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長編小説「平壌へ至る道」(87)

 老人はそして適温となった茶に口をつけた。不味い。君たちもどうだ。
 相慶は笑いながら応じた。頂きます。それより民衆は納得したんですか。
 茶は本当に不味かった。そこら辺の雑草を煮出したような味だったが、実際その通りだったのかも知れない。
「割と簡単にな。最初に若い女が夢中になった。ソ連の援助もじゃぶじゃぶあったし、何より金日成本人が、優れた戦略家だった。ただの作られた独裁者なら、これだけ長期間、王座にふんぞり返っていられはせん」
「彼は朝鮮半島内でパルチザンを組織していた訳ではなくハバロフスクで縮こまっていただけ、と見る歴史家もいます」
「朝鮮本土で活動していなかったのは事実だ。しかしそれは問題にはならん。金成柱の活動拠点は当時の満州、大日本帝国の精鋭である関東軍が最後まで死守した牙城だ。一介の民兵組織があの頃の関東軍を相手にゲリラ戦を展開するのが、どれだけ大変なことだったと思うね?わしのアボジは生前よく言っていた。金成柱は天才だった、あれこそが本物の戦略家だった、と。大体ハバロフスクで震えるだけが能だったという男に、あれだけの人間がついていくと思うか?」
「思えませんね」
「彼は若い頃は、本当に民族の希望の星だった。わしらの憧れだった。そして彼自身も私益を投げ打ってでもわしらの希望に応えようとする、熱い精神を持った指導者だったんだ」
「いつ頃から変わり始めたんですか」
「朝鮮戦争が終わって、内部闘争が始まった」
 国内派が消え、延安派が潰され、ロシア派が駆逐され、最後は生き残った満州派内で血で血を洗う抗争が始まった。
「ソ連でも中国でも同じことが起きた。共産主義というのは、理念そのものは素晴らしいんだ。しかし経済活動を計画的に遂行するというやり方は、ある一時期に、ある一点に、情報も権力も材料も集中してしまうという致命的な欠陥と表裏一体でもある。そこに独裁者が誕生する土壌は避けられず、その一点を巡る闘争も起き易くなるんだ。そして生産されたコンクリートは道路や住宅の建設には使われず、権力者とその一族の偶像崇拝像へと形を変えてしまう。ニエレレになるかエンクルマになるか、残念ながら彼はエンクルマの途を歩むことになった」
「すみません、先生。それは一体何ですか?」
 金一峰老人は茶をすすった。アフリカ式社会主義という言葉を聞いたことはーうん、二人ともないようだな。
 一九六〇年代から七〇年代にかけてヨーロッパ列強の植民地支配から独立を勝ち取ったアフリカ諸国の幾つかは、社会主義体制を選んだ。資源に乏しく、インフラはなきに等しく、雑多な部族が寄り集まった国民が共通する言語や価値基準も持ち得ない、というアフリカ大陸独自の問題を抱えた多くの国では、自然発生的に産業が興り経済が成長する萌芽は期待できず、国家が主導し計画経済の先鞭をつけることでしか発展への道筋を示すことができなかった。まさに朝鮮戦争直後の我が国の荒廃具合も、そんな感じだったよ。
 タンザニアの初代大統領となったニエレレは穏健な統治を続け、自らの失政に対しては潔くこれを認め、潔く次世代の民選大統領へと権力を譲渡したことで、その後も英雄として国内に留まり、英雄として死ぬことができた。
 ガーナの初代大統領、エンクルマは、自らの後ろ盾であった軍への粛清の開始と中央集権化、それに伴う自らの神格化と敵対勢力への弾圧を進めた挙句、外遊中にその軍によるクーデターで権力を失い、故郷にもう一度戻る夢も叶わぬまま、療養先のルーマニアで失意のうちに死んだ。
