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一週遅れの映画評:『映画ヒーリングっど♥プリキュア ゆめのまちでキュン!っとGoGo!大変身!!』トリアージには早すぎて。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『映画ヒーリングっど♥プリキュア ゆめのまちでキュン!っとGoGo!大変身!!』です。

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 いやだ~プリキュアの悪口言いたくねぇ~。でもまぁ仕方ないか、仕方ねぇよなぁ……あの今回の映画プリキュア、『映画ヒーリングっど♥プリキュア ゆめのまちでキュン!っとGoGo!大変身!!』なんですけど、あの正直、まぁなんていうんですか、あまり良くないんですよ。
 大前提として私はテレビ本編の『ヒーリングっど♥プリキュア』はめちゃくちゃ良いと思っていて、歴代プリキュア作品でもかなり上の方にくるんです。でねそれって要は「ダルイゼンの取り扱いをどう見るか?」って部分に集約されてしまうわけで、私はそこにすっごく好意的なの。
 それを踏まえた上で今回の劇場版、ボスの「エゴエゴ」がどうなったか?っていうところに「それはちょっと違うんじゃないの?」と思わざるを得ない部分がある。
 
 とりあえずざっくりお話を確認しておくと、あこれあらすじじゃなくて要点のネタバレだからね?よろしくね。
 
 カグヤっていう本作のヒロイン、これが人間ではなくてエレメントの一種で。それを偶然に発見した我修院サレナ博士が自分の子供として育てていたんだけど、どうやら15歳(あれ?14歳)の誕生日を迎えるころに力を失って消滅してしまうことが判明する。それを何とかするために、「どんな願いでも叶える」という「奇跡の花」を咲かせる必要があり、そのために人々の夢を見る力を集めないといけない。その手助けをさせるために我修院博士はビョーゲンズを操作することで「エゴエゴ」と名付けた生物を生み出して、夢見る力を回収させる。
 このエゴエゴは夢見る力を集めてくると我修院博士が認めてくれる、褒めてくれる、そいう動機で動いてる。けれども当の博士はカグヤのことしか見ていない。その不満と鬱屈が限界に達して、集めた夢見る力を奪い「奇跡の花」を自分のために咲かそうとする。それを止めるためにプリキュアたちは……って感じなのね。
 
 いや、この説明は私の感想が多聞に入ってるから偏りがあることは自覚してるんで、ちゃんと自分の目で見てきて欲しいところなんだけど……えっと、この筋だとさ「ふたりの子供」がいるわけじゃない?我修院博士には。ずっと育ててきたカグヤっていう子供と、自分の手助けをさせるために生み出したエゴエゴって子供が。
 ただ我修院視点からは「カグヤは愛しいわが子だけど、エゴエゴは道具の延長」でしかない、一方エゴエゴとしては「間違いなく生みの親で、彼女に認められることが存在意義」っていう非対称性が……いやーこれは辛いですよ、エゴエゴは。そら反抗したくなるって。
 
 プリキュアシリーズっていわゆる「毒親」の問題を敵側の関係性に委託することはよくあって、代表的なのだと『ドキドキ!プリキュア』のレジーナとかなんだけど、エゴエゴと我修院の関係って要はその系譜にある。ただ難しいのはカグヤにしてみれば「方法は間違ってるけど、間違いなく自分を愛してる母」としても我修院って存在しているわけで、だからこの我修院サレナはものすごくアンビバレントなキャラクターなの。
 ここまでは「うわっ今年のプリキュア、難しいことやってんな」だったの、私の感想としては。これまで良い親、悪い親、想いは正しいけど方法の間違ってる親、行動は一見正しいけど動機がイカれてる親とか様々な「子供にとっての親の姿」をプリキュアは描いてる。けれどここまで片方から見れば良い親で、片方から見れば毒親っていう二面性をを持ってたのは……たぶんここまで重なってるのはなかったように思うのね(ここらへん受け取り方次第の例はいくつかあるけど、それはとりあえず置いておいて)。
 
