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中編小説「押忍」(20)

「最近元気ないわね」
 母さんはあの日、僕の好物であるニンニク入り餃子を焼きながら尋ねてくれましたね。
「ちょっと今スランプで」
「お母さんと一緒ね」
 箸を動かす手が止まりました。「どうした?」
 母さんは笑って手を振りました。ときどきお腹がね、でもたいしたことはないの。
「私ももう三十七、いつ更年期障害が始まってもおかしくないトシだし。タクミはどうしちゃったの?」
 俺の話はどうでもいいよ、そう答えようとして、答えられませんでした。
 母さんが自分の話題を意図的に避けたのが、分かりましたから。
「加藤とやって以来、燃えるものがなくて」
 母さんはしばらく黙したまま餃子を焼き続けていましたが、やがておもむろに聞いてきました。
「タクミ、極北館の会員って、本当に国内だけで二十万人もいるの?」
「せいぜいその半数だろ」
「それでも凄い数字よ。母さんのスナックがお客さん十万人を突破するには半世紀かかるもの。その中で全日本大会に出られる選手が何人いる?体だって疲れてるわよ。タクミは八歳の時から、ずっとずっと必死に空手をやってきた。他の子とは最初から覚悟が違ってた。子供の頃のあなたは、無意味な同情を向けてくる人たちを遠ざける手段として、毎日道場に通って技を修得していったのよね」
「―確かにね」
「でも加藤くんと試合している時のタクミは、本当に楽しそうだった。空手が好きで好きでたまらない、というのが背中から伝わってきた。会場内のあの空気を、加藤くんとたった二人で作り上げたあなたに、大声で叫びながら殆ど泣きそうだった。あなたが空手を楽しんで、それを見た誰かが心に何かを残して帰っていく、そんな状況を神様に感謝せずにはいられなかった」
「―」
「今までよく頑張ってきた。少し休む時期があってもいいじゃない」
「さすがは親ですな」
「そう、さすがは親でしょ。ビールついでよ」
 母さんには何らかの予感があったのでしょうね。
 だから中二になった僕に、こちらから欲しいとは一言も言わなかったのに強引にスマホを持たせたのでしょう?
 
 その年の六月、とある地方大会に員数合わせで出場した僕は、準決勝まで進みましたが、その過程に勝利の喜びはありませんでした。相手がただ萎縮し、自ら決着を放棄したような試合が続き、これが天下の極北館の連中なのかと失望しながらの勝ち上がりでした。
 そして、母さん。
 あの大会は、母さんの「検査入院」とも日が重なりましたね。
「会社が一泊二日で人間ドックを受けさせてくれることになってさ、タダで体中を精査してもらえるんだからオイシイ話でしょ?」
 その話の不自然さに、本当は気付いていたと思います。
 握りしめた拳に自分の魂が注がれるような時間を一秒たりとも味わうことなく、僕は準決勝で敗退し、三位決定戦は棄権しました。
 入賞者への賞状と楯を持って帰宅することがどうしてもできず、帰りの電車、駅ホームのゴミ箱に捨てました。そんなことをしたのは、僕の空手人生で最初で最後のことでした。

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