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一週遅れの映画評:『ミッシング』間抜けさに貫かれて。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かして配信で喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『ミッシング』です。

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 なんかね、全体としてはすごく中途半端な印象があるのよ。
 8歳の娘が行方不明になった夫婦の話なんだけどさ、ネットの誹謗中傷問題もマスコミの視聴率優先の姿勢も、あるいは夫婦の苦しさやすれ違いに関しても、なんというか「あるある」って範囲の話しかしてないのね。そこから先に何があるか? 私たちからは見えない所でなにが起きているか? ってものがほとんど無いの。
 
 だけど一か所、完全に私の想像を越えているシーンがあって、それを見れただけでも良かったなとは思っているんですよ。
それが行方不明から半年経って、テレビ局がロングインタビューを撮ってる場面で。その行方不明者捜索番組を企画しているディレクターはめちゃくちゃ真面目に夫婦へ寄り添おうとしているわけ、だけど局の方針は視聴率優先で……いやこのアングル自体が「手垢!」って言いたくなるんだけどさw それで母親はその構造を理解した上で「そういうテレビ局の態度に腹は立つけど、視聴率が高い=情報が入ってくる可能性も高まる」っていう不本意な協力関係にもあるわけ。
 で、そのロングインタビューで、娘と過ごした日常の想い出を話しながら涙を浮かべ「その、何でもないようなことが幸せだったと思う……」って語るんです。
 
 はい。いまたぶんこれを読んでる人の脳に同じ言葉が浮かんだと思うんですけど……私も劇場の椅子に座りながら「それ『ロード』じゃん」って思いましたw
したらね、そのロングインタビューを撮影しているカメラマンがボソッと「虎舞竜……」って呟くんですよ。それが聞こえたディレクター兼インタビュアーと母親が思わず「「え?」」って止まってしまって、それでカメラマンが「いや、あの、そこは違う表現の方がいいかなって……」としどろもどろに答えるんですよね。
 このシーンがめちゃくちゃ良いんですよ! この少女行方不明事件の報道がネットで色々言われてるし、夫婦が個人的に運営してる情報募集の掲示板にも様々な誹謗中傷が書き込まれている。その中でこの場面が放送されたら、間違いなく切り取られて「ネットのおもちゃ」にされるのなんて明白じゃないですか。少なくとも私はやる、ヘラヘラ笑いながらリポストしちゃう
 これって母親として素直に出た言葉ではあるんですよね、そして心の底から実感を伴った言葉でもある。だから口にした母親にとって何の違和感もないし、真摯に寄り添おうとしているディレクターも気がつかない。だけどこの状況をお仕事の一つとして見ているカメラマンは気づけるわけですよ。
そしてその指摘ってもっともなわけ、こんな発言を電波に乗せたら絶対「ネタ」にされてしまう。ただでさえ疲弊している母親がそれに耐えれるわけもない。だから「取り直す」べきだし「気づいてくれてありがとう」なんだけど……でもそれって同時に、このカメラマンがちょっと引いた立場から現状を見ている証明であるし、それとは別に「自分に起きた悲劇が、世間からはそう消費されてしまうもの」になってることを認めなくちゃならない
 だから母親は別の言い回しでやり直そうとして、号泣しちゃう。そらそうよね、自分の必死さと世間の温度が全然違っていて、目の前にいるカメラマンすら「世間」側で。だけどそれだけに指摘は正しくって、それを受け入れるってことは「世の中は娘が居なくなったことに大して興味を持ってない」を直視しなければならないんだから。
 
 それは同時に「ロードじゃんw」ってなった私/視聴者も(当たり前だけど)この行方不明事件を「自分とは無関係なお話」として見ていることを突き付けられているわけですよ。どんだけ感情移入して「お母さんかわいそう」ってなったり「誹謗中傷、許せないぜ!」ってプンスカしてたり、あとは「マスコミは汚い」って苛立っていても結局は「ロードじゃんww」と笑ってしまう、無関係で深刻さのないひとりでしかない存在なんですよね。
 ほんと唯一このシーンだけが、見ている人間の想像を越えてくれた。想定外に発生した”間抜けさ”で、視聴者をえぐりに来ているめちゃくちゃ良いところでした。
 
 で、それがあるから響いてくるのが、娘が行方不明になって2年が経ちまだ発見されていない……という状況で、同じ地域でまだ少女が行方不明になる事件が起きるの。それを見て母親は「これ、うちの娘の状況とそっくりじゃない!?」って言い出す。まぁ確かにそうなんですよね、小さい女の子がほぼ同じ地域で、似たようなタイミングで行方がわからなくなってる。
 だからこの母親は、いままで自分たちがビラ配りしたり情報収集してきたノウハウを使って、その新しい行方不明者を探す手伝いをするんですよ。
だけど結果は、その女の子の別居してる父親が勝手に連れまわしていて、あっさり警察に捕まる。つまり母親の娘とは全然違う状況だったわけさ。でね、その報道を見て母親は「良かったぁ~」つってめちゃくちゃ泣くんだけどさ。
 でもちょっと思うわけですよ。この母親は「自分の娘と関連があれば良かった」、もっというと、この地域にやべぇ犯罪者がいて自分の娘と同じ目に合っていることを(言い方は悪いけど)ちょっと期待していた。そういう風にも見える。それなら自分の娘が見つかる可能性に繋がるんだもん。
 そらそうよね、だってよその子より自分の子が大切だもの。だけどそれって「この事件」に対して、自分が明らかに「無責任な世間」の側にいるってことじゃない? だからこの顛末で、さっきは視聴者を刺してきたものが、今度は主人公であり犯罪被害者でもある母親を刺しているの。
 
 ここはね、中々嫌らしいというか、「人はどうしたって”自分の立場”にしかいられない」ことを赤裸々に暴いていて、それがこの作品で「悪いもの」として描かれていることに、単純な怒りを覚えさせない、そうやって気持ちよく「自分は断罪する側だ」って思わせないようにしてて、すごく後味悪くて良かったです。
 
 ワンシーンとそこから繋がる部分の良さ、しかも「後味が悪い」という良さがどれだけ作品を見る価値としてカウントできるか? は、まぁ人それぞれですけど。私は一瞬でも「おぉ!」と思えれば十分に「この映画を見た価値はあったな」と思えるので、確実に見て良かった作品ではあります。
 ……あと主人公が錯乱する場面があるんだけど、それが性的に刺さってしまったので特別加点もされています! と正直に言わないとフェアじゃないわね。女性が発狂寸前まで精神ダメージ受けるのが好きな方は、是非。是非でいいのか? まぁ勧めてるんだからええか。

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 次回は、素直にアレを見る……わけないじゃない! だって『好きでも嫌いなあまのじゃく』なんだから!

 この話をした配信はこちらの16分ぐらいからです。


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