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一週遅れの映画評:『モータルコンバット』少女は「フェイタリティ!」の声を聴いた。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『モータルコンバット』です。

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 心が震えるのはなぜだろうか?

 『モータルコンバット』というタイトルを思い出すのも久々だったし、ゲームとして触れた記憶も大昔のものだ、それなのに劇場へ向かう私の胸中は「モーコン!モーコン!モーコン!」と騒いでいたのである。
 こうやって語る手つきすら普段とは違う。なにか酷く内省的でシリアスな空気を出そうとしてしまう。
 
 1993年の冬。世間は格闘ゲーム全盛期だった。私もスト2からはじまり、餓狼、ワーヒー、サムスピという洗礼の中で(確か当時は兄に一緒でなければゲーセンに立ち入りは禁じられていたのだけど)11歳の私は必死にレバーを握ってボタンを叩き、乱入されてボコられては筐体の向こうにいる相手に「バーカ!バーカ!」と悪態をついていた。それはちょっと嘘、本当は当時珍しい「ゲーセンにいるローティーンの女の子」としてちやほやされていたし、接待プレイとしての対戦はしていたけどそこまできっちりボコられたことなんてほとんど無かった。
 
 それでも少ないおこずかいをゲーセンで消費するのは限界がある……っていうと「エンコー」みたいな話になりそうだけど、そんなワケもなく、単純に「家で無限にできる」家庭用移植の話になる。正直、移植度とかはどうでもよかったスーファミでやるスト2はアーケードとほとんど変わらないように思えたし、「やっぱグラフィックが~」という言葉はゲーム雑誌で読むだけのもので実感としてはまったくわからなかった……というか今の私もいわゆる作画的な話にはまったく興味がなかったりするわけで、元からそういう部分が鈍いのだと思う。
 
 そんな中でゲーム雑誌の新作レビュー記事に新しい格闘ゲームが載っていた。いわく「実写取り込み」いわく「海外製」そしてなにより「残虐表現」……つまりは『Mortal Kombat』。こいつのせいで私は以降10年以上「コンバット」のスペルを間違い続けることになるわけだけど、それはそれとして「海外で作られた異常な格ゲーがスーファミに登場YA!YA!YA!」といった具合である。
 
 当時の洋ゲーは「雑で操作性最悪で派手で残酷」という印象だった。これは世間でも私の実感としても間違っていなかったわけだけど、『モーコン』はまさにそのイメージまんまの作品だった
 実写取り込みのキャラクターはなんかゴチャっとしていて見づらく、通常技もほとんどのキャラで共通、必殺技コマンドも適当、キーを押しても反応がのったりしていて当時「コンボ」という概念が生まれはじめていた格ゲーとしては単発技だけの大味仕様。キャラ造詣も暴走気味……そして繰り出される「究極神拳」で本当に死んでいく!
 
 ゲームとして見れば『モーコン』は全然ダメだった、国産格ゲーにどっぷりハマっていた身としては「やっぱ洋ゲーはダメだな」という実例のひとつが増えただけ。それでも究極神拳で対戦相手を屠るのは楽しかったし(それが本当は「フェイタリティ」という名前で、スーファミ版は表現が随分とマイルドになっていたことを知るのは、もっとずっと後のことだ)、ゲームには「ゲームとは関係ないところにある楽しさも大事」ということを体験できた貴重なきっかけの一つ。
 
 この数年後、鬼畜スカムのサブカルに魅了され、いまでも批評という行為を行っているのは、確実に「あの頃」と地続きだ。そのマイルストーンのひとつとして「モーコン」は確実に私の中にある。
 
 そういう意味で映画『モータルコンバット』は完全に私の中にある「モーコン」だった。ケレン味全開のキャラクター、急に出てくるクセにものすごいわかりやすいビジュアルで力技の納得を捻じ込んでくる魔界、伝統的寺院で取り付けられる機械仕掛けの義手、ライデンの光る眼、シュッとしたイケメンなのに体がバッキバキに決まってるリュウ・カン、とにかく格闘シーンをブチ込むために展開されるシナリオ。
 そしてフェイタリティ!フェイタリティ!フェイタリティ!凍結粉砕、心臓抜き、リングレーザーでどてっぱらに穴、頭を両手で挟んで潰す、魂抜き取り、人体切断、口から火を噴けば相手は消し炭になる!
 
 ゲームの映像化に忠実度という尺度があるとするなら、映画「モーコン」は設定やら使用フェイタリティあたりは実のところかなり改変が加えられている。それでもその精神性、というよりも「私が思うモーコンの、洋ゲーのイメージ」という意味ではほぼ完璧と言っていい「忠実度」で再現されている。
 
 映画を見た帰り、私の心は「モーコン!!モーコン!!モーコン!!」と喝采を上げていた。それはたぶんまだ12歳の少女だったけど、いまと精神性はほとんど変わらない「私」が、年を取ったぶん手に入れた自由を謳歌している姿だった。
 映画として面白いかどうかなんてどーでもいい、そこにあるのは「モータルコンバット」で、ずっと変わらない私を興奮させるエッセンスが高濃度でつまっている。そういう気持ちを思い出せただけでも絶対に価値ある視聴体験だった。
 
 
 
 にしてもリュウ・カン。マジで仕上がり過ぎだろ。

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 次回は『それいけ!アンパンマン ふわふわフワリーと雲の国』評を予定しております。

 この話をしたツイキャスはこちらの18分ぐらいからです。


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