”生きづらさ”を克服するためのヒントをトーク番組から学ぶ
いきなり初回で、重いテーマの投稿をしてしまいました。しかも内容は、管理人自身のことではなく、引用であることもご容赦願います。”生きづらさ”にはグラデーションがあります。2021年の統計では15.4%*を占めるといわれる貧困層の方々の”生きづらさ”は自己否定感を強く伴うものと指摘されており、このような厳しいものから、自己否定感を伴うものでなくても”生きづらさ”を感じていたり、側から見たら”生きづらさ”があるように感じても、当人にその自覚がない場合もあるでしょう。幼少期においては”生きづらさ”を感じていても、大人になって克服した方も多くいらっしゃいます。今回の記事は、最後のケースについて、週末に観たトーク番組で学んだ内容を共有します。
トーク番組に初出演した米津玄師が語るエピソード
毎日放送で、8月25日(日)に放映された「日曜日の初耳学」に、米津玄師がゲストで招かれました。トーク番組に初出演だったこともあり、視聴者が初めて耳にする内容も多かったと思います。米津玄師は、生きづらさを感じながら幼少期を過ごしていたようです。大人になっても人とのコミュニケーションが苦手であることを自覚しながら、様々なきっかけや出会いを通じて、才能を開花させてきたという、数々のエピソードを、興味深く聞くことができました。今の子どもたちにも参考になる点が多いと感じます。いつか自叙伝が出たら、ぜひ読んでみたいとも思いました。まずは、その内容をかいつまんで紹介します。
”生きづらさ”を克服するためのヒント
エピソードを聞いていて、大事なことだと、改めていくつか感じたことを共有します。それは、”生きづらさ”の全てのグラデーションに適用できることではないかもしれませんが、参考になる面もあると思い、”生きづらさ”を克服するためのヒントとして共有します。
まず、徳島にあるおじさんの家の周りの自然の中での体験です。その体験をベースに、米津玄師は自身の感性を育むことができたでしょうし、その体験があるから、ジブリ映画をより楽しめることもできたのではないかとも思います。
更に、そのジブリ映画を通じて、宮崎駿に感染したことです。感染は、宮台真司の『14歳からの社会学 ―これからの社会を生きる君に(世界文化社・2006年)』からの引用です。宮台真司は、人が学ぶ動機は、競争動機・理解動機・感染動機の3つがあり、競争動機は勝った時、理解動機は分かった時だけ喜びが得られるが、感染動機は、感染状態が持続している間中、喜びが得られるので、非常に強力な、学ぶ動機づけであると指摘しました。米津玄師は、宮崎駿に私淑していると自ら語っているように、正に、感染している状態だったといえます。結果、それは大人になって、「風の谷のナウシカ」をモチーフとして「飛燕(2018)」という楽曲を生んだり、宮崎駿の人生哲学を参考にしながら「パプリカ(2019)」を着想したことなどから、多くの影響を受けてます。宮台真司が指摘したように、誰かに、何かに、感染することは、人が成長する上で、とても大きな、ポジティブな影響を及ぼすことだと改めて思いました。
次に、制約は創造性を育むということです。内にこもる性格だったことによる生きづらさは、必ずしも悪いことだけではなく、米津玄師は、それを埋めるために、絵や音楽に没入し、才能を育むことができました。制約は創造性を育む事例はよくみかけます。みうらじゅんも、一人で家で過ごす寂しさを埋めるために、友達を家に遊びに誘い、飽きられて帰ってしまうことがないよう、様々な工夫や努力をしたようです。そうした経験が、類稀なる収集家になり、思いついた妄想を面白く発信できる才能を育んだんだろうと思います。
そして、読書の力は大きいということです。そのきっかけは、制約は創造性を育むことと重なるかもしれません。「周りの人が何を言っているかも分からなく、それに対してどう返したらいいのか、何が正解なのかが分からなかった。」ことが、米津玄師が読書に向かう動機付けになったことは想像できます。きっとよいアドバイスをしてくれた大人がいたのでしょう。『春と修羅』(宮沢賢治)は、10代後半の神経質だった頃、お守りがわりにカバンに忍ばせせるほど身近なものになり、大人になって、私含め一般人が使いこなせないような「私淑」という言葉を駆使することができたり、廃品回収車の「壊れていても構わない」という言葉に、寂しい響きと、懐が広い響きの二重の意味を感じるような感性も育み、それも歌詞に引用し、歌詞に「影(死のイメージ)」が多く登場するのは「影(死のイメージ)が色濃くなるほど、光(生のイメージ)が輝きを増す」という発想からで、それは、読書を通じて得た概念のようでした。その人生哲学ともいえる概念は、ジブリ映画の影響もあるかもしれません。
