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一週遅れの映画評:『金の国 水の国』寄り添う小さな歯車の。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『金の国 水の国』です。

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 いやー、めちゃくちゃ良かったですねぇ! まずね、かわいいんですよ。キャラクターが~、とかじゃなくて描き方が。なんというか「手の届く範囲、触れられる範囲」のものを丁寧に捉えていて、それが目の前に広がる世界への肯定に繋がっている。そういうミニマルな存在をありのまま肯定していく感情のことを、きっと「かわいい」って言うんです。
 だからこの作品はまず全体を通して「かわいい!」って印象になる。
 
 その上で人と人がお互いに信頼しあうことの重要性と、だけどそれを当たり前に守っていく。そして信頼されてるから、その信頼してくれてる人のために困難な選択ができる強さを……まぁ言ってしまうと「愛」のことをこの作品は語っていて。
 だからね、「かわいい愛の物語」っていうすごく真っ直ぐなものを、好きにならずにはられないわけですよ。私は
 
 ざっくり設定から話すと、1000年前に戦争をした砂の国と水の国がありました。戦争の結果、その2国の国交は途絶えてしまった。
 砂の国は商業や産業が発達して財政は潤沢、だけど元々砂と岩ばかりの土地で人口が増えてしまったから深刻な水不足を迎えようとしている。一方で水の国は天然資源はあるんだけど、砂の国によって商業ルートが閉ざされ財政はボロボロの状態。
 で、その2国間には900年前(あれ? 500だっけ?)に交わした約束があって、「砂の国からは国一番の美女を、水の国から国一番の賢い男を、それぞれ嫁がせる/婿に出す」というものなんですが。お互いに確執のある国は、それぞれ「子猫」と「子犬」を嫁です/婿ですつって寄こしてくる。
 つまりここで「ふざけんなよバッキャロー!」となれば、ずっとピリついていた2国間で戦争がまた起きてしまう。砂の国は勝てば水資源を奪える、水の国は勝てば商業ルートを奪える。どちらにも戦争を吹っ掛ける理由があるわけで、つまりこれを口実にお互い「戦争して全てを手に入れてやる!」と目論んでいるのです。
 
 その犬のお婿さんを迎えたのが第93番(つまり全然重要じゃない)王女で、猫のお嫁さんを迎えたのが地方の図書館館長の息子(これも政治の中枢からは遠い位置)。この二人の主人公が、ふとしたきっかけで出会うことからお話がはじまるわけですよね。
 
 それでね、この2国間はそれぞれ自分の国に足りないものを奪うために戦争をしようとしている。だけどもうひとつ方法があるじゃあないですか、つまり和解して国交を正常化させて必要なものを交換する、って方法が。
 砂の国は王様と右大臣が開戦派なんだけど、王に次ぐ権力を持つ第1番王女と左大臣が反戦派で、王宮内の勢力としては拮抗している状態。で、まぁこういう作品だから主人公たちは反戦派に協力していくんですが……。
 
 えっとね、実はそこまで「戦争反対じゃー!」って感じでは無いんですよ。第93番王女は第1番王女から「水の国からきたお婿さんに、会わせていただけるかしら」と言われてしまう。そこで子犬なんか連れて行ったら大変なことになるには目に見えている。そこで困ってた王女を、水の国側の子猫の嫁をもらったw主人公が「私が婿です」って嘘をついて助ける。
 その水の国側の主人公は設計技師なんだけど、自分の国は財政ガタガタで大不況だから仕事が無い。だから子犬の代わりに砂の国へ婿に来たと嘘をついたついでに、そのままこの地で仕事を得ようとする。
 設計技師が稼ぐには巨大建築事業に携わるのが一番良い、そして砂の国は水を欲している。だから国を挙げて「水の国まで続く水路を建造する」政策があれば、彼の収入はめちゃくちゃ安定するわけですよ。もちろんそんなことは国交が正常化されてなければ無理だし、水路を引いて水資源を得れば戦争の必要はなくなる……それって結果的に反戦派がやりたいことと同じだね、という感じなんです
 
 第93番王女と冷遇されてる地方の設計技師。国全体からすれば、本当に取るに足らない二人なんです。だけど目の前にある生活をもうちょっとだけ良くしたい、とは考えていて。王女は自分を助けてくれた設計技師がちょっと好きになちゃってるから「ここに居て欲しいなー」ってなんとなく思っていて、設計技師は仕事が欲しいし王女の朗らかさと性根の優しさに惹かれていく。
 そうなると設計技師は「仕事が欲しいから水路を作る政策になって欲しい」だけじゃなくて「このかわいい王女さんが、水が無くて困る姿は見たくないな」っていう動機が増えていく。だけど水路計画が進んでいくにつれて、設計技師は開戦派から命を狙われるようになる。そこで逃げ出さすに立ち向かうのは、王女さんのためで……ここが最初らへんに言った、困難さを選べる「愛」の話なんですよね。
 
 それでね、話がちょっと前後しちゃうんだけど、第1番王女が初めて婿のフリをしてる設計技師に会ったとき「水の国一番の賢い男なら直せるでしょ?」つってバラバラになった金の時計を持ち出してくる。これわざと壊してあって、さらに小さな歯車を2つ隠した状態なのね。それを設計技師はススッと直して「だけど小さな歯車が2つ足りないようです」ってことまで伝えるの。
 
 この砂の国、砂漠だから邪魔するものが無くてお日様の光が真っ直ぐ降り注いでいる。それを王宮からみると、まるで街が輝いてるように見えて「これはまるで金の国だ」みたいなことを言うシーンがあるんですよ。
 つまり壊れてる金の時計は、そのままこの金の国がうまく機能できていないことを意味していて。時計に足りてない小さな歯車2つってのは、つまり「国全体からすれば、本当に取るに足らない二人」である主人公たちってことになりますわね。
 
 それに加えて、ラスト辺りでようやく主人公たちはお互いの気持ちを確かめ合って抱き合う。その直前に行われた説得によって、金の国の国王は開戦派から一転して和解し国交を開くことを決意している。
 つまり金の国の王女と水の国の設計技師が結ばれることと、金の国と水の国が手を取り合うことが重なるように描かれているんです。
 
 ここでは金の時計って小さなものが、主人公たちの存在が重要だよって語っていて。さらには主人公たち2人が、国と国っていう大きなものの繋がりを代弁するような構造になってる。冒頭に話したみたいに、小さな触れられるものの存在が世界の肯定に繋がっていく……金の時計から、主人公たちへ。そして主人公たちから、ふたつの国そのものへ。そういう姿を私は「かわいい」と感じるんです。
 
 だからこれは「かわいい愛の物語」で主人公たちふたりのお話なんだけど、同時にそれが小さなもの(時計)と大きなもの(国)と重ねて描かれている。まっすぐに「かわいい愛の物語」をやりながら、そういうバチバチに構成で見せてくる、すごい作品でした。
 いやもう、超泣いちゃったもんね。私

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 次回は『スクロール』評を予定しております。

 この話をしたツイキャスはこちらの13分ぐらいからです。


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