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雷魚

大変不思議なことではあるが結婚したので義理の姉ができた。義理の姉の駒子はエキセントリックな人間で初めて会った時に特に何を話すでもなく、こ洒落たレストランで私と妹である妻の向かいに座りながらスマートフォンを一心不乱に弄り倒しこちらを見ずにどうぞ好きな話をしてくださいこちらは課金してゲームに忙しいのですが話はちゃんと聞いていますので大丈夫です、と言い放って本当にずっとガチャを回し続けていた。思えば駅で一目見た瞬間から、私は駒子が苦手だと察していた。駒子は背骨が半分ないみたいな人間でぐんにゃりと立っており揺れながら歩く、人間というよりは人間になる途中で人間になるのを諦めた雷魚の化身とでも言った方がピッタリ言い表せるくらいに自我に目覚めていない人間で女性にしては珍しいタイプの脳髄を所有していた。そもそも駒子が私と初対面であるのにも関わらず我が家に泊まりに来た理由は、妻の実家の風呂が壊れたから職場にもオタクの聖地である池袋にも近くて便利な妹の家の風呂に入りに来ただけのことだった。実家の近所のスーパー銭湯に行く方が余程楽しいし簡単な気がするのだが、私も妻も駒子なりに考えがあってかなり歳上の義理の弟である私がどんな人間か吟味して妹を守護する或いは説教など一席ぶつ目的で我が家に来るのだと勘繰っていたのだが、蓋を開けてみたら単純に外で風呂に入ることができないだけであり(妹の住む家は実家の延長という考えだ)、駒子に特別な思想もなければ姉としての矜持もなかったのである。駒子はどこまでもエキセントリックな姉だった。私は一言二言話してすぐに理解できた。こういう人間は知っている。貧乏長屋で知り合った歯が揃っていない住人達や、とっくに飛んだ実父のこしらえた多額の借金を取り立てにくるチンピラの類。何せ人間になる途上で人間になるのをやめた人々である。筋金入りに利己的だった。そしてこういう大人になりきれなかった人間は簡単に他者に牙を剥いたり平気の平左で嘘を吐く。私や妻が歯科衛生士という立派な職業に就いているのにいつまでも実家暮らしをやめない姉に苦言を呈したりしていたら、すっかり私に苦手意識が芽生えて私の家と妻の家との顔合わせの日も私の家族にろくに挨拶せずとんずらを決めたのだった。駒子は妻の実家で暮らしてはいるが親戚が来ても自室に籠ったきり出てこないのでこれが通常運転とはいえ、義理の父も苦虫を噛み潰したような顔をして娘が池袋のアニメイトに出かけるのを眺めていた。通常運転してはいけない日というものが人間の生活には度々訪れるものだ。私は駒子がまさか両家の顔合わせをブッチするとは考えておらず、空気を読めない私の実母が私の妻の容姿を褒めるのをあらかじめ禁止しており、それは駒子の名誉のためであったのだが、当の本人はアニメイトでボーイズラブのエロ本を買い漁りに出掛けていたものだから、可哀想なことに私の妻の容姿を褒める以外に話が思い浮かばなかった私の実母が食事中にもかかわらず飼っている猫が殺した首のもげた血だらけの鼠を自分のところに持ってきた話をひねりだしたりしていた(駒子と私の美人の妻は姉妹と思えないほど容姿が似ていないので、そのことも駒子が現実と格闘するのをやめた理由なのではないかとも察せられるが、当然ながらそれとこれとは話は別である)。

私は駒子が好きでも嫌いでもない。興味の対象外なのである。私は自分で自分の人生を創造し腐臭漂う竹藪の中を切り開いてきた。だが義理の姉は違う。私は十代で実家を逃げ出し、駒子はいつまでも大人になれず実家で暮らしてボーイズラブを読み耽っている、ただそれだけのことなのだが、私の妻にはそれがどうも面白くないという。そうやって駒子を悪様に言うのはやめて欲しいと妻は言う。私は興味の対象外の人間に何かを感じることはできないと変わらず言い続けているだけなのだが、頭の処理能力の追いつかない妻にはどうしても理解できないようだ。駒子が泊まりに来た日に感じた違和感は忘れ難い。私は私の好みに合う人間とだけ付き合ってきた。それが駒子は義理の姉という肩書きだけで私の人生に登場して来て私の寝具で寝てテレビアニメを観て過ごし、慣れない家だから一睡もできなかったと泣き言を遠慮なく吐くわけである。友人でも愛人でもない人間が、私の家にいる不思議、強烈な違和感が私を包んでいた。これは一つの発見だと私は喜んでいたが、そんなことは顔には出さない。私は直情型ではないが火の玉の様な性格のため、駒子の様におっとりしつつもデリカシーのない人との接し方がわからない。しかしながら面白いことに家で飼っている文鳥は駒子が好きでたまらないらしく、駒子を見つけると文字通りすっ飛んできて周囲から離れようとしなくなる。駒子の雷魚性を感じとり同じ下等生物として仲良くしていこうという連帯感が文鳥をそうさせるのかは鳥本人が喋らないためわからないが、駒子自身は文鳥が大の苦手で悲鳴をあげたり強めに突かれてもフリーズしてやり過ごそうとする。私も私の妻もその様子を見ながら腹を抱えて笑う。それでも妹に負けたくない駒子はマッチングアプリをダウンロードして目下絶賛婚活中であるが、根気がなく男性恐怖症のため、結婚相手のガチャはなかなかうまく回せそうもないけれども、当人はいたって何も憂いているわけではなさそうだ。誰も見向きもしない池に漂う自己憐憫に忙しい孤独な雷魚。私の姉はそういう人なのである。

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