中編小説「押忍」(49)
「ムラタくん、どないしたんや」
桜ノ宮駅前のファミレス。席に着くなり二宮先生が口を開きました。
「今日の残り一分、加藤の手抜きはもちろん分かりましたやろ?」
「押忍」
「ムラタくんのプライドを傷つけたなら謝るけど、他の道場生の目前で、わざわざ新極北から来てくれた客人をボコボコする訳にはいかへんかった」
「ご配慮に感謝します」
「空手、もうやってへんのか」「やってないに等しいです」
二宮先生は小さく溜息をつきながら、僕の湯呑に茶を注いでくれました。
「僕ら整同館の人間は、正直極北館の奴らを内心バカにしてましたんや。もちろん会員数も選手層の厚さも、そちらさんの方が圧倒的に上でっせ。でもいつまでも技術に進歩のない空手やと、実は思ってた」
「反論の余地はないです」
「押忍押忍言いながら筋肉ばっかりつけて、胸板叩きあって押しあって、最後は体力勝負みたいな組手スタイルを、僕らは秘かに『相撲空手』と呼んでました」
「言い得て妙ですよ」
「まあ、基礎体力では到底かなわん、根性でも負けてる、ただ技術的にはこっちの方が先行っとる、いっちょキョクホクの筋肉バカ連中に、進化したフルコンタクト空手はこういうもんやっちゅうのを見せ付けてやろうやないけ、僕らはいつもそんな風に叫び合ってから、大人も子供も極北館の大会に参加しとりました」
「不公平な判定ばかりですみません」
「他流派の大会なんてそんなもんですわ。僕らはそれを悔しがることはなかった。初めて僕らがガツンとやられたのが、ムラタくんがこの加藤との試合で見せた組手やった」
加藤が会話に参加してくる。
「整同館もフルコンの制限されたルールの中で、合理的に人を倒すテクニックは極めた、あの頃は俺らにもそんな驕りがあった。だからムラタが俺の左ミドルに右足の後ろ蹴りを合わせてきた時、俺だけやなくてこっちの連中全員、小便漏らすほどのショックを受けたんよ。あれは他競技からのアレンジ?」
「カポエラ」
「そんなとこからよう見つけてきたな。まあでもとにかく、蹴り技に蹴り技でカウンターを入れるという発想自体が俺らにはなかった。それを実践で綺麗に決められて、みんな溜息しか出えへんかった」
加藤はそして、カバンからUSBを取り出しました。
「ウチの全日本大会や。極北館の全日本に比べれば子供のママゴトみたいなもんかも知れんけど、良かったら今夜ウチで一緒に観ようや。ムラタの後ろ蹴りのカウンターが、今や整同館組手の主要な技の一つになってることが、それで分かるはずや」
二宮先生がテーブル越しに、僕の拳を握ってきました。ムラタくんは、中一の分際でウチの技術体系の歴史まで変えはったんやで。
「空手、もう一度がっつり練習してください。頼んますわ」
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