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中編小説「押忍」(12)

 奴のジャブを避けられなかった僕はその日、いつもより激しい練習を自分に課しました。普段は空気を読まない、というか読めないくせに、空手に関する心の機微にだけは敏感な師範は、そんな僕に注意も質問も投げてこず、普段より強度を上げたスパーリングで僕を痛めつけてくれました。
 帰宅後、今日迫田と会ってきたよと話しかけた時、母さんの少し泳いだ目が、誰からも愛される人にこれほど気を遣わせてきた僕であったことを教えてくれました。
「迫田くん、何て?」
「ジムに見学に来てくれたと感謝してた」
「そう。タクミに黙っとくつもりはなかったけど」
 僕は笑ってその言葉を制しました。「あいつ、どんなファイトスタイルだった?」
「そうねえ―サウスポーのアウトボクサーだった。意外だったけど。でも綺麗なボクシングするわよ」
「―あんたの口からアウトボクサーという単語が出てくるのが意外だよ」
 
「タクミ、三月末の全日本大会中学生の部、オマエもエントリーするか?」
 僕の人生の方向性を決めてくれた、中一の終了時に起きたもう一つの出来事。それは師範から参加を勧められた全日本大会でした。
「押忍、ただ自分はまだ体格差があります」
「今年から65キロを境に体重別になる。怪我人も多かったし、さすがのケンカ空手総本山も傍観できなかったようだ。軽量級はどれだけ集まるか分かんねえから、今回だけは地方大会の実績は問われず、道場推薦でも参加できる」
 昨年まで中学生の極北館全日本大会は成人部と同様、体重無差別のトーナメントが一つあるだけで、成長期の中学生にとっては一つの年齢差がそのまま圧倒的な体格差となるため、エントリーするのは実質的に中学卒業直後の三年生ばかりでした。体重別制の導入は、「技術はあるが体の小さな低学年の選手」にも門戸を広げるものでした。
 参加を即決し、僕は毎日道場で師範相手に二十ラウンドのスパーリングをこなし、時々は成人の練習生にも付き合ってもらいました。
「押忍、ありがとうございました」
 校長室での一件を境に、組手終了後、相手に頭を下げる習慣を自らに課すようになった僕に対し、それまで無視を決め込んでいた大人たちも、徐々に白い歯を見せるようになっていました。
「タクミくん、結構いい所まで勝ち上がれるんじゃないかな」
 
 そして大会前日、開催場所である台東区の体育館で計量を済ませ、僕は師範と近所のスパゲティ屋に入りました。
「タクミ、聞けば気分が悪くなる話をしてやろう」
「それなら結構です」
「初戦と二回戦、絶対に一本勝ちしろ。判定を拾うぐらいなら負けてこい」
「理由を教えてください」

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