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一週遅れの映画評:『きんいろモザイク Thank you !!』九条カレンでつかまえて。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『きんいろモザイク Thank you !!』です。

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 結局ですね。これが誰のための物語だったかって言うと、それは九条カレンなわけですよ。

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 ざっくり説明すれば、中学の時にイギリスにホームステイしてそこで出会った大宮忍アリス・カータレットがまずいまして。で高校生になったときに、今度はそのアリスが日本にやってくる。海外に強い憧れがある忍と、その忍を慕って日本にやってきたアリスという組み合わせがありますわな。そこに忍の友人である小路綾と、その綾の友人である猪熊陽子がいると。まぁここまではわかる。
 そこにアリスの幼馴染であるカレンが、イギリスからアリスを追って留学してくる。そんな5人も高校三年生になり、いよいよ卒業が近づいてくる……そのラスト1年をですね、描くのがこの『きんいろモザイク Thank you !!』なわけですよね。
 
 で、高校三年生!卒業!とくればそれぞれの人生に岐路があるわけで、この作品では5人の少女が行くべき道を選ぶ様が語られるわけですけど、その違いを考えると私には「これは九条カレンの物語だ」って思えるのですね。
 
 順番にいけばまず忍。彼女は翻訳家になる目標と、外国および金髪への憧れを強くもっている。それで卒業後はイギリスの大学に留学することを決意する。アリスは卒業してイギリスに帰り、忍と同じ大学に通う……留学。というのはなかなか大変な決断ではあるけども、忍の考え方とか欲求欲望を考えればすっごい初心貫徹してるというか、根本的な部分が不変であるわけです。アリスも日本への留学が終わって自国に帰る、というのはまぁ普通って言っちゃうとアレだけど「そりゃまぁそうでしょうなぁ」じゃないですか。
 綾と陽子は日本の同じ大学に進学して、ふたりでルームシェアしてる……ていうか同棲だろぉ!?それは同棲っていうんだよ!みたいな関係性が強く描かれているから、これもすごく順当と言えば順当なわけですよね。
 
 で、カレンですよ。まずそもそも彼女はアリスを追って日本へ留学してくる。仲の良い幼馴染が3年間日本へ言ってしまうと、となったら寂しいのは理解できるけど、それを追いかけて「自分も日本で3年過ごす」って決断するのは(父親が日本人、母親がイギリス人のミックスとはいえ)、やっぱちょっと異常性が宿ってる
 それで日本で3年を過ごした彼女が卒業で選んだ進路というのが「このまま日本の大学に進学する」っていうものなんですよ。
 
 忍、アリス、綾、陽子はいま話したように最初にあったキャラクター像の延長線に、卒業後の進路が存在している。それに対してカレンは当初の動機と最後の結末が真逆って言っていいほどになっているわけです。アリスと離れたくないから日本に来た、そしてアリスと離れたとしても日本に残る。最初に見せた異常性からすれば、それは劇的とも言える変化だと思うんです。
 
 日常、って言葉でアニメを評するのも今となっては恥ずかしい感じもしますけど。どんな劇的な変化も、変わるまでの期間を細分化していって……年単位、月単位、日、時間、秒。そういった小さな区切りで見ていけば、そこにはほんの僅かな違いしかない。けれどもその「ほんの僅か」を重ねていくことで、ここでは3年間分が重なると気がついたときには「劇的」と呼べるぐらいに違う場所にいると。
 だから日常=なにも変わらないこと、ではなくて日常というのは変化を「それとわからないほどに」散りばめてその緩やかな変わりようを意味する言葉だということなんじゃないかと。
 
 本作のラストでは、忍が友人たちと撮った写真を壁一面に貼って「イギリスの金髪と日本の黒髪がまじりあって、まるで〇〇の(ここなんて言ってたか忘れちゃった)モザイク画のよう」って言うんですよね。でも忍他4人は確かに関係性としてまじりあっていたけれど、でも本人たちの意志としてはある種の「まじりっけない」ものを完遂しているわけですよ。
 そういった中でカレンは精神性においても混じり合い、決して一人では選ぶことのなかった道行を選択した。だから忍はあくまで鑑賞者になっている「あぁなるほど。この金と黒の混じり合うのが『きんいろモザイク』なんだ」って思う時、その視線の先にいるのは自身を持ってその混ざり合いを体現した「九条カレン」なのよ。
 
 そしてそれは小さな区切りで見れば、カレンのなかにちょっとづつ入ってきた「日本」が。それは日々として見るなら本当に少しずつのもので、それでも3年間の集大成として見てみればそこには最初にあった姿とは全然別の、想像もしていなかったでも素晴らしい『モザイク』画が浮かび上がる。
 
 だから私は『きんいろモザイク』という作品が成立させているのは九条カレンで。
 だから誰のための物語だったかって言うと、それは九条カレンだ。と思うわけです。
 
 
 


 ……ってことは話せるのよ。というかかなり一生懸命に考えて、それで「こうじゃ!!」って自信を持ってはいる。
 でもねーなんかねー。私はやっぱり、いわゆる「日常系」カテゴリーが得意じゃなくて。面白いんですよ、面白いと思って見てました見ています。それでもなんかどっかに「私には捉えられていないものがあるんじゃないか?」「私の楽しみ方は、この作品がド真ん中!って人とはきっと違うのだろう」って感覚がどーーーにも抜けないのよ。
 なんかこうやって考えて喋ったことが、自分にとって「これが正しいんだ」って確信すればするほど、何かを取りこぼしているに違いない!っていうのも同時に確信してるんです。
 
 どうなんだろう。いま話した映画評は自分で言うのもなんだけど、良い評だと思う。それでも、それでも『きんいろモザイク』が大好きな人にはどう頑張っても刺さってくれないんじゃないかな……だからアレよね、もっとだよ、もっと考えていきたい。いつかこういった作品群の「核」みたいなものをギュッと掴めるまで、色んな作品を見ていこうと思いました。
 こうね色んな作品を自分のなかに吸収して、そうすればいつか本当にわかる日が来るのかもしれない。その時は堂々と「これがワシの『きんいろモザイク』じゃい!!」つって全裸をさらけ出して「トホホ、これじゃあただの股間を隠すモザイクだよ~」とね……こういうこと言ってるからダメなんじゃないの!?

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 次回は『ゼロワン Others 仮面ライダーバルカン&バルキリー』評を予定しております。

 この話をしたツイキャスはこちらの16分ぐらいからです。


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