一週遅れの映画評:『今夜、世界からこの恋が消えても』置いて行かれた、あなたのために。
なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。
今回は『今夜、世界からこの恋が消えても』です。
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やっぱねぇ、こういう作品を見ると思うんですよ。原作があるとかないとか、ラブストーリーだとか、実写だとか邦画だとか、そういった分類ってあんま意味無ぇなって……いやまぁ私の映画評はそういった意味では非常にごった煮状態なので、特にそういう感じはあるから「おめぇはそう言うしかないわな!」と言われたらそれまでなんですがw
何が言いたいかっていうと『今夜、世界からこの恋が消えても』。めちゃくちゃ良かったんですよ……あ、いつも通りネタバレ上等で話していくので、この時点で「すぱちゃんが面白いって言うなら見ようかな」と思ってくれる素敵な方はですね、ブラウザのタブを閉じていただければ、ほらどうせ文字起こしもあるし。
そういう人のために私が一番言いたいことだけ最初に言っとくね。この作品を「現実と虚構が等価である」かつ「強靭な友情のお話」として私は受け止めました。
それでザックリとストーリーを話すと、父親と二人暮らしの(母親は亡くなっていて、姉は家を出ている)主人公がヒロインに告白するところからお話は始まるんですね。ただこの二人はそれまでほとんど面識も無い状態で、だから主人公は最初からフラれるつもりで告白してるんですよ。なのになぜかOKを貰えてしまう。
ただそこで奇妙な条件を3つ提示される。
1.放課後まではお互い話しかけないこと
2.連絡のやりとりは簡素にすること
3.本気で好きにならないこと
主人公はその条件を受け入れて、ヒロインとお付き合いをはじめることになる。
それでね、実はこのヒロインが事故の影響で「寝るとその日の記憶が全部失われる」、つまり毎朝ごとに事故があった日まで記憶がリセットされてしまうという障害を持っている。だから翌日になると主人公と付き合うことになったことどころか、毎日毎日「自分の記憶障害にショックを受ける」ところからスタートするのね。
だから日常生活を送るために詳細な日記と大量のメモをノートに書き留め、毎朝それを読み返してなんとかやりくりしている状態。でそれを知っているのは両親と教師、あと一人だけ古くからの親友だけ。
だからヒロインは日々の積み重ねがまったくできないわけですよね、忘れちゃうから。頭の中はずっと「同じ日」に閉じ込められている。その閉塞感から何か変えたいと思って主人公の告白を承諾しちゃう。それでさっき話した条件で付き合いが続いていくのだけど、ある日のデートでヒロインがつい居眠りしてしまうんですよ。当然そこで記憶は失われる、そのトラブルがもとで主人公は彼女の記憶障害を知ることになる。
そこで提案するんですよ、「今日の日記にそのことを書かなければ良い」って。つまりデートはしたけど何の問題もなく終わりました。って日記に書いてあるなら、翌日には記憶が全部飛んで読み返したときヒロインの認識としては「記憶障害がバレていない」世界しか存在しなくなる。
それで主人公は、毎日記憶がリセットされるなら、その毎日をできるだけ楽しいものにしてあげたい。つって色々と頑張るわけですよ……まぁそんなこと思う時点ですげーヒロインのこと好きじゃん! なんだけど。それでヒロインの障害のことを唯一知ってる親友とも協力して。そうやってこの3人がめちゃくちゃ仲良くなっていく。
なっていくんです、が。
主人公、いきなり死んじゃうのね。
さっき主人公の母親は亡くなってることはちょっと話したけど、それが心臓病で。主人公も遺伝的に急死するかもしれないという不安を抱えてはいる。それで一回倒れてしまって、それからすぐ急死してしまう。
それでその最初に倒れたとき、ヒロインの親友に、というかその時にはもう主人公にとっても親友になってる相手にひとつ頼み事をするんですよ。
「彼女の日記から、僕の存在を消して欲しい」って。
毎朝記憶が無い状態に絶望して、それでも日記を読んで。そうするとそこに仲良くなった彼氏の話が出てくる、そこに書かれてる日記の内容はとても楽しそうで、なのにいきなりその相手が死んでしまう。主人公としては「毎日をできるだけ楽しいものにしてあげたい」と思ってるわけだから、そのための方法として頼むわけですよね。
要するに記憶障害がバレたときの「日記に書かなければいい」をもっと大きい範囲でやろう、ということで。