【余談】光と影といえば、同じ週末に観た、大河ドラマ「光る君へ」の台詞とも重なります。臨終の床にある、安倍 晴明(ユースケ・サンタマリア)が、藤原 道長(柄本 佑)に語る言葉です。「ようやく光を手に入られましたな。(中略)ただ一つ、<光が強ければ闇も濃くなります>。そのことだけは、お忘れなく。呪詛も祈とうも人の心のありようなのでございますよ。私が何もせずとも<人の心が勝手に震えるのでございます>。」何とも含蓄のある印象的なシーンでした。(<>は管理人が強調のため追記)
自己肯定感で才能を開花したケース
この週末、もう一つトーク番組を観ました。フジテレビで、8月25日(日)に放映された「だれかtoなかい」です。仲野太賀と染谷将太がゲストで招かれました。仲野太賀のエピソードが中心の回でしたが、幼少期に注がれた親の愛情が、いかに自己肯定感を育み、才能を開花させるものであるかを改めて感じました。もっとも、親の愛情にもグラデーションがあって、ドラマ「スカイキャッスル」で多くみられる愛情は少し違うものと見なければなりません。
仲野太賀は、親(番組では父親)からたっぷり愛情が注がれて、自己肯定感を育まれ、大人になって、裏表ない性格で、たくさんの友達に囲まれていることが、印象的でした。家に遊びにきた、息子(仲野太賀)の友達(染谷翔太)に対して、「大好きな息子の友達は大好きだ」と臆せずに語れる親はなかなかいないでしょうし、仲野太賀自身も、子役の頃の映像を見て自分を「可愛い」とこちらも臆せずに言えるのはそうできることではありません。親から深い愛情を注がれて育った子どもは、一生ものの自己肯定感を育むものだなのだと感じました。もっとも、自己肯定感だけでは人生にいろどりを与えるには不十分とも思え、同年代の染谷翔太や菅田将暉に先を越され、悔しい思いをしたのも、よい肥やしになっているようにみえました。結構笑えるトーク番組でした。
【余談】仲野太賀は「ゆとりですがなにか」(日本テレビ・2016年放映)の山岸役で強烈な印象を残しましたが、「新宿夜戦病院」(フジテレビ・2024年放映)の美容皮膚科の医師役も楽しませてもらってます。こちらの方が自に近いかもしれませんね。再来年(2026年)の大河ドラマが楽しみです。
”生きづらさ”を考える時の難しさ
”生きづらさ”を感じる人が少しでも少なくなる世の中であって欲しいですが、その”生きづらさ”にはグラデーションがあり、解消すべきものなのか、創造性を生む制約としてポジティブに捉えるものなのか、一括りにはできない難しさも感じます。
石井光太は『本当の貧困の話をしよう』(文藝春秋・2019年)の中で、まず、自己否定感を生み出す要素を排除し、健全な心を育てる、心のレベルアップこそが、貧困対策で優先すべき対策だと指摘しています。それは先ほど述べた”生きづらさ”を克服するためのヒントを活用する以前の問題であり、念頭においておきたい指摘でした。
幼少期に”生きづらさ”を感じていても、大人になって解消されるケースは、心のレベルアップのための余白が既に幼少期において育まれているのかも知れません。なので、なんらかのきっかけで改善されていくのではないかと思います。そのきっかけはなんなのか、どのようにしたらそうなるのかは、引き続き探求していきたいと思います。
おそらく、一番難しいのは、当人は、今は”生きづらさ”を感じていなくても、先々、”生きづらさ”が深まっていくケースかもしれません。今、問題意識のない方に、周りがとやかくいうのも烏滸がましいことでもあります。この部分も引き続き記事のテーマにしていきたいと思ってます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
引き続き、よろしくお願いいたします。
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