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一週遅れの映画評:『ドクター・ストレンジ:マルチバースオブマッドネス』兄に代わって謝罪します。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『ドクター・ストレンジ:マルチバースオブマッドネス』です。

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 ガルガントスの妹です。この度は兄が大変ご迷惑をおかけして申し訳ございません。本日はその経緯をご説明させていただきます。

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 この度の騒動につきましては、兄と契約関係にあったスカーレット・ウィッチ氏の指示による部分が大きく、だからといって兄ことガルガントスの行いが正当化されるわけではございませんが、決して!決して兄一匹の責任でないことを覚えておいていただければ幸いです。
 スカーレット・ウィッチ氏、ここではワンダ氏とお呼びするほうが良いかもしれませんが、彼女は手にしたダークホールドと呼ばれる暗黒の魔導書によってマルチ・バースを覗き見る能力を得ました。それによりワンダ氏は別の世界で二人の息子と一緒に暮らす、幸せな自分の姿を発見いたしました。
 同じ女性としてそういった環境を切望する気持ちがわからない、といえば嘘になります。それでもマルチ・バースに関与できないどころか知覚すら難しいわたくしにとって「自分の子供たちを幸せな日々を送る」というのは、良く言えば夢、悪く言えば妄想でしかございません。けれどもマルチ・バースの専門家であるアメリカ・チャベス氏にお聞きしたところ、そういった”夢”というのは、実際に存在する他の世界から漏れ出したヴィジョンだそうです。
 
 つまりはその”まるで夢のような”世界はマルチ・バースのどこかに存在していると。そしてワンダ氏はそのマルチ・バースを意識的に知覚することができ、なんと条件さえ揃えばその世界に行けるというのです。
 目の前に幸福な世界を突き付けられ、それが自分のものになるかもしれない……そう考えたとき、その誘惑に耐えられる人間がどれほどいるでしょうか?ましてやワンダ氏がこれまで経験した事件事故の一部を知っている身としましては、彼女が見出した可能性にかけてみたくなる気持ちに対して「致し方ない」と感じる部分はおおいにあります。
 
 ですがマルチ・バースのワンダ氏は本当に幸福なのでしょうか?かわいい息子たちと一緒に暮らしている、それは確かにひとつの理想的なモデルではあります。けれども恐らくシングルマザーであるマルチ・バースのワンダ氏には、そうやって覗き見るだけではわからない苦悩や不幸が存在していることは容易に想像できます。それはスカーレット・ウィッチであるこちらのワンダ氏にもわかっているはずです。それでも彼女はマルチ・バースのワンダ氏に成り替わろうとする。
 恐らく彼女はこう思ってるはずです「それでもあっちの私は、この私より幸福で、苦しみも少ない」と。そうかもしれませんし、実はそうではないかもしれません。重要なのはワンダ氏が手にしたのは「より幸せな自分と入れ替わる方法」だということです。
 
 たぶん誰しも「ありえたかもしれない幸せな自分」のことを考えたことがあると思います。あのときこうしていたら、その時にそっちを選んでいたら……けれども魔術に疎い私たちには、「そうしていたら」の別世界を覗き見る手段もなければ、マルチ・バースの自分と入れ替わる方法がありません。だからそういった考えは儚い妄想に留まります。
 けれどもワンダ氏にはそれをすることができるのです。ならば「じゃあより幸せな自分になるわ」で解決するでしょうか?私はそう思いません。いま申し上げたように「誰しも」ありえたかもしれない世界を想像します、それは「幸せな自分になった」ワンダ氏も例外ではないハズです
 つまり一旦は息子たちとの生活を手に入れたワンダ氏は、たぶん数日後にはこう思うはずです「でももっと完璧に幸福な私がどこかにいるかもしれない」と。そして仮により望ましいマルチ・バースの自分を発見し、再び成り代わった後でまた「でももっと完璧に幸福な私がどこかにいるかもしれない」という考えが頭に浮かんでしまうでしょう。
 
 私たちは過去にもどってやり直すことも、別の世界に移ることもできません。本当にそんなことが可能なら、無惨な姿になった私の兄ことガルガントスが、憎きドクターストレンジを絞め殺した別世界に私だっていきたいです。けれどもそんなことはできません。だから私たちはいまここで最善を尽くすことができるのです
 しかし別世界に行けてしまうワンダ氏は、より良い世界を求めて永遠に流浪していくしかなくなってしまうのです。なぜなら完璧な世界なんて本当はどこにもないから。それはもしかすると、絶対に満たされることのない渇望を身に宿してしまうもっとも不幸な行為で……だからそれを可能にしてしまうダークホールドという魔導書は「禁断」と言われるのかもしれません
 
 そのダークホールドの完全版が収録された遺跡を、ワンダ氏は「墓標ではなく王座」と評します。それはある意味正しく、けれども誤りなのです。そこは「墓標であり王座」なのだと。どんな世界でも手繰り寄せる力を得たワンダ氏は確かに王座につく資格はあるでしょう、でも同時にそこに座ることはできない、よりよい世界を永遠に渡り歩く。それは彼女の死によって強制的に歩みが止まるまで。なので彼女が王座に着くときとはすなわち死んだときであり、そこは「墓標であり王座」なのです。
 
 ワンダ氏はただ愛しい息子たちと一緒に居たかった、その気持ちは痛いほどわかります。もしかすると兄はただ使役されていたのではなく、そんなワンダ氏に対する同情などから協力していたのかもしれません。少なくとも何も語らずに死んでいった兄に対して、肉親としてそのぐらいの妄想は――決してやり直せない過去を諦めるしかない生き物として――許されるのではないでしょうか?
 
 最後に、ワンダ氏の後そのダークホールドの力を使ったドクターストレンジが、それでもそのマルチ・バースの呪いを振り払えたのは、愛するクリスティーナとどのマルチ・バースでも「完璧な幸福」が迎えられないからであり、それはとてつもなく歪んではいるものの確かに「愛」ゆえの選択なのです。
 ワンダ氏の純粋な愛が世界を歪め、ドクターストレンジの歪んだ愛だ世界を正す。そしてマルチ・バースを見つめる瞳は閉じられるのです、私の兄が持つ大きな目が永遠に失われたのと同じように。

 ……あと今回、兄ガルガントスが出たことに「権利関係で使えなかったシュマゴラス叔父さんの代わり」みたいな妄言が聞こえてきますが、どう考えても「見ること」が重要なテーマな以上、巨大な眼球を持つ私たち一族が出てくるのは道理であり。
 一方でシュマゴラス叔父さんの能力は「前半に”かませ”として出現させる」には、いくらなんでも強すぎます。兄には兄の、叔父さんには叔父さんの役割があるのです!まったくもう!

 あと誰だ!私の兄を”かませ”呼ばわりするやつは!

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 次回は、まぁ言わなくてもわかるでしょうが『シン・ウルトラマン』評を予定しております。

 この話をしたツイキャスはこちらの16分ぐらいからです。


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