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一週遅れの映画評:『ザ・ウォッチャーズ』整理された世界でホラーは生きれるのか?

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かして配信で喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『ザ・ウォッチャーズ』です。

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 この映画、完全に2パートに分かれているんですよ。ほとんど2作品を強引にガッチャンコしちゃってるぐらいに。その上、両方とも一応の結論に到達してるもんだから……その、正直どちらもちょっと食い足りないっていうか。
消化不良ってんじゃなくて、どっちも「きちんとオチを着けるために、丸めたな?」って感じがあって、まぁ正直あんま面白くなかったというか、ホラーとしてこじんまりとした作品になっちゃってたかなぁ。という感じでした。

 いやね、私は前から言ってるけど「面白い/つまんない」なんてちょっとしたこと、それも作品側じゃなくて視聴者側の状態でいくらでも変わっちゃうと思っていて。今回コロナ罹患明けの状態で見ているからまったくもって快調とは呼べないんですよ、そういう面に引きづられてネガティブな感想になってるのは否めない。
 ただ一方でそういった「面白い/つまんない」とは違う作品評価という視点は絶対に存在するわけですよ。そういった意味でこの『ウォッチャーズ』はきちんと現代性のある内容を取り扱っていて、同時にいま話したような「自分のなかにある複数の視点」を扱ってる作品なんですよね。
 
 前半、というかほぼ3/4ぐらい占めてるんですけど。主人公は色々あって不気味な森で迷う。日が暮れると森のあちこちから、姿は見えないけど「何か」が蠢いている音とか気配がするのね。それに怯えていると、ひとりの老婆が目の前にあらわれる。
彼女について行くと、森の中に建てられた一軒の家に案内される。その家の西側だけ普通の壁じゃなくて巨大なマジックミラーになっていて、外から室内が観察できるようになってるの。
 そして日没後、森にいる「何か」がその家に住んでいる”人間”を観察に来る。その「何か」の正体を見たり、日没後も外にいたり、マジックミラーに背を向けていると、その「何か」に殺される……というルールがあるわけ。
要はその「何か」とは何なんだ? っていうのと、この森から脱出するのが前半パートの主題となるわけですよ。

 ここってすごくSNS的というか、インフルエンサーって職業の話じゃないですか。自分たちの生活を見せることで、生かされていて。そこで姿を隠したりとか、家(発信するプラットフォーム)にいないと、生活が立ちいかなくなる。一方でそこには常に炎上のリスクがあって。自分たちがそうやって生活を見せている相手がそのまま、なにかあれば自分たちを殺そうとしてくる正体不明の「何か」であるという構造も含めて、すごく現代的な舞台設定になってる。
 
 結局その「何か」っていうのが、大昔にいた妖精と人間のハーフである生き物で。それは力も強い上に、外見を変えて人間に化ける能力を持っていた存在で。最終的に人間と争いになって地下深くに封印されてしまった怪物なのね。
その封印が経年劣化でちょっと壊れて、隙間からポロリしてきたのが「何か」で。彼らは人間を観察して完全に化けれるようになって、社会に紛れ込もうとしている。一方、ある民俗学者がその存在に気づき、彼らの生態を探るため「自分たちを観察させる」という交換条件で建てたのが件のマジックミラー家(いま「マジックミラー号」とかけようとして失敗しました)なんです。
 なんかこの「インフルエンサーを熱心に見ているのは、インフルエンサーになりたいヤツ」みたいなのも、構造として確かにあるわけで、そこの汲み取り方としても良い配置になっているのよね。
 
 それで主人公たちはなんやかんやで森から抜け出し、元の街に帰ってきてめでたしめでたし……と思ってたら、一緒に生還したうちのひとりが実は人間に化けていた「何か」で。そうやって人類のもとに危険な怪物を解き放ってしまったことがわかる。
 「何か」は大昔に封印された復讐で人間を襲ってやるつもりなんだけど、そこで主人公は「あなただって妖精と人間のハーフなんだから、半分は同じでしょ」みたいなこと言って説得するわけ。
いや、それってべつに「何か」が人を襲わない理由にならないとは思うんだけど、重要なのはそれに続いて「私たちのなかにも悪い部分がある。でもそれは全部じゃない、だからあなたはそれを見極めてから人間を殺すか判断して」って告げるんですよ。つまり「妖精と人間のハーフであるあなたには、憎い人間が半分混じってる」と「人間も半分が悪いものでできている」という類似性でくくることで、再考の余地があることを促している。
 これって完全に詭弁でしかないんだけどwそういった曖昧な言葉に心を動かされてしまうことも含めて、「何か」と人間の変わらなさを描いているように思うわけですよ。
 
 その上で「何か」に人間を観察するように求める。それって同時に「半分は悪いもの」である人間が自分自身を省みろってことでもあるわけで。ここで前半にあった外から観察されてるって状況が、マジックミラーだったことから「実は反射している自分自身を見つめることと同じなのだ」みたいな重なり合わせに帰結する
 つまり冒頭に話した「自分の中にある複数の視点」がこうやってあらわされているのね。
 
 なんかこう、恐ろしい怪物を通して自分の中にある「悪」を発見し、それを監視して生きていく……ってものすごく正しいし、最初の状況にあった「他者の視線によっておきる炎上」よりも「自分を見つめ直す更生」を重視しよう、みたいな結論は現状の社会に対するメッセージとしてちゃんとしてると思うの。
 
 だけどちゃんとしすぎなせいもあり、怪物も人間の悪い面も「理路整然とし過ぎて」いて、ホラーとして何もドキドキしないという問題が。わりとシンプルな「問いと解」を見せられてるようで、なんか、なんか「映画を見た、って気がしねぇなぁ」という作品でした。体調かなぁ、体調のせいなんだろうかね。たぶん。

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 次回は、もう苦労する予感しかしてないんだけど『ルックバック』評を予定しております。

 この話をした配信はこちらの18分ぐらいからです。
 


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