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一週遅れの映画評:『返校 言葉が消えた日』間違いと自由。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『返校 言葉が消えた日』です。

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 これゲームの『返校-Detention』が原作で、確か2017年に発売されて私もゲーム実況したことがあり作品なの。まぁその動画はアカBANによって消えてしまったのだけどwこのゲーム自体がめちゃくちゃ面白くて、映画にも凄く期待してたのよ。
 それでちゃんと期待に応えてくれる面白い作品になってて嬉しいな、ってのと同時に結構な変更……とはいっても作品内容ではなくて、そうね「情報開示の順番」に変更が、なんかあれだな「へんこう」ってタイトルと被ってわかりずれぇなw
 
 とにかく、その部分がすごく上手くて。それがメディアの差に自覚的な作りをちゃんとしてる!っていう信頼になるから安心してみれた。えっとね、ゲームだと主人公?のウェイ君が学校で目を覚ますところから始まるの。外は妙に暗いし、灯りは消えてるし、まわりには誰もいない。それで仕方なく校内をうろつくんだけど、やっぱり誰もいない、というか学校全体が荒れてる。ところどころ教室は封鎖されているし、それどころか奇妙なお札のようなものも貼ってあって。まぁめちゃくちゃ不気味なわけさ。
 それで探索するうちに体育館に辿り着くんだけど、その壇上に誰かが倒れている。ようやく人に会えた嬉しさと、倒れてるから心配なのと、雰囲気が超怖ぇーからビビリながら近づくと、結構な美少女が寝ているを発見する。でそこからその少女・レイちゃんを操作していくことになる……。そういう感じで物語が始まるんですね。
 
 そもそもホラーゲームとしてプレイヤーはわかって買ってるから「何か怖いものがあるぞ、それを見るぞ」っていう強い動機があってスタートボタンを押してるわけ。だから設定とか時代とか舞台背景とかの情報がこの時点ではゼロ……えーとたぶん作中で描かれてる現地の人とか題材とされた時代に詳しい人なら「あ、これはアレだな」ってわかるとは思うんだけど、少なくとも私には「ここがいつの、どこの、なに?」って感じで。
 ただそれがわかんなくてもゲームとしてはプレイしてて面白いのよ。ホラーって要は「怖い雰囲気を楽しむ」ためのものじゃない?だから設定とかよりも先に「プレイしてて怖い」さえあればゲームとしてちゃんと機能しているの。だからその設定のわからなさも怖さの一因、つまり「わけもわからず恐ろしい場所にいる」っていう恐怖として働く。
 それで話が進んでいくうちに、ここが台湾で、それも昔の中国によってすごい弾圧が横行していた、いわゆる「白色テロ」の時代の話だ、っていうのが明らかになってくる。それがわかってきたところでゲームはホラーから「あの時代に起こった悲しい出来事」を語るものに変化していくの。
 まぁーその手際がさ、本当に良くって。怖いものみたさでプレイしていた気持ちは、徐々に「この人たちに何が起こったのか知りたい」に変わって、それが「この結末を見届けなくてはならない」へとシームレスに変化していく。その感情の導線がきちんと作られていて素晴らしいんですよ。
 
 ただ映画でそんな始まり方って無理じゃんたぶん。自分でキャラクターを操作していくゲームと、画面を見ることに集中する映画では「わけわかんないけど怖ぇー」で引っ張れるかどうかって、すごく違うと思うのよ。いやまぁそういうホラー映画がいっぱいあって、もちろん名作も多いけど。この『返校』はじわじわと異質なものに取り囲まれていく、って怖さだからたぶんゲームのまま映像化してもあんま上手くはまらない。
 それで映画版の方は、いきなり街中を走る街宣車から「密告は奨励されています」「共産主義を排斥しましょう」みたいなアナウンスが鳴り響いている、って場面からはじまるのね。もうこれだけで、「白色テロ」のことを知らなくても「ヤベー政治がめちゃくちゃ弾圧してるっぽいな?」ってわかる。それで実際に連行されて、それも頭に麻袋かぶせられて「あ、絶対処刑されるじゃん」って一発でわかる空気全開で連行される人がいて。
 それとは別に不気味な校舎で目を覚ますレイちゃんが描かれて、「この二つの世界がどうやって繋がっていくんだろう」って、こう視聴者の関心を完全にロックしてくる、それが本当に良い作りになっているんですよ。
 
