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中編小説「押忍」(43)

「もっともスナックは半年程度で辞めるつもりだった。でもあの人、綺麗だし客あしらいも上手いし、私が彼女を引き留め続けたの。タクミには週末ごとに寂しい思いをさせている、ちゃんと育てると大見栄切って奪ってきた子の人生に、自分は親としての責任を果たせていない、とよく嘆いていた。でも私に言わせれば、あの人ぐらい立派な母親は他にいなかった」
「僕もそう思います」
「だからタクミ、香ちゃんを許してあげてね」
「許すも許さないもないですよ。母には感謝以外の思いなどありません」
「あんた、優しい男だね。何で彼女ができないんだろうね」
 
 葬儀や生命保険の手続き、初七日を終えて、僕は川崎市麻生区の叔父の家に引き取られることになりました。十四歳の僕に、他の選択肢はありませんでした。
 川﨑の家では叔母も優しく、新しい中学校は平和そのもので、そのどちらも心の置き場所がないという点で共通していました。
 毎日通うことが物理的に不可能となった横浜、関内の道場。週末ごとの師範たちとのスパーリングが、僕のその頃の毎日を、文字通りつなぎ合わせていました。
 ある夜、無理して仲の良いフリをしながら過ごすのはお互いにやめましょうと夕食の席で提案した僕に、まあ実質的にはずっと他人だったし、私もタクミくんには正直気を遣う、と答えてくれた従姉妹の率直な言葉が、逆に僕たちの日常を少し楽なものにしてくれました。世間は師走と呼ばれる時期になっていました。
 冬休みに入ったある朝、叔母が僕の部屋をノックしました。
「タクミくん、手紙が来てるわよ」
 手渡された封筒の文字に見覚えはなく。裏返すとそこに差出人の名がありました。
『村田イク』
 僕はすぐに封を開け、中身を読み、その日の残りをずっと、ざわついた気持ちのまま過ごしました。
 夜になってようやく、手紙の主に電話をかけることができました。
ー明日お伺いしてよろしいでしょうか、突然で申し訳ないのですが。
 
 母さんの実家は、三島にありました。でもあなたが生前それを僕に教えることは、とうとうありませんでしたね。
 杉の木が一本、真っ直ぐに伸びたその下に佇む木造の平屋。いかにも母さんが育った家のようだと思えばそう見えたし、まったくイメージではないと思ってもそう見えました。
 老婆ー母さんの母親である村田イクーは僕を座敷に通し、お茶を出しながら、香のアルバムを見る?と尋ねてきました。
 断る口実はありませんでした。
「これがあの子の父親。香が幼稚園の時に肺がんで死んだ。そのことは聞いた?」
「少しだけ」
「あの子の兄の話は?」
「それも少し」
「みんないなくなってしまった」
 溶けてしまいそうな声でした。
「中学時代の香。ファンクラブまであったの」
 整理券の話は本当だったのでしょう。続けて高校時代、大学時代。時系列に几帳面に写真が貼られたそのアルバムは、そのまま老婆の性格を物語り、その遺伝子を受け継いだはずの母さんの性格までも物語っていました。

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