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60代、シンドラーに学ぶ「生き方」で最も大切なこと

 60代だからといって守りに入る必要はない。まだまだ、行動して爪痕を残す時間は十分にある。

 結局のところ、人の記憶に残るのは、どんな人であったかではなく、何をした人なのかということの方が大きい。目的を持って積極的に動くことの意味は大きいのである。

シンドラーの評価と人物像


 最近、オスカー・シンドラーについて考察する機会がありました・・・

 シンドラーのことは、説明する必要はないと思うのですが、第2次世界大戦時、ドイツ占領下のポーランドで、1,200名のユダヤ人の命を救った人物です。

 彼のことは、アカデミー賞7部門を受賞した、スピルバーグ監督作品『シンドラーのリスト』で一躍世界中に知られることとなりました。

 多くのユダヤ人を、自らの命と財産を賭して守り抜いた徳の高い人、道徳心の強い人、清廉な人、のように思われがちなのですが、実際のシンドラーはかなりの両面性のある人だったようですね。

 野心家で、派手づきの社交家、加えてかなりの好色家であったようで、多くの愛人を抱えていたのです。

 恋愛結婚した妻のエミールがいましたが、二人の間には子はおらず、父親が経営していて会社の秘書を愛人にして、二人の私生児をもうけています。

 ただ同然で働くユダヤ人を、事業拡大のための労働力として確保する。当初ユダヤ人に対する意識はその点にあったようで、決して慈悲深さやイデオロギーからではありませんでした。

 当時のポーランド人から見れば、ナチスにうまく取り入り、甘い汁を吸うずる賢いドイツ人、のように思われていたのかもしれないのです。

 しかし、彼に救われた多くのユダヤ人の証言では、シンドラーは人を差別したり、蔑んだりすることを好まなかったようで、ユダヤ人労働者に対しても気さくに声をかけ、名前で呼び、生活環境を整え、用意された宿舎での食事の待遇も良く、全ての労働者を人間として扱っていたと証言しています。

 動機はどうあれ、人に対する尊厳を大切にする、そういう人だったのでしょう。

 シンドラーの経営する工場は軍事工場でしたが、敷地内にはゲシュタポの立ち入りを禁じていました。

 当時の状況からして、民間の経営者が軍にこのような条件を出すには、相当な苦労をして軍の幹部との関係をつくらないとできないことだと思うのです。

 極烈非道の収容所から、安価な労働者としてユダヤ人を引き取り、利用していた軍需工場は他にも多くありましたが、それらの多くはユダヤ人の扱いを収容所と同じく人間として扱わず、死ぬまで極限状態で働かせ、死んだら補充するといった状況だったのです。

なぜシンドラーはユダヤ人を助けたのか


 戦後、多くのインタビュー機会があったシンドラーは当時の心境について『正しいことをしたかったから』と述べるにとどまり、あまり多くは語っていません。

 最初の動機は単純に安価な労働力だったのでしょうが、目の当たりにしたユダヤ人への迫害や虐殺に対する道徳的、倫理的な衝撃が、ほんらい人の尊厳を尊重する彼の性格に強い動機となったと推察できます。

 シンドラーの助手であり、ユダヤ人の会計士イツァーク・シュテルンの存在も、彼の心境の変化に大きく影響したのでしょう。

戦後の社会の反応とその後のシンドラー

 終戦後のシンドラーの人生は、起業を繰り返しては失敗をするといった、うだつの上がらないものでした。

 命を賭して全財産を注ぎ込んだシンドラーは、戦後無一文状態となり、侵攻したソ連から逃れ、妻エミールと共にドイツに移り住みました。

 ドイツで新たに会社を興すのですが失敗をし、妻エミールを連れアルゼンチンに渡り事業を興しまます。

 しかし、それも続かずシンドラー今度は妻をアルゼンチンに残し、再びドイツに戻りまたもや起業するも、やはり程なくこれも失敗しました。

 晩年は、救出したユダヤ人たちの呼びかけによって、イスラエルで生活の援助を受けるようになり、ドイツとイスラエルの2拠点生活を行うようになり、生涯を終えます。

 そんな彼に対して、ドイツ国内では単にユダヤ人の労働力を利用しただけであるだとか、妻がいながら、多くの女性に手を出すだらしない男だといった誹謗中傷をするものもいたようです。

しかし、この言葉について彼に救われたユダヤ人の一人がこう答えています。

「川で溺れている人を前に、服を脱ぎすて川に飛び込む人物に対して、日頃のおこないが悪いからとその人物を罵っても意味がない。彼のおかげで今、自分は生きている。彼の本質がどうかなどは関係ない」と述べています。

  妻として、多くのユダヤ人の救出を支え、苦楽を共にし、アルゼンチンにまでついて行きながら、最後は置き去りにされ、生涯をアルゼンチンで暮らしたエミール。

 彼女は、シンドラーの死後20年目に、イスラエルに招待され、37年ぶりにシンドラー墓前に立ってこのように述べました。

「やっと会えたのね…。何も答えを聞いてないわ、ねえ、どうしてわたしを見捨てたのかしら…。でもね、あなたが亡くなっても、わたしが老いても、ふたりが結婚したままなのは変わらないし、そうやってふたりは神さまの御前にいるの。あなたのことは全部許してあげたわ、全部…」
歴史は何をした人間かを刻む

ウイキペディアより引用

 シンドラーの生涯、彼自身はそれをどう感じていたのでしょうか。彼の残した功績は歴史に残りました。そして、良くも悪くも彼が関係した人たちの記憶にも、彼は留まっていたようです。

 シンドラーのように生きることが、決して正解だとは言いません。しかし、彼は死ぬまで自分の本能に従って生き続けた人なのだと思います。

 本人にとって他人の評価ほど、意味のないものがないとは思いますが、ある意味幸せな人生だったのではないでしょうか。

 爪痕を残すことを目的にする必要はありません、でも、自分らしく生きた彼に学ぶことは大きいと思うのです。


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