見出し画像

一週遅れの映画評:『DIVOC-12』期待外れの退屈と貧困。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『DIVOC-12』です。

画像1

※※※※※※※※※※※※※

 あのですね、この『DIVOC-12』。12本の短編アンソロジーでそれぞれ別の監督が~、ってやつなんですよ。なんでこんな企画かっていうと、「新型コロナウイルス・ソニーグローバル支援基金」を使って「コロナの影響を受けているクリエイター、制作スタッフ、俳優が継続的に創作活動に取り組めるよう」……まぁあれですね、そこらへんに金を配ろうっていうw
 
 別にね~……それが悪いってんじゃないんですよ。やっぱり製作者側がお金を持ってないと、絶対に良い作品は生まれない。これは「予算が必要」って意味じゃあなくて、名作なんて狙って作れる人間なんて一握りしかいなくて、かなりの割合で運とか、あるいは見てる方のコンディションなんかも影響してるんですよ。もちろん社会の空気とかもね。
 だから基本的には数を打っていくしかない。どんどん作ってその中から稀に生まれる傑作をね、拾っていくしかないと。そう思っているんです。だからこの企画自体は正しい、正しいんですよ?これは本当にそう思う。
 
 って前フリの時点でわかると思うけど、まぁ~~つっまんねぇのw何個か「あ、いいな」と思うのはあったんですけど……『流民』ってタイトルでえーと監督さんが、ん、(志自岐希生)読めない。まぁあとでググってよ。それはね、良かった。デビット・リンチ的な進行でフェデリコ・フェリーニっぽい演出もあって、たぶん他の監督からの影響もあるっぽいんだけどそれは私の知識不足でよくわかんない。
 ただそういったものを邦画っぽさ、どうしても付きまとう安っぽさを失わずに、きちんと構図を見せたいシーンと軽薄に流されるシーンの対比に利用してる。それが狙い通りに機能してるってのは、この緊張感を維持したまま作られる長編が見たいな!と素直に思いましたね。
 
 こうやって1本1本の感想言ってくのが私は楽なんだけどさ、それもこうやって話す意味があんまないからなぁ。どうしよっか……
 
 あー、でもね正直この12本の短編を見て「これからの邦画、厳しいなぁ~」って思っちゃったんですよ。こういう企画じゃない?だから長編は撮らせられないけど、基金を使ってある程度は採算度外視で若手を集めて、ってことだと思うんですよね。つまりこれからの邦画界を担っていく若い才能がいっぱい集っていると、そう考えていいわけじゃないですか……だとしたら厳しい。
 
 違うんですよ、面白いのもつまんないのもある。これは頭で言った通り仕方ないし、それでいいと思うんです。だけど、なんか全部似てんだよねぇ
 
 まず主人公が何か作業してるのを横から撮るシーンからはじまる、物語の主人公の全体像を映しつつ「この人はこういうことをする人ですよ」ってのを示すのには、手軽なんでしょうけど12本中8本ぐらいそんなんだもん。飽きる、飽きるって。「はいまた横顔ー」みたいな、最初は「ここで上手/下手を向いてるから~」みたいに「短編なら全カットに意味を持たせてるに違いない」って前提でちゃんと見てたんだけどさ、もう途中から「どうでもいいわ」って気分になっちゃった。
 
 それと登場人物が何か喋ってるんだけど、声は聞こえない。動いてる口が映っていて、それをBGMが、普通に歌とかクラシックとか街の喧騒とかがかき消してるってシーン。これも何回かあったなぁ。
 いやね「そこでどんな言葉が交わされたのか」を視聴者に投げるのって、まぁまぁまぁ良くある手法じゃん、特にちょいサブカル寄りの邦画では。ほら「わかりやすい物語と脚本で、セリフが全部説明する大衆映画とは違うぜ!」ってのがやりたいわけじゃない?彼らは。そういうの嫌いじゃないですよ、私も。
 でもさぁ、短編が描ける範囲だと「想像の余地が皆無/広すぎる」のどっちかになりがちで、そこをちゃんと処理できてなかったし、一日に何度も見せられるとねぇ「いや狙いはわかんだけどね、うん、はい、またですか」になっちゃう。
 
 あとラストシーンな。いいのか悪いのか、幸せなのか不幸なのか、正しかったのか間違っていたのか、みたいな曖昧なオチをつけて役者の微妙な表情をアップで映して終わるの、もうやめろ。も~~~~そんなん!そんなんばっか!「やっぱり作品を完成させるのは役者の力なんですぅ~」みたいな、こう脚本/監督としての自分の限界をわかっていて己の力だけでは難しいところがあるのを皆さんのお力で乗り越えるんです~、これが現代感なんですよぉ~、って態度が見え見えで鼻につくんだよ、マジで。
 
 わかるよ、わかるの。テレビドラマの劇場版、アニメ、原作付き、それが大手を振って上映され興行収入も良い。そこに対する忸怩たる思いも「自分たちが映画ってもんを見せてやるZE!」ってお気持ちもお察しします。
 でもさ、その結果出力されんのがこうも画一的なのは発想の貧困ですよ。そら劇場版アニメが魅せるチャレンジングな内容の方がウケるって、そら厳しい気持ちにもなるよ。
 それぞれの作品で「あ、ここはいいな」って部分がまったく無いわけじゃないの。だけど目指す「異質さ」が「よくある異質さの演出」に留まっているのは本当に良くない。これらの作品群を見て「私たちの今後に期待してください!」って言われても「え、無理ですけど……」としか答えらんないよ。
 
 うーん、ほんとね「つまんなくてもいいから、可能性にドキドキしたいな」って思ってたら「凝り固まった退屈さ」を提供されてうんざりしちゃった。
 
 そう思ってる最後が『名もなき一篇』って作品だったんだけど、これがもう圧倒的ワースト。ひどかった。
 中国語を喋る美人の女と、日本語を喋る顔のいい男。そんでこの女もう死んでて、あとはひたすら顔のいい男が景色のいい場所でグダグダ思い出の中の女とくっちゃべるだけっていう。死ぬほど適当に顔面の良いやつ撮ったらできたー、みたいな。マジでYouTubeでも5秒でスキップするレベルのダメ作品だった。最後に一番つまんないのが出てきたのは、本当に腹が立ったね。「あ。これがトリを飾るのを良しとするんだ。終わってんな」って感じで。
 
 頼むよ~~~~~、私は結構邦画に好意的な方だと思うよ?ちゃんとこれからに期待させてよぉ……なんか、辛いね。

※※※※※※※※※※※※※

 次回は『プリズナーズ・オブ・ゴーストランド』評を予定しております。

 この話をしたツイキャスはこちらの18分ぐらいからです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?