 もうね、これだけで完全に信頼できる作品だってわかるから、なんか今日はこれだけでいいような気がしてきたなw
 
 あ、あとゲームと映画版で違うのがレイちゃんの両親の描き方で。このレイちゃんの両親がひどい夫婦喧嘩を日々繰り広げているんだけど、ゲームの方だと両親の不仲とその原因が何んとなく示されるだけなのね。だけど映画だと母親が新興宗教にハマっていて、かつ夫が「若い女と浮気している」とめちゃくちゃ疑っていて……まぁその真相は不明だったりはするんだけど。そうやってしっかり提示されていて。
 それで結果、母親が夫を政府に密告して連行される……って展開になるのはゲームの映画も一緒なんだけど、そこで映画版は父親がレイちゃんに「お母さんみたいに、人を疑うようになるんじゃないぞ」って最後に告げて、連れていかれるんですよ。
 まぁそんな母親だからレイちゃんもかなり嫌ってる様子が描かれるんだけど……そりゃあね、こんなセリフを投げかけられて、そのままってこたぁないわけですよ。
 
 レイちゃんだけじゃなく、ウォイ君も、他の沢山の人にもこの後に悲劇が待ち構えているんですけど。それをもたらしてしまう最後の一押し、それが「レイちゃんが人を疑ってしまったこと、信じ切れなかったこと」に起因してるんですよね。
 いや実際ゲーム版でもじっくり考えればその「嫌悪していたものに自分がなってしまった」悲しさは読み込めるんですけど、レイちゃんの両親に関してはサブエピソードの空気が強いから、私は見逃しちゃってた。そこをね映像化にあたってこうしっかりと表現してくることと、レイちゃんが引き起こしてしまう事態に説得力を与える面でもの凄く効いてて。いやホントに素晴らし手の入れ方だと思いましたよ。
 
 それでね、こうやって喋るとレイちゃんが悪いヤツだったん?と思っちゃうんだけど、それが違うんですよ。ここでレイちゃんがとった行動って「誰しも思い当たる部分がある、ちょっとした失敗」の範囲だと思うんですね、私は。
 だからこれが、例えば現代日本だったら多少はね辛い思いをすることになるだろうけど「悲劇」って呼ぶほどでもない、ありふれた一般的エピソードの範疇に収まる話で。それは他の登場人物も、それぞれにちょっとだけ間違ってしまって、でも真っ当な世の中ならそんなことは「やっちまいしやした、でへへ、すいやせん」ぐらいで終わる話なんですよ。
 だけど時代がね。1960年代白色テロ情勢下の台湾っていう、その場所と時代が「ちょっとした間違いですら、大きな悲劇に変えてしまう」そういう間違った、異常な世界だった。そういう生きる「自由」を剥奪されていることこそが問題なのだと、そういうことだと思うんですよ。
 
 前半でも話したけどさ、appleがiCloudの画像を検閲して場合によっては通報するとかさ、絶対にまともなことではないじゃない。でも一部の人はそれを正しい、良いことだと思ってるわけ。なんかねー、最近のそういう傾向、自ら「自由」を手放そうとする感じが私は本当に本当にイヤで。私にとって自由であることは何よりも価値があることで、いまの社会ってその自由を求めた人々の死体の上にあるってことをね、やっぱちゃんと思い出して欲しいなぁと。『返校』を見て改めてそういった想いを強く持ちましたね。

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 次回は、俺は『太陽の子』仮面ライダーブラック!R!X!評を予定しております。

 この話をしたツイキャスはこちらの16分ぐらいからです。


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