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中編小説「押忍」(54)

 あの後稽古を重ねてきたのは別に俺だけじゃない、という当たり前の事実を、数えきれないほどの攻撃を喰らいながら、僕は文字通り痛感していました。追われる立場となった者が抱く重圧は、追われる立場となった者にしか分かりません。だからこそチャンプであり続ける者は、それに相応しい尊敬を周囲から注がれるのでしょう。加藤はまさに尊敬に値するファイターでした。こんなにすごい奴が同じ歳にいるというのは幸せなことだ、と僕は思いながら、ずっと殴られ続け、蹴られ続けました。
「ムラタ」
 三ラウンドのスパーリングを終えた後も、チャンプは呼吸を乱しませんでした。
「五月より腹硬くなってるな」
 技術的に見るべき者がない相手には、直腹筋の発達ぶりを褒めるしかなかったのでしょう。それでも僕はその言葉を素直に喜びました。三ケ月前には散々翻弄された攻撃を、今日は少なくとも立って耐えることができた。
 フルコンタクト空手で一番大切な要素は、「打たれ強さ」です。技のキレやスピードより、相手の攻撃を体に受け続け、それでも立っていられる頑丈な心身、これが最も重視されるのです。そうした競技スタイルを「ただの我慢比べ」と嗤う人は大勢います。でも僕には、それこそがこの武道の最も長けた点だと思えるのです。運動能力に恵まれなくとも反射神経が劣っていようとも、努力の蓄積と心の持ちようで一流選手になれるチャンスがある競技は、そう多くはありません。
 道場の練習生を相手に組手を続ける加藤を眺めていたら、唐突に頭をはたかれました。
「いてっ」
「いて、じゃねえよ馬鹿野郎」
 師範は隣にしゃがんできました。テメエの土俵で好き勝手やられて、オマエ悔しくねえのかよ。
「よく見ろ、加藤の動きを」
「押忍、それがさっきから自分のしていることです」
 もう一度頭をはたかれました。全く気付かねえのか?
「技の一つ一つに気を取られてんじゃねえ。せっかくこの位置で観察できるんだ、あいつの動きを流れで捉えてみろ」
 最初からそう教えてくれりゃいいんだよ、くそゴリラーとはもちろん口にできるはずもなく、言われた通りにチャンプの動作を追いかけました。
「ーあ」
 流麗な彼の体捌きは、流麗であるが故に、その微かな無駄な動きを、かえって鮮明に浮かび上がらせてくるようでした。
 加藤は二分ごとに相手を替え、その質を落とすことなく動き続け、僕はその一点だけを観察し続けました。
「どこだ」師範が小声で尋ねてきました。
「左ヒジ」僕も同じような声で応えました。
「ようやく分かったか。この後もう一度加藤と三ラウンド、どつき合ってこい」
「押忍」
 再び加藤に相手を頼みました。テーマを定めたことで、さっきよりはずっと頭も整理されていました。

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