「伝説の将軍金日成として国に帰ってきたのが、そもそもの間違いだった。金成柱という本名のまま指導者になっていても、彼ならば民衆はついていった。嘘に嘘を重ねてきたから、余計に個人崇拝の推進が避けられなくなったんだ。かつて有能で熱心だった青年政治家は、裏切りと騙し合いの人生を経て、猜疑心に凝り固まった。自分しか信じられない哀れな老人へと変わり果ててしまったよ」
「金先生のアボジ、御父上は大丈夫だったんですか?」
「粛清されなかったのか、という意味か?」
 若者は頷いた。
「アボジは家族思いの男でな、権力闘争が激しくなる前、一九六五年に病気で死んでくれた。英雄のまま生涯を終えることができた、数少ない抗日闘士の一人だよ。生きていればいずれ何らかの罪状をでっち上げられていたかも知れんし、そうなればわしも今こうして呑気に茶をすすってはいなかっただろう」
「金先生ご自身も、職業軍人だったのですか」
 老人は微笑んだ。
「満州パルチザンの息子に、他の人生は許されなかったよ。わしは情報分析官として二十五年を過ごしたが、南鮮の朴正煕が側近に射殺されることを精確に予想していたのはわしだけだった。もちろんそれを上に進言などできん。強権者でもあった韓国大統領、朴正煕の暗殺にかこつけて独裁政治を暗に批判しているものと捉えられかねないからな。それでも人の口に戸は立てられん。首領はわしを呼びつけ、人払いをして自分が下座に着席した。天上人からそんなことをされれば、わしも自分の分析結果を余すことなく報告せざるを得ない。そういう腹芸にも長けた男なんだよ、彼は。そして自分で言うのも何だが、わしはこの国の近代史上、唯一金日成を見下ろす時間を許され、かつ今なお生き永らえている兵士となり、党員となった」
「先生にはその価値がおありです」
「世辞はいらん。しかしわしが出世しても、周囲はわしの能力によるものとは見做さなかった。あいつは首領様から名前を付けられた男だから、あいつは満洲派の息子だから、と陰で囁かれた。そして四十八の時、少佐へ昇格した直後だったな。同じく朝鮮人民軍に所属していた息子が対南工作の最中に死んだよ。故障した潜水艦のハッチが開かずに乗組員全員が窒息死した。一番苦痛な死に方の一つだそうだ。相手と砲撃を交えた結果、名誉の戦死というのならともかく、身内の老朽化した設備によってむざむざ殺されたんだ。平壌のあの親子が一日贅沢をやめるだけで、潜水艦をちゃんと整備する予算は捻出できたのに」
 その声を震わせながらも、老人は節度を保ち続けた。
「妻はそれ以来寝たきりになり、精神も病んだ。二年後の朝、わしのための最後の朝食を用意してから、ベランダまで這いずって、執念で柵を乗り越えて落下した。この国で自殺は大罪だ。無謬の指導者により等しく人民が良質な生活を享受できているこの地上の楽園に不満があった、という罪になるんだ。わしは連座制で有罪が最初から決まっている裁判にかけられるか、妻の死を『誤ってベランダから落ちた』とする検死報告書に署名し潔く身を引くかの選択を迫られたが、悩むことは全くなかった。ほとほとこの国にも軍にも同僚にも嫌気がさしていたし、喘息の治療を理由に軍を辞めて、平壌に与えられたアパートも返納し、ここ祥原に引っ込んだ。退役軍人年金で細々と糧をつなぐ毎日だよ」
 老人はそして、そのかさかさに乾いた両手で膝を掴んだ。
「わしのたった二人の家族を奪った、あのおかしくなってしまった爺さんにメッセージを送る仕事を、僑胞の君に押し付けることを心苦しく思う。二千万人の共和国国民に代わって礼を言わせてもらう」
 老人は深々と頭を下げ、相慶はその体を起こした。いくつか教えて欲しいことがあります。
「いくらでも。今日はここに泊まっていけ」

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