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一週遅れの映画評:『ドクター・ドリトル』ねぇポリネシア、私の愛した紳士はどこ?

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『ドクター・ドリトル』です。

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 もうね、全然ダメ
 
 私にとって「ドリトル先生」シリーズって、まぁそういう位置にある作品はいっぱいあるんだけど、特別な存在で。その中でも『ドリトル先生航海記』は一等重要なものなのよ。
 
 ちっちゃい頃から本は好きだったんだけど、小学2年生のときに『ドリトル先生航海記』を読んで「本って凄い」というのは明確に意識して、そこからもう時間さえあれば何か読んでるような子になったのね。『航海記』ってドリトル先生シリーズの2巻目で、なんでそこから読み始めたのか、1巻の『アフリカゆき』をすっ飛ばしたのか、全然わからないし記憶に無いんだけど、もし、もしね「小説の神様」みたいなものがいるとしたらたぶんそいつが「君は2巻から読みなさい」って言ったんだと思う。それくらいズバンッ!とハマったのよ。
 
 動物の言葉が話せるドリトル先生と、先生を慕うスタビンズ君という少年が出会って、その少年が先生の助手になっていくのが『航海記』でさ……あのね、これを読んで私は「紳士的であること」というのを初めて学んだんです。当時は「紳士、ジェントル」って言葉をちゃんと持ち合わせていなかったからそういう風に言語化できていなかったんだけど、何というか「憧れるべき大人像」としてのドリトル先生が自分の中に生まれたんです。
 
 誰に対しても、靴職人だろうが世捨て人だろうが鳥でも犬でも魚でも、あらゆる相手に敬意を払う。もちろん許せない相手や怒ること、嫌いな人もいるけど、それにだってきちんと正当な異議を持って向き合う。自分のしたい事や役割を知ってそれに誠実である。お金よりも大事なことをちゃんとわかっている。他人を喜ばせることを心から楽しめる。
 見た目は背も低くて小太りで、服装も特別気を使ってるわけでもない(それでも他人を不快にさせない程度にはきちんとしている)、少しくたびれたシルクハットをかぶった、そんなドリトル先生がめちゃくちゃ格好良くて。
 で、『航海記』ってスタビンズ少年の一人称で語られる小説なのよ。ドリトル先生の人格に触れてどんどん魅せられていくスタビンズ君の心情って、尊敬できる大人としてとっても魅力的なドリトル先生を見ている私と、もう重なりに重なりまくるわけ。
 
 その上ね、スタビンズ君ってドリトル先生の動物たちとも仲良くなって動物語もどんどん覚えていく。親しくなった人とか動物からは「トミー」って呼ばれるようになるんだけど、ドリトル先生は、ドリトル先生だけは出会ったときから最後まで「スタビンズ君」って呼ぶのよ!
 でもそこには深い友情も親愛も当然あるわけ、でも「スタビンズ君」なのよ。
 
 あのねー、これって大人とか子供とか関係なしにドリトル先生がスタビンズ君に敬意を持って、一人の人間として真摯に相手をしているってことなわけですよ。友人でもあるけどそれ以上に「助手」として、一個の人格として、スタビンズ君を見ている。
 
 んーと。
 こう本好きの子供、本をたくさん読む子供って、やっぱ同年代の他の子よりも「大人びている」傾向があると思うのね。私も多聞に漏れずそういう子供で……まぁ本当は「自分が他のクラスメートよりも大人なのだ」っていうこと自体が子供っぽい思考ではあるんだけどwまぁまぁまぁそこから重度の中二病へと悪化していくわけなんだけどさw「けれどもこれは別のおはなし、別の時に話すことにしよう」……ごめん、ドリトル先生の話してたら『はてしない物語』のことも喋りたくなっちゃったからこれで昇華した。
 
 でね、そういう子にとって自分を大人として見てくれる「子供なんだけど、大人扱いしてやろう」じゃなくて、本当に一つの同格な人として相手してくれるドリトル先生の姿がね……もうね、好き。大好き
 
 だからドリトル先生を変な風に扱われると「おうコラ、うちの先生のこと舐めてたらいてこますぞオラァ!!」みたいな感じになってしまうのよ。ほら最近ダーウィン関係で色々あったけど、それでいうならダーウィンの番犬ことハクスリーみたいな。
 
 だからその……ドリトル先生シリーズって何度か映像化はされてるんだけど、もうマジで軒並みダメ。
 
 今回の『ドクター・ドリトル』も、ってようやく映画の話に入ったなおい、ドリトル先生像がクソのクソで。
 まずねすっごい人間嫌いとして描かれているんですよ。ほらぁ~あの「動物は純粋で素晴らしい、それに比べて人間は」とか「愛する人を失って、人自体と関係を持つことを避けるようになった」みてぇな、よくあるクソつまんねぇヤツ、そういう人物として描かれているんですよ。
 
 はいもう完全に解釈違いです。死ねっ!
 違うんだよ~、ドリトル先生は相手が動物か人間かなんかで判断しないんですぅー!動物のなかのカテゴリーとして人間がいるだけで、他の動物に対して親愛の情を持つように、人間に対しても同じだけ親愛を覚える、というかその区切りすらないのが紳士であるドリトル先生なんですぅー!人間について「コミュニケーションが発達してるが、それだけに厄介な特性がある」て受け止め方をしてるから個人個人に対する好き嫌いがあっても「人間全部がダメ」とはならないんだよ!
 その上、ドリトル先生は獣医だから色んな動物との死別を経験しているわけですよ。だから「愛する人を失って、人自体と関係を持つことを避けるようになった」っていうのもね、「愛する生き物を失って、生きてるもの全てと関係を持つことを避けるようになった」ならギリギリあり得るとして、そこで人間だけ特別視するのが……わかってねぇ、全然わかってねぇわ……。
 
 あと髭がぼーぼーなのも、あれですよ?ドリトル先生は船が難破してバラバラになった後でも、ガラスの破片と月明かりと海面の反射で髭を剃るぐらいのジェントルマンなんですけど?
 それに動物語も博物学者としての熱意と学習で身に着けたものだから、タコ語とかナナフシ語とかいきなり使えませんし、特に『航海記』では「新しく貝の言葉を覚えたい」っていうのが重要な旅立つ動機なわけで、そういった自分の知識に貪欲な部分の無いドリトル先生なんてドリトル先生じゃあねぇよ!出直してこい!
 
 じゃあそういった部分を、クソムカつくけど、排して「オリジナル作品としての映画」として見たときどうかっていうと
 
 まぁ~それでもつまんない。
 展開は行き当たりばったりだし、伏線も雑だし、映像的に見るべき部分もないし、やっすい下ネタで笑い取ろうとするし、ダメダメのダメ、全然ダメ。よっぽどじゃない限り今年のワーストですよ、こんなもの。
 
 これを見るくらいならアニマルプラネットを見ろ!ディスカバリーチャンネルを見ろ!ていうか『ドリトル先生航海記』を読め!
 
 以上!
 
 あーもう、映画見ててひっさびさに腹立って腹立ってさぁ。ここで喋るまで我慢するの大変だったよ、まったく……寝る!おやすみ!

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 この話をしたツイキャスはこちらの14分ぐらいからです。


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