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あ!蟹だ!

若かった。若いから射精と女体の幻影に囚われていた。とてつもなく愚かだった。私は高校生だった。私はまだ半人前だから道を誤ったのではなくそもそも生まれた時から何もかもしっくりきていなかったのである。これは罪の告白ではない。単なるフィクションだ。

高校1年生で既に私は童貞じゃなかった。理由は色々あるだろうが、一番は私がかわいいからで付随して理由づけるなら私が極悪人だからだ。大学生の塾の講師だった人と春先に懇ろになって秋の終わりに別れた。先生には将来を約束した彼氏がいて、彼に我々は別れさせられたのだった。彼氏は長髪の美男子で目が血走った人だった。彼氏は私と塾の講師だった人を並んで正座させて1時間くらい啓蒙思想を説いた。校長先生のお言葉。永遠を感じるほどに説法は長かった。私はむっくり立ち上がって彼氏のミゾオチを古武術の突きで打って悶絶させてしまった。塾の講師の人は唐突に暴力を振るった私を見捨てたのだった。当然の結果として私は自由に使えるヴァギナを喪って途方に暮れざるを得ない。実りの秋は射精の秋である。内心焦った私は友人たちの誘いを受け入れてまだ暑かった館山の旅行にすがる思いで向かった。友人たちはもちろん童貞で、私は童貞ではなかった。私は麻薬常習者と同じで、セックスに脳を支配されており優越感とは逆の感情を友人たちに持った。彼らは汚れちまった悲しみに小雪が降りかかっていなかった。羨ましかった。初秋の館山の海岸には若い女性がちらほらいた。私と友人たちはナンパをしようと考えて房総半島の南端まで来たというのに勇気が出ず誰にも声をかけることができない。ほてった肉体を冷やすためひとまず海に入ることにした。大きな浮き輪に掴まる男子4名が悲鳴をあげる。なんといっても季節の変わり目だ。海には毒針を宿したクラゲたちが大挙して流れてきていたのである。

意気消沈して投宿していた宿に戻ると宿主のおっかさんが、ナンパ上手くいった?と聞いてきた。今日は秋祭りだし、女性はゴキブリホイホイよりも楽に捕まるよと背中を押してきたおっかさんが我々の失敗を感じてせせら笑う。童貞じゃそんなもんか。うちに連れてきてもうるさく言わないつもりだったのに、とおっかさんは言う。馬鹿だよお前らは。おっかさんはぶってりと肥えた体躯を1回転させると、昔ならわたしもやり手だったので4本くらいの筆下ろしをするのはワケなかったのによおと言って我々の背中を呵呵大笑し叩いた。その日の宿には釣り客のおじさん2人組と高校生の我々4人の他になぜか若い夫婦が泊まっていた。食事所の宴会場で若い夫婦の奥さんがそこそこに美人であることに我々は気づいた。自称温泉漁師宿は違法な改築を加えており、騙し絵のようになっていたから布団部屋の小窓から女湯が丸見えなのは確認済みである。私と友人の1人はそれを知っていたが、覗きは犯罪であるから他の2人には黙って布団部屋の小窓に待機した。若い夫婦の奥さんが食事を終えてほどなく風呂に入ってきた。私と友人は息を飲んで奥さんの白い裸を覗いた。きめ細やかな肌が亡霊のように綺麗だった。奥さんの裸をみて感極まった私は童貞3人にこれから秋祭りに向かって次こそは房総の尻軽女に声を掛けようと誘った。ときは今あめが下しる五月哉。敵は「本能」寺にあり!

天気予報の通りで夕方から台風の影響により暴風雨になった。当然、秋祭りは中止になって制欲のハケグチたちとの縁も切れた。私は奥さんの白い肌を思い浮かべながら傘もさせない暴風雨の中を外にでた。友人たち3人も私の奇行を面白がって付いてきた。宿のおっかさんは波に攫われねえようにすんだぞと大きな懐中電灯を渡してきて送り出してくれた。暗い岩礁地帯に行くと何メートルもある巨大な波が頼朝が隠れていたという岩場を叩きつけながら洗っていた。白い泡が雪のように頭上から降ってきた。私と友人たちは暴風雨に荒れる海を眺めていた。こんな素晴らしい景色があるなんて信じられないと目をあわせ感動した。生暖かい雨が身体を叩きつける度に清められた様な殺されたような不思議な感覚に包まれながらふと私は岩場の方をライトに照らす。我々は照らされた岩場を見つめながら大声で同時に叫んだ。「あ!蟹だ!」懐中電灯に照らされた岩場には何百匹もの大きな蟹が岩場に繁茂する海藻に張り付いていてじっと大波に耐えているのだった。我々は「それ」を見ると急に怖気付き何も言わないで走り出していた。混沌が暗闇で笑いかけた気がした。1人は岩に足を囚われて転んで血だらけになるまで膝を擦ったほどに我々は潰走状態に陥ったのである。

宿に戻っておっかさんにバスタオルをもらったり友人の1人の怪我した膝にヨードチンキを塗ってもらったりしながら、我々は興奮状態にあった。おっかさんは呆れながらも、やり手時代のエロ話をしてくれて我々を笑わせて落ち着かせてくれた。それから今夜は全員味見してやっからよおと本気なのか冗談なのかわからないことを言った。ロビーには釣り客たちの写真が飾ってあり、その中には1人の女性の写真が貼ってあって私はなぜかその顔が気になっておっかさんにこれは誰か聞いた。それはうちの不良娘だよ。東京でモデルをしている。スーパーのチラシとか婦人雑誌の広告専門のモデルだよ。長女だしうちの宿を継げばいいものを何を血迷ったんだか。特別別嬪というわけではなかったが、人を惹きつける何かがある。奇縁。私とその写真の女性が東京で偶然会うことになるのは3年後であるが、この話はまたの機会にしようと思う。

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