これ、ヒロインにとっての「現実とは何か?」って話じゃないですか。その日記に「今日は楽しかった」と書けば、その日は「楽しかった」ことになるし、「イマイチだった」と書けばイマイチだった日になる。どれだけ詳細なものを書こうとしたところで、全てを書き留めれるわけない、だから日記とはいえそこに書かれてる内容は編集を受けた「虚構」であるし、もっと言えば「明日の自分になにを残したいか?」を操作できる。そしてその操作の結果、ヒロインにとっての「現実」はそこに書かれた「虚構」とイコールになるわけですよ。
だからヒロインにとっては日記に書かれた虚構と現実の間には何の違いもない。でも、でもですよ、私たちだって毎日の出来事を全部記憶しているわけじゃあない。もちろん覚えてることもあるけど、大半のことを忘れてしまうわけですよね。一か月前の朝ごはんなんて覚えてないわけですよ。それで例えば7/8のツイログとかを見て「いつも通りシリアルの朝ごはん食べた」って書いてあったら、それの真偽なんてわからないけど、でも「一か月前の朝ごはんはシリアルだった」が「現実」に成り代わる。
それどころかもっと曖昧に「たぶんそうだった」程度の記憶で日々を過ごしていて、それって完全に自分の中で編集された記憶なんだから、この作品のヒロインと大して変わらねぇんじゃないの? と思うわけですよ。
それは主人公の家を出ていった姉とヒロインとの会話でもされていて、「記憶は薄れていくし、いまは弟の死が悲しいけれど、その悲しさもどんどん忘れていく」みたいなことを言った上で「でもそれでいい」とも告げるんですよ。
実はこのお姉さんが家を出た理由の一つに、「小説家としてデビューしたから」というのがあって。つまりフィクションの作り手として虚構、書かれていることと現実の間はそれほど隔たりはないんじゃないか? てことをそういった設定を持つ人物に言わせることで伝えようとしている。
でね、その中で複数の現実が並列しているわけですよ。「ヒロインの彼氏が死んだ世界」と「最初から彼氏なんていなかった世界」というのが。そしてね、その後者の現実を作るために手を貸した親友がこう独白するんですよ、「私だけが、置いていかれてしまった」って。
ヒロインの現実/日記からは主人公は最初から存在していなくて、主人公は死んでしまっている。だけどその二人の親友は当然そのことを覚えている。だから親友にとっては、いまはもう大事な友人になった主人公が死んだ悲しみとか、その思い出を共有して一緒に死を悼むことができる相手なんてどこにもいないんですよ。
ヒロインはその記憶が無い世界にいるし、主人公はこの世にはいない。だから「置いていかれてしまった」と親友は独白するしかないんです。
ヒロインの日記はヒロインの記憶代わりであると同時に、親友にとっても大事な楽しい思い出で。それを消す、無かったことにするというのは親友にとってめちゃくちゃ辛いことなのは当然。でもヒロインのこれからの幸福のためと、主人公の頼みだから自分の辛さを二の次にして、その「現実」の修正を決断するんですよ。
いやもうここにある友情の力ね。その友達のために、友達自身を「無かったことにする」ことを選べる。それを自分の決断として受け入れるところが、もうめちゃくちゃ凄くて……すげぇ泣いちゃいましたよ。ヒロインのどうこうとかよりも、私にとってはこの親友の方が胸に迫るものがあって。
しかも! しかもですよ、その日記の改変をきちんと統合性とって矛盾ないようにしないといけないから、超難しい。だからその作業を誰がやるかっていうと「作家デビューしてるお姉さん」に任すんですよ。
作中でかなり大事に思っていることが示されている弟の生きていた痕跡を、それも彼女との思い出っていうめちゃくちゃ幸せそうな姿を「無かったことにする」ってまぁとんでもない苦行じゃないですか。それはさっき言ったように現実と虚構が等価だから、お姉さんにとってはただでさえ辛い現実を、さらに悲惨な(楽しかった弟の日々、が失われるのだから)ものにしなければならない。辛い現実をさらに悲惨な虚構で上書きしようとする。
でもね。その痛みがあってなお、現実を虚構で上書きできる可能性を描いてみせたのは、フィクションとして本当に素晴らしいなと思いました。
……でもひとつだけ。これ原作に続編があるんですが、えっと、私はそれを数ページで読むのを止めました。それはこのnoteを見たのちに原作続編を確認していただけると、理由がわかると思います。
いやでも映画の方は、たぶん私寄りの解釈になるようにしてると思うんだよねぇ。だからこれでヨシッ!
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次回は『ONE PIECE FILM RED』評を予定しております。
この話をしたツイキャスはこちらの11分ぐらいからです。
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