見出し画像

一週遅れの映画評:『魔女見習いをさがして』おジャ魔女はココにいる ハートのド真ん中

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『魔女見習いをさがして』です。

画像1

※※※※※※※※※※※※※

 この『魔女見習いをさがして』は、いわゆる「聖地」が重要なポイントになっている。主人公たちソラ、レイカ、ミレが出会うのも「MAHO堂のモデルとなった建物」だし、彼女たちが親交を深めるのも劇場版『も~っと』の舞台となった飛騨高山や、『ドッカ~ン!』の修学旅行エピソードが展開された奈良・京都だ。
 アニメの舞台になった(だろう)場所を巡る「聖地巡礼」がサブカルチャーにおいてよく見られるレジャーになった経緯や理由に関してはすでに様々なところで語られている。なのでここでは割愛するが、なんにせよそこでは「虚構と現実の接合」が行われている。
 
 私が小説や漫画、アニメ、ゲームを愛好する一番大きな理由は「現実を上書きするため」だ。
 
 現実と虚構は違う、と言うだけならそれほど難しくない。しかし本当に私たちはそこまではっきりと現実と虚構の間を線引きできるだろうか?キャラクターたちの大半は人間か、あるいは動物で、仮に異星人やロボット、あるいはまったく未知の何かであっても作品内で説明がなされる。それによって現実の私たちが認知しえるものに虚構は姿を変える。
 あるいは物理法則、あるいは現象、あるいは思想。それらは虚構でありながら現実の何かを参照している(まったく現実に存在しない概念であっても、それは「存在する」を参照しなければ「存在しない」ことが把握できない)。つまり現実と虚構は違う、がしかしそこにはかならず接点があるということだ。
 
 「聖地巡礼」という行為はそのわかりやすい事例だ。現実にある場所と虚構で描かれた場所、それは確かに違うけれどそれでもそこは「現実にある場所」であると同時に「虚構で描かれた場所」である。「ここではない、どこか」でありながら「いま、ここ」でもある重なり合わせ、現実と虚構の接点において私たちは「現実と虚構は違う」という言葉を失う
 
 そのとき私たちが見るのは可能性の風景だ。「いま、ここ」が「ここではない、どこか」である可能性を、現実に存在するものが虚構の力によって揺らぎ、姿を変え、在りえたかもしれない/在りえるかもしれない光景を、現実の視界と”同時に”虚構の視界として見つめる。
 とりあえずは一番わかりやすい聖地巡礼を例に挙げたが、それは場所にだけ適用されるものではない。あらゆる現実が虚構との接点をもつのなら、そこに私たちは決して「違う」と言いきれないその接合された世界を見ることができる。
 
 私はときおり冗談めかして「迷ったときは「プリキュアならどうするか?」を倫理の指針としています。今年××歳になりました」と言っているが、これは本気だ。私は現実の私がもつ迷いと、虚構の少女が掲げる道しるべを重ね合わせている。だから絶対に「現実と虚構は違う」なんて思わない。私が「素晴らしい理想」である虚構と同じようになれるという可能性であり、それはそのまま希望と言えるはずだ。
 
 『魔女見習いをさがして』のなかで主人公たちが迷い立ち止まったとき、踏み出す勇気を奮い立たせるために「どれみちゃんならどうするだろう?」と自分に問いかける。誰もが胸にもつ大事な思い出に、憧れる誰かに、自分の進むべき行方を問いかける。そのとき現実に戦う私たちの身体は、憧れの姿が重なり合って現実に立ち向かおうとする。それは「ライダー、変身!」であったり「シュワッチ!」であったり「(ピン、ポロ、ポーン!とタップを奏でる)」であったり「プリキュア、オープンマイハート!」であったり、様々だけれどもどれも同じ現実と対峙するために虚構の身体をまとう変身である。
 
 現実に打ち勝つために、この私という「現実を上書きするため」に。その可能性に。在りえるかもしれないを「在る」に変える、その虚構だけがもつ作用と力を本当の本当の本当に信じている。
 
 だから私は魔法を信じている。
 それは「みんなの心に魔法が宿っているのよ」なんていう誤魔化しじゃなくて、意志とイメージの力で可能性を呼び込む本物の魔法、それを私は信じている。だから「現実と虚構は違う」なんて言わないし、「魔法はある」と言い切ることができる。
 (だからホントはちょっぴり「魔法はない」って前提で『魔女見習いをさがして』の話をしてる人に怒ってたりはするのだけど)
 
 これは私にとってとっても大事なことで、私がこうやって色んなことを書いたりしてる理由。
 だからそれを改めて胸に刻ませてくれた『魔女見習いをさがして』は、名作とかそういう枠を越えて「私のお話」だし、それはきっと「あなたのお話」になると思う。
 
 誰もがそういう可能性を手にすることが、私の一番の望みです。
 なので最後に魔法をかけます。

ハッピーラッキー、みんなにとーどけ!

※※※※※※※※※※※※※

 次回は『ドクター・デスの遺産―BLACK FILE―』評を予定しております。

 この話をしたツイキャスはこちらの16分ぐらいからです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?