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一週遅れの映画評:『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』46点だ、こんなもん!

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かして配信で喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』です。

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 まぁわかると思うけどタイトルは釣りです。というか「前後編の前編なんだから配点50点満点のうち46点」てぇやつですわ。
 
 ただなぁ、決められた運命どうこうってのに抵抗していくのは作品の方向性としてもう答えだしてるようなもんだし、私個人としても「それは運命」みたいな話が超キライって何度も話してるから、そのポイントに関して言うこと何も無いんだよね。
 ということで、今回の『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』において私が一番よかったところって「思春期の子供が直面するアイデンティティの崩壊」を丁寧に描きつつ、それがマイルス・モラレス・スパイダーマンの在り方と重なってくるところだと思うんですよ。
 
 OK。それじゃあイチから説明していくね!
 
 主人公のマイルスは高校生だから当然「卒業後の進路」みたいな問題を抱えているわけですよ。グラフィティ活動はしているけど、もちろんそれを堂々と将来の夢にはしにくい、だったら勉強して大学に……とは考えていて。前作で「マルチバース」に触れたことで(ていうかグウェンのことがあって)、別次元へのアクセスできる可能性の研究として量子力学を専攻したいとは思ってる。
 だけどそのためには地元を出て遠くの大学に行かなきゃならない(マンハッタンだっけ?)、それに対して母親が反対している。って状態になってるわけですよ。
 これに関してはちゃんと自分の進路の話をしないマイルスもめちゃくちゃ悪いし、片や過保護な(というかすごく子供扱いしている)両親も悪いんですが、ここでマイルスは「何者かになろうとしているが、なれない」って状況にあるわけじゃない。目指したいものはあるけど、それは反対されている。かといって相手を説得することからは逃げている。
 
 その背景には彼が「スパイダーマンである」ってことが影響しているのよ。スーパーパワーを持ったヒーロー、なんてもう圧倒的に「何者」であるわけじゃない、名も無い人々とは対極にあるような「認められた固有名」としてマイルスは「スパイダーマン」ていう存在になれている
 つまり彼が自分の進路に対して真剣に向き合えないのは、もうすでに「スパイダーマンである」というアイデンティティを獲得しちゃってるから。そしてそのアイデンティティの中心にあるスパイダーマンのことは当然だけど秘密だから両親に話せない。
 ここが構造として「アイデンティティの確立のためにすべき話を、親にできていない」と「すでに確立しているアイデンティティの話を、親にできない」という似ている状況を作り出している。そしてマイルスは楽な方へ、つまりスパイダーマンであることに安心することで、親との対話を避けてしまうわけですよ。
 
 そうやってモヤモヤしているとことに、もう二度と会えないと思っていたグウェン・ステイシーがあらわれるわけですよ。詳しく話を聞くと、どうやらマルチバースにまたがるスパイダーマンだけの組織、スパイダー・ソサエティってグループがあってマルチバースを行ったり来たりしてヒーロー活動をしているらしい。
 で、グウェンと一緒にいたいマイルスは自分もそのスパイダー・ソサエティに参加を熱望するんだけど、断られてしまう。だけど彼女のあとをこっそりつけて、スパイダー・ソサエティに侵入するわけですよ。
 
 ここでまず1段階目のアイデンティティ崩壊が訪れる。特別なスーパーヒーローだと思っていたマイルスの前に、めちゃくちゃたくさんの「スパイダーマンたち」が出てくるわけですよ。これでまず「唯一無二のスパイダーマン」としてかなりの揺さぶりをかけられる……もちろん前作の『スパイダー・バース』でも複数の「スパイダーマン」が登場したけど、前回はあくまで少人数の集団であったしそれぞれにかなり明確な設定の違いがあった。だから「マイルスというスパイダーマン」のアイデンティティは保てていた。
 だけど今回は人数が膨大な上に、少数人種(マイルスのようなアフリカ系アメリカ人とプエルトリコ系のミックス)であるって特徴もスパイダー・ソサエティのリーダーであるミゲル・オハラがメキシコ人のミックスだったりで、唯一性が持てる特徴ではなくなっている。
 さらにさらに、どうやらスパイダーマンには「共通して出会う悲劇」というものがあると告げられてしまう。これってさっき言った「前作ではスパイダーマン各々に明確な違いがあった」の逆で「どのスパイダーマンにも同じ部分がある」って話なわけじゃないですか。ということはより「マイルスのスパイダーマンであるというアイデンティティ」が揺さぶられてしまう。
 
 そこからより致命的な2段階目のアイデンティティ崩壊が起こる。マイルス・モラレスをスパイダーマンに変えた蜘蛛は、本来別バースの蜘蛛が紛れ込んだ結果であり、マイルスがスパイダーマンになったのは「間違いであった」と言われてしまうわけですよ。
 彼が持ってる拠り所そのものが「間違いだ」と言われてしまう、これによってマイルスは本格的に「何者でもない」人になっちゃうわけです。
 将来の展望もない、やりたいことは反対され、スパイダーマンであることも奪われようとしている。マイルスが直面している「自分の将来がどうなるかわからない」って問題と「スパイダーマンであることを否定される」って展開が、アイデンティティの崩壊という部分で共通していることで、思春期のこれから大人になっていく子供に降りかかる出来事として非常に迫ってくるものがあって素晴らしいな、と思いますね。
 
 しかも、アース42世界(マイルスではなく本来のスパイダーマンになるピーター・パーカーがいる世界)に逃げ込んだマイルス・モラレスは、別次元の自分と出会うのだけど……そのアース42の自分は前作『スパイダー・バース』で倒してしまったヴィラン・プラウラーになっているっていう!
 いやヒーローとヴィランが鏡像関係にあるのはよくある話だけど、こうやって「スパイダーマンであることが間違いだった」と言われた後で「本来のスパイダーマンが敵対する(そして恐らくは死んでしまう)相手が自分だった」ってのは、まぁもう自分の在り方をはちゃめちゃに壊してくる。こりゃたまったもんじゃないないよぉ~!
 ってとこで「後編に続く~」っていうねw
 
 まぁまぁまぁ「間違いでスパイダーマンになった」という唯一性を獲得してんじゃん! って話はきっと続編で出てくるんでしょうなぁ。といった感じですが。
 
 この作品のなかで、マイルスがどうなっていくか? を暗示してるセリフがインドのスパイダーマン、スパイダーマン・インディアのセリフだと思うんですよ。
「チャイ・ティーじゃなくてチャイ! チャイはお茶って意味だから、チャイ・ティーだと”お茶お茶”になっちゃう!」
「ナン・ブレッドもそう! それじゃあ”パンパン”だよ!」
 っていうのがあって。つまり「スパイダーマン」って属性は、そのスパイダーマンになる人物にすでに内包されている。特別「スパイダーマン」って呼称をつけなくても、「マイルス・モラレス」は唯一の「マイルス・モラレス」なんだ。
 つまり「マイルス・モラレス・スパイダーマンじゃあ"マイルス・モラレス・マイルス・モラレス"になっちゃう」ってことを言うための先ぶれ
だと思うんですよね。
 
 いやー、でもこういう前後編。批評しづらくて嫌ですなぁ。やっぱ46点だよ、46点!

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 次回は『プー あくまのくまさん』評を予定しております。

 この話をした配信はこちらの15分ぐらいからです。


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