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一週遅れの映画評:『ONE PIECE FILM RED』べらぼうな夢はあるか?

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『ONE PIECE FILM RED』です。

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 いや~~~~~、困った。実を言うと私、『ワンピース』ほっとんど知らないんです。原作でいうと9巻、ゾロと鷹の目とかいうのが初めて会ったあたりで止まってるんです。だから今回の映画見てても8割方知らん人しか出てねぇっていうwトラファルガーとかいう名前は知ってるけど能力はわかんないとか、トビー?ん?コビー?初めてみるお顔ですわね……って感じで。

 ただそれで凄いなと思うのが、映画の120分間。ほぼ退屈せずに見てられたんですよ。というか『ワンピース』ぐらい長期でやってる大人気コンテンツともなると、観客の理解度って絶対一様にはできないわけですよね。週刊少年ジャンプで毎週最新話追ってる人、単行本派、アニメだけは見てる、空編まででドロップアウトした、基本設定は知ってるぐらい(つまり私ね)、マジなんも知らん……そういう雑多な層に対応しないといけない。
 それがまずすごい上手くて、「とりあえず今回の映画を見る分には困らないだけの設定」を的確に入れてくるんですよ。さっき言ったトラファルガーとかいう人が「ああ、作った空間?にいる相手になんかできる能力なのね」ってなんとなくわかったり、「けんぶんしょく?千里眼みてーのか」とだけ理解できれば問題ないぽくて、その情報の入れ方がちょうどいい塩梅なんですよ。
 
 というとっかかりが終わったので、ここからいつも通りネタバレね。もう次の一言目からネタバレしてくからね?いいですね?
 
 今回の映画オリジナルキャラのウタって娘がラスボスなんスけど。彼女は「自分の歌を聞いた人間を昏倒させて、夢の世界に意識を引きずり込むことができる」って能力を持っているのね。それで『ワンピース』世界には動画中継できるアイテムがわりとカジュアルにあるっぽくて、つまりウタがぶわーって歌えば世界中の聞いてる相手を夢の世界に持っていけるわけ。
 それで何がしたいかって言うと、「争いのない新世界を作りたい」と。夢の中だからあくせく働かなくても食っていけるし、暴力は封殺できる。はい、みんな幸せですねーって感じで。
 
 でまぁルフィはそれに抵抗して「夢の世界から出せ」と言うわけですよね。これ、とりあえずは「現実vs虚構」っていう図式にみえるじゃない?
 ウタは夢の世界で楽しく暮らしましょうねと言っていて、ルフィは元の世界に帰せと言ってる。まぁまぁまぁ『ビューティフルドリーマー』とかまで言わなくても、こう映画としてよくある枠組みではあるんですよね。本編の大筋に影響を与えにくいから(いやなんか漏れ聞く話では本編で語られたことに対して、逆算的に――ウタがルフィの幼馴染だから、過去のルフィがした発言とリンクして結構な影響あるらしいですけど)劇場版として作りやすいっていうのと、物理的に「外界から切り離された映画館で見て、上映が終わったら出て行く」っていう部分と当然合致するわけだから、否応なしに作品としての強度が上がるだから「虚構の世界に行って、現実に帰ってくる」お話って映画でやるのに凄く向いてるのね。
 
 で、まぁ劇場で見ながら「そういう方向で話すればいいかな~」って思ってたんですけど……ただ、なんか違和感があんのね。なんというか、別に間違った読み取りでは無いんだけど「私は何かを見落としてる」ってものすごい直感が訴えてくるのよ。
 それってたぶんルフィの最終目標が関係していて。ほら「海賊王におれはなる!(ドン!)」てヤツですよ。
 
 一応「ひとつなぎの至宝(ワンピース)を手に入れて海賊王になる」っていう最終目標があるけど、これが何かちょっと変で。ていうのもその「ワンピース」というのが何かがまだ本編で判明していない、かつ海賊王ってのが「最も自由な者」を意味するってルフィ自身が言ってるけどそれもなんかふわっとしてんじゃん実際……ちょっと映画の話からズレるけど、一応少年ジャンプは買ってるからたまに『ワンピース』をチラ見することもあるんだけど、今のワノ国編で成った「ニカ」とかいうモードがその「最も自由な」の……まぁいいかそんな話はw
 なんだっけ、そう、だからルフィが「夢の世界から出せぃ!」と言って、じゃあ現実に戻ったから何か実在性のあることをするかって言ったら……たぶん短期中期的な目標設定はあっても、最終地点がフワフワしてんのよ。でね、それが悪いわけでもないんです。
 つまりルフィは短期中期は「現実」的な目標を追っていて、長期的には「虚構」的な目標を追っているとも言えるわけ。そこに「夢の世界で幸せになろうよ」、つまり虚構の中で暮らそうよって言われても「いや、それじゃ半分しか願いが叶わねぇよ」ってことになる。
 だからこの作品で描かれてるのって「現実vs虚構」ではなくて「現実と虚構の両方vs虚構だけ」っていう争いなんですよね……そりゃあウタちゃんは勝てねぇわな、スケールが違うもん。
 
 なんでその見方に至ったかって言うと、最後にデッカい魔神……なんだっけムーペケポンポンみてぇな名前のやつ。そいつを倒さないといけなくなるんだけど……思い出した!トットムジカだわ、名前。全然ちげーじゃんwなんだよムーペケポンポンって。
 まぁそのトットムジカとかいうのを倒さないといけないんですけど、そいつは夢の世界と現実の両方に出現する。でそれを二つの世界で同時に倒さないと、ルフィたちは現実に帰れませんよ。ってなるんですよ。まぁそこで世界を挟んでルフィとシャンクとかいう人が「共闘ではないけど共闘する」のがファンには堪らなかったりするのかな?
 そうやって「現実でも夢(虚構)でも、同時にやらなければならないこと」があるという展開になるのは、「現実と虚構の両方」をルフィが求めているという背景があると考えれば当然なんですよね。
 
 で、これがいいのってルフィは決してウタを否定してはいないというか……「夢(虚構)に生きる」ことを肯定しつつ、ただそれだけじゃ足りないから「現実」にも戻るしかないと言ってるわけですからね。
 だからあれだね、ルフィは現実に居ながら夢の世界をも同時に生きようとしているというか、『タローマン』だよ『タローマン』!つまり「べらぼうな夢はあるか?」に対して「現実の中で同時に虚構を行う」というでたらめをやる姿に、流石のタローマンもニッコリですわね。

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 次回は『TANG タング』評を予定しております。

 この話をしたツイキャスはこちらの16分ぐらいからです。


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