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一週遅れの映画評:『みおつくし料理帖』料理人の人格なんてクソでいい。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『みおつくし料理帖』です。

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 江戸時代の料理を中心とした……って言いたくないけど、料理を中心とした作品で。その作中、主人公の澪(みお)が最初に評価を受けるのが「とろとろ茶碗蒸し」なんですけど、この「とろとろ茶碗蒸し」って「そういう感じのやつ」ってのじゃなくて、マジで「とろとろ茶碗蒸し」ってネーミングなんですけど、はぁー江戸江戸~江戸江戸~、って思わず芸人の「お侍ちゃん」のブリッジをやってしまいましたがwまぁ実際そのぐらいの江戸感で全編がお送りされているんですけどね、それは良くないけどまぁ仕方ないとして。
 
 この澪は元々大阪の料亭に拾われて、なんやかんやで江戸に来てソバ屋で働いてるんですけど。当初は自分の出した料理が評判悪いの「白みそ仕立てのツユに牡蠣」っていう料理を「でも西では牡蠣といえば白みそで、江戸は水も出汁もお客さんも違う」と悩み、とりあえずは醤油でキツめに味付けした煮物を出して「こりゃうめぇ」って言われるんだけど、本人はまったく納得していない。
 
 でたよ、でましたよ。こう「関西の人間がナチュラルに関東の舌をバカにしてる感じ」が。なんで「水も出汁もお客さんも違う」までわかってるのに「でもこっちのほうがおいしいに決まってる」みたいな決め打ち突っ込んでくるのか、ほんと関西系食通が作品に出てくると自然にそういうことやらせるんだから!
 
 で、なんだっけ。そう「とろとろ茶碗蒸し」ね、それが評価されたのが「関西の昆布出汁と関東のカツオ出汁を合わせて使う!」っていうのを思いついて、それがウケるんですよ。
 それにより江戸の「料理店番付」とかいうやつに「関取」ってランクで載ることになる。それでやったやったと喜ぶのも束の間、客足がパッタリと途絶える。というのもその番付の「横綱」である「登龍楼(とうりゅうろう)」という料理店が茶碗蒸しを破格の値段で出しはじめたから。
 
 で登龍楼の茶碗蒸しの味を確かめにいった澪と元々大阪時代に世話になっていた料亭の奥様とが、それを一口食べて「この出汁はウチのものと一緒だ!」と気づいて、厨房に乗り込み「ウチの味を盗んだな!」と怒鳴りつける、そこにあらわれた登龍楼主人が「カツオ出汁と昆布出汁を合わせるなんぞ、昔からある手法」と言い放つ。
 ……これって完全に登龍楼側が理屈に合ってるわけですよ。複数の出汁を合わせる手法なんて(江戸っていう時代を考えても)いくらでもあるわけで、そこに「カツオと昆布の合わせ出汁をパクられた!」って騒ぎだすのは、完全にこの澪たちがヤベー奴らで……まぁ百歩譲って自力で車輪の再発明してそれで評判になったところ、大資本が勝ち馬に乗ってきた事に対してイラッとするのはギリギリ理解の範疇ですよ。
 でもこの奥様がね、たびたび「料理には人徳が出る」みたいなこと(正確には何て言ってたか忘れたけど、そういう風なこと)を言うんですよ。
 いや営業中の厨房に根拠の浅い難癖つけて怒鳴り込んで来るの、相当に人格が最悪の部類じゃない……?
 
 まぁその後、登龍楼は「ライバル店の入り口に輩を配置して客を追い返す」「放火する」っていうことをするから登龍楼の方が最終結果としては悪いんだけどさぁ……それはマイナス100点でもマイナス1000点よりはマシって争いの話でしかなくて、それをなんか「正しい主人公たちに降りかかる苦境」って感じで見せられても「どっちも潰れちまえ、バカか」という感想しかもてない。
 
 でも話はまだ続くからそこは一旦飲み込むわけですよ。まぁこの澪って人は自分が思いついた工夫に自信満々で、そういう「自力でたどり着いた答え」を重視する人なんでしょう、と。そういったキャラクター描写は無いわけではない。そういう料理人として描くのは良い、とは言わないけど許容はできる。
 
 いや本当はね、これまで幾多の料理人たちが積み重ねてきた失敗と成功の歴史を軽んじる姿勢って好きじゃないんですけどね……そういう意味では登龍楼って地域で一番の料亭で、そういう場所が持ってる役目って「客の舌を育てる」こともあると思うんですよ。
 例えばめちゃくちゃ癖の強いチーズがあって、それをきちんと調理して提供することで「これはおいしいものなのだ」と理解させ受け入れさせていくとか、そういう流れって絶対にあって。言ってしまえば鰹節って発酵食品でもあるわけですよ、それこそチーズみたいに表面にカビが出るのが「正しい熟成」になる食品で、そういうものって地域差がすごくあるから、私たちがカツオ出汁をおいしいと思っても、他の国の人からは「オエー」って感じになることは珍しくない。
 だからね澪の「カツオと昆布の合わせ出汁」がウケた背景には、きちんと「出汁を味わう」文化が育ってることが重要で、そういった点に対して登龍楼が担ってきた役割は絶対に無視できないんですよ!そういったリスペクトが微塵もない!料理人としての人徳がカス!
 
 あれ?なんの話だっけ。
 そうそう、でねまぁその江戸最悪の料理人である澪が自意識過剰で自分で工夫を発見したい人なんだなー、と思って見てたら、最後に料理対決をすることになるんですよ。
 でね、そこで「先人の書いた料理に関する指南書を紐解く」のよ。
 
 はぁ!?
 
 え、待って待って。あなた自分の思いついた(と勘違いしてる)工夫がパクられたことにキレるけど、そこでそういうものに頼るんですか?行動の一貫性が爆散してますけど???
 澪の茶碗蒸しを食べて「なるほど今の江戸ではこれが流行るのか、じゃあウチでも出してみるか」っていうのと「この本にはこうするとおいしいって書いてあるから、やってみた」にそこまで差がある?いや「片方は未公開で、片方は指南書ですし」っていうのはわからんでもないよ、でもそこにある「おいしさの技法を伝え繋いでいく」こととその意義は変わらないと私は思うんですよ。
 
 それともあれかい?自分がやるのは良いけど、他人がやるのはダメーっていうクソ人間ってことですか、そうですか、そうですね。
 
 でもねでもね、おいしいものさえ作れれば料理人の人格なんてクソでいいんですよ。私は『鉄鍋のジャン』とか超好きだからね。ただし「料理には人徳が出る」とさえ言ってなければなぁ!
 
 ほんっと、耳障りの良いテーマを言うことで感動に仕立てるけど、実際にやってることはそのテーマとまったく合致していなくて、本気で「お前らは何をどう考えてこの作品を作った?」と怒鳴り込みたい衝動に駆られましたよ。
 それにまぁ絵面もひどい。コントみたいに急造のすごーく清潔でキレイな江戸の風景に、時々差し込まれる文字演出の鬱陶しさ。エンディング後に澪ともう一人の重要人物が会話するんだけど、それが全部書き文字だけで提示されるのが吐くほどダサい。
 
 これを見るぐらいなら、2000円でなにかおいしいものを食べて来てください。それが正解!

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 次回は『朝が来る』評を予定しております。

 この話をしたツイキャスはこちらの13分ぐらいからです。

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