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一週遅れの映画評:『アイの歌声を聴かせて』不気味な者の声は消されて。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『アイの歌声を聴かせて』です。

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 ママ味(み)が強いッ!
 
 なんの話かっていうと作中キャラクターのトウマ君ですよ、トウマ君!
 彼ってまぁわかりやすいギーグではあるんです。めちゃくちゃ優秀なプログラマで、造詣も深く、対人関係になると考えすぎでうまく立ち回れない感じが。だからそういった面でわりとオタクのコミュ障的な部分があるんです。
 だけどその彼が実験中のAIであるシオン、まぁ基本的にAIの判断と人間の社会性って相容れない部分があって、つまりある種の非論理的思考がそこには必要になってしまう……というか目指す目的のために通過すべきチェックポイントがあって、そこを経由しないといけないから、各チェックポイントへのルートとしては合理的なんだけで総体として理論性が無いっていう。
 あー、例えばこの作品でAIであるシオンは主人公のサトミを「しあわせにしたい」と思ってる、でシオンとしてはその目的のために「いま幸せですか?/Yes or No」って直線の問いを投げるわけですよ。それでNoと言われたら「幸せになろう!」つってくる。
 ここで、そうな仮に「幸せになるには友人が必要」と仮定するじゃない。そうすると「友人を作る」ってチェックポイントが出て、そのために「共通の話題を探す」ってチェックポイントが発生、そこから「ファッション誌を読む」チェックが必要になるから、それらをこなすために「帰りに本屋へ行く」みたいな感じになるわけじゃない。
 でもこれはそのチェックポイントが見えないAIには到達不可能なポイントなわけ。だって「しあわせになる」ための行動が「本屋に行く」って、それは「本が好きな人を幸せにするには?」以外の問いでは出てこない回答じゃないですか。
 
 で、そこにトウマが介入するわけですよ。人間の社会性が求める次のチェックポイントをシオンに提示して、その行動を修正させることで円満に事態を解決しようとする。いや、このときの両手で耳を塞ぐみたいにして頭を抱える仕草が個人的にめちゃくちゃ好きなんですけど、まぁそれは置いといて。
 ここにママ味があるっていうかw彼の脳内でやってることは人間の思考をいったんプログラムのフローチャートの状態にして、目標の再設定を行い、それをAIであるシオンに理解しやすい表現に変換して伝えるっていう人力コンパイラみたいなことをしているわけですが、これってなんか「母親が子供に世間のルールを言い聞かせてる」ように見えるんですよ。すっごいお母さんぽい。
 
 でね、これは終盤明らかになることなんですけど
 
 この息継ぎは配慮ね?いいね?
 
 このシオンってAI、その原型は小学生のときにトウマが作ったプログラムだってことが判明するんですよ。主人公のサトミのために作った会話できるAI。それは取り上げられて消去させられてしまうんですけど、実はネット上にそのプログラムは逃げていて十年近くの歳月を経てシオンとして再びサトミの前にあらわれる。
 つまりトウマ君がママ味を発揮するのも当然で、実際にトウマ君はシオンの作成者、つまり母であるわけなんですね。
 
 ……っていう構造に気づいたところで、思ってしまったんですよ。「あれ?これ私の好きなタイプの話に見せかけて、違うな」って。
 
 そのね、AIが人間社会に溶け込めるか?っていう実証実験としてシオンは学校に送り込まれていて、それに反対する人が同じ社内にいるわけですよ、そんなのは危険だって。
 そこに対する反論として「人の幸せを願って作られてるから大丈夫」みたいなことを言うわけです。まぁそこに対する「そうかぁ???」っていう気持ちが私にはある。だからこれって「親子」の話だと見立てるなら「子供は絶対に両親のことが好き」みたいな話になっちゃうなぁ、と。
 シオンが消去されそうになったとき、それを「死ぬ/殺される」って表現するぐらいひとつの生き物としてAIを扱うのなら、どうしても「制作者の意図通りに動くことを正しいとする」この方向性での説得は、説得する側に問題を投げかけてしまうわけで、それを素直に肯定するのは難しいな、と思うんです。
 
 そういった点でトウマ君は、シオンの緊急停止機能(AIだから万が一に備えて、外部から動作を強制停止できるようになっている)を「こんなもの、本当は必要ないんだ」と言ってハックして解除するのよ。この行動には人の手からAIを解放しようという意志が見えて、私はすごい好きなところなんだけど……。
 
 でもねトウマ君、ラスト辺りで「シオンにはもう心はあったんだよ」みたいなこと言い出すんですよ!そこに「違うじゃん!」ってどうしても思ってしまう。そりゃね「人間みたいな心を持つ」ってひとつのロマンではあるわけですよ、ただそれって自分のわかる範囲に押しとどめておきたい、理解できる存在であって欲しいということを感じてしまう。
 シオンの実証実験に反対していた人は「どうなるかわからない、危険だ」って理由で反対していて、で、そこで人間と同じ存在を求めるっていうのが、私には同じ穴のムジナに思えてしまう。「理解できない怖い」と「理解できる怖くない」って実質同じことを言ってるだけじゃないか?と。
 
 なんだかわからない理解できない、でも共存できる。持ち合わせた倫理が違うけど、そのすり合わせをしていける。「人同じAI」よりも「人と違う不気味なもの」との共生を、このテーマなら見たかったなと(それは『仮面ライダーゼロワン』特に本編終了後のVシネマックスシリーズでは描こうとしていたことに思える)。
 だって人間そっくりなモンが欲しいんなら、セックスして子供つくりゃあいいじゃないですか!君ら相思相愛だったんだろぉ!
 
 だから緊急停止機能を「本当は必要ない」と言い切ったトウマ君が私は好きで、心がどうこう言うトウマ君が私は好きじゃない。なんだろうなー、前半100点/後半60点みたいな気分の作品でした。悪くないんだけど、私の見たいのはそれじゃない。

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 次回は『きのう何食べた?』評を予定しております。

 この話をしたツイキャスはこちらの18分ぐらいからです。


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