 それでエゴエゴはどうなったかっていうと、普通に倒されるっていうね……嘘ぉ!?って思ったもん映画見ながら。いやエゴエゴには説得したり思い直させたり、あるいは我修院の非道にも言及する余地はあったでしょ、間違いなく。
エゴエゴ倒してなんやかんやでカグヤが助かって我修院サレナと抱き合って「よかったよかった」で納めていい話じゃ無いよね?
 なんかこう「カグヤにとってエゴエゴは弟で、そのことを言われてハッとする我修院」みたいなの出来るじゃん。いやまぁカグヤも完全にエゴエゴが我修院に作られたことを知った後も「敵」としてしか認知してなくてそれはそれでヤベぇんだけど、まぁ言うて兄弟姉妹が円満に仲いいばかりじゃないのはわかるから、そこはまぁまぁまぁギリギリセーフだわ。でも我修院サレナはちょっとそのカグヤとエゴエゴに対する格差が酷すぎるし、そこに対する何かが無く終わったことは……うーん、やっぱりプリキュア作品として良くないとしか評価できないかな。
 
 ただここで思うのは『ヒープリ』の面々って秋公開(ほんとは春)映画のリフレイン、本編のダルイゼン、そして今回のエゴエゴ、その3体を殺害(未遂含む)しているわけですよ。で秋映画のリフレインについてはこっち(https://note.com/spank888/n/nd8234de57bca)で書いて、最初に言ったようにダルイゼンの扱いに関しては好意的。なのになんで私は「エゴエゴ殲滅」を否定するのか?
 
 まずリフレイン、彼に関しては問題の本質が「リフレインを救えるのか?」って部分じゃなくて「生き物はいつか必ず死ぬという事実をいかに受け入れていくか?」にある。これはさっき上げたnoteで書いたからそっちで詳しく述べてるから割愛するけど、つまりは時間の流れに従う=「不回避な死に進まなくてはいけないこと」という側面の話なので、リフレインを倒すことには妥当性がある。
 それでダルイゼンなんだけど、彼はのどかを長い間入院生活を余儀なくさせた原因であり、その後にケダリー関連で再び苦痛を与え、そして最後にこのままだと死んでしまうからお前の体にもう一度入れさせろと頼み、それを断られる……って流れがあって。ここで問われるのは「プリキュアはどこまで自己犠牲をするべきか?」って話。それでいうと初代からそこにはずっと「守るべき日常には”自分たち”も含まれる」があって(それこそ「地球のため みんなのため それもいいけど忘れちゃいけないことあるんじゃない?!の?」という初代プリキュアED「ゲッチュウ!らぶらぶぅ?!」の歌詞を引用するんだけど)、そのライン上で「生きてる、とやっと感じられる日々を犠牲にしてまで、ダルイゼンを助けること」の是非を考えたとき「自分の日常を守る」って選択肢は、そのワガママを悩みぬいた末に選ぶことは……私にとって「プリキュアという作品が何を伝えたいのか?」にズレは無くて、たぶんダルイゼンを受け入れてなんか大丈夫でしたーをやっても許される中で、その答えを描いたことはとっても大事だと思う。だからこれは大正解で、私はすっごく肯定的。
 
 じゃあじゃあじゃあじゃあエゴエゴは?っていうと先にも述べた通り、エゴエゴ自身を説得する余地はまだまだある+悪いのは我修院じゃね?の2点が「倒すしかないって判断するのも早いし、その後も腑に落ちない」という感想になってしまうかな。なんというか「まだ倒すかどうか、っていう悩みの手前で決めっちゃった」感じで、そこでその結論を出すには論拠が全然足りてない!って思う。
 それとは別に、最後倒したと思ったエゴエゴがなんかちっちゃくなって「もうあんなことはしないよ~」つって出てくんだけど、いやいやいや、そもそも原因の我修院がなんら改心してねぇからエゴエゴだけの問題じゃないし、なんでそういう状態になって生き延びてるかの説明もないし、「とりあえず生存してるほうがプリキュアっぽくない?」みたいな雑さを感じてしまう。それこそダルイゼン死亡を描いた確固たる意志とは真逆の適当さが滲んでる
 
 だから、うん、やっぱ、あまり良くない。良くなかったね。
 
 『トロピカル~ジュ!』の方は、まぁ数分の作品だから特に言うことないんだけど、こう全員集合した時の口上……例えば「希望の力と未来の光、華麗に羽ばたく5つの心。Yes!プリキュア5!」とかあるじゃん?それが
みんな元気だ! トロピカル~ジュ!プリキュア!」
で、マジで爆笑しちゃった。「みんな元気だ!」てwww
 いやでもその思い切りがすっごいうトロキュアっぽくて良かったなぁ。これから毎週「みんな元気だ!」って聞けるかと思うと、なんかワクワクしてきますね。

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 次回は『ゼロワンOthers:仮面ライダー滅亡迅雷』評を予定しております。

 この話をしたツイキャスはこちらの13分ぐらいからです。


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