら受けて立ちます、と答えながらな。俺は速攻でありのままの経緯を告白したよ。嘘はつけなかった。話し合いが終わった後、こっそり声かけられた。正直に話してくれてありがとう、って。それから半年後、街で擦れ違った一瞬に、俺のことをすぐ分かってくれた」
 凄い人だよ、あの人は。
「どこかの帰りかと聞かれ、プロボクサー目指してます、一度ジムに見学に来てください、て思わず言っちゃってよ。タクミと一緒に観に行くわと答えられて、即座にそれは断ったがな」
「水臭いな、唯一話しかけてくれる親友なのに」

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