見えなくても白杖ついて美術館へ行く理由
白杖の白状(こくはく)
弱視ですが、美術館は割と好きです。
白杖突いて、モディリアーニ展へ行ってきました。
絵画に造詣が深い訳ではありませんが、見えていた頃から時々、妻と美術鑑賞に出掛けていました。
時代々々の人や、建物や、風景を、画家のフィルターを通じて描かれている作品を、フィルターを外すして、自分がその場にいれば、どう見えたのだろう・・・
絵の前では、時空を超えた旅ができるような気がして、難しいことはおいといてそれが面白いのです。
アメデオ・モディリアーニ
今から100年少し前、エコールド・パリと呼ばれる、この時代にパリのモンマルトやモンパルナスで奔放な活動をしていた芸術家を代表する画家。
今でこそ、その絵画は数百億円で取引されますが、生前は貧しく、カフェにいる客の似顔絵を無理やり描いて、売りつけてはその日の酒代にするような貧しい暮らしだったようです。
まるで、詐欺まがいですね!
アルコールと麻薬に溺れ、わずか35歳の若さで亡くなっています。
彼が亡くなる3年前に18歳のジャンヌと出会い、恋に落ち、彼女の肖像画は精力的に描かれその作品は20作以上にもなります。
妻となったジャンヌには子供もでき、お腹の中には二人目の子供も宿していましたが、モディリアーニが亡くなると、半狂乱となり、2日後に彼を追って身投げをしてしまいます・・・
幼い娘を残し、お腹の子と共に生涯を閉じたジャンヌは、まだ21歳でした。
情熱的で、あまりにも激し燃え尽きた短い人生です。
画家の生き様を感じる場所
美術館で絵画を鑑賞するもう一つの目的は、その画家の生き様を感じに行くようなものです。
モディリアーニが,どのようにジャンヌを描いているのか、ジャンヌは,どんな風に愛した男を見ているのか。
彼は何時間も彼女の前に立ち続け、彼女の内面までを自分の 中に取り込み、表現していきます。
そんな画家の前で、モデルは隠しても隠しきれない、隠そうにも、自分も知らない自分を暴かれる濃密な時間・・・
1枚の絵には、それが表現されています、
美術館で絵の前に立つと、百年以上前に交わされた、画家とモデルの感情を感じることができます。
なんとも官能的であります。
そういう場所なのだと思うのです。
説明書きも、そして作品自体もはっきりと見えることはありません。
それでも、ぼんやりと映る絵であっても力を感じました。
人が描いた絵には、やはり写真と違った魂が秘められているような気がします。目が見辛くとも、そのオーラを感じることはできます。
館内に入る前に、妻の持つ日傘は預けなければならないルールでしたが、白杖はオッケー!身障者手帳で、入場は半額!
まだ、まだ、会いに行きたい画家はたくさんいます。白杖ついて、どんどん出かけようと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?