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一週遅れの映画評:『映画トロピカル~ジュ!プリキュア 雪のプリンセスと奇跡の指輪!』希望が慰めでしかないとしても、

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『映画トロピカル~ジュ!プリキュア 雪のプリンセスと奇跡の指輪!』です。

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 いやぁ、めちゃくちゃ良かったですねぇ!とりあえずほぼ冒頭であすかパイセンがまなつに「雪が降ってると寒いんだ。寒いってわかるか?」っていう「コイツは”寒い”という概念を持ち合わせていない可能性がある」ことすら危惧した物言いに爆笑したので、もうそれだけで私の中では「はい、これは最高でした」って感じなんですけど。
 
 でー……まぁ話したい内容が結末を踏まえてのものなので、はい今からネタバレをしまーす。聞きたくない人は映画を観てから録音聞くなり、noteの文字起こし読むなりで対応よろしくお願いします。視聴済み、あるいは私みたいにネタバレ全然平気派の人はこのままお付き合いいただけると嬉しいです。
 
 さてさて、今回まなつたちはシャンティア王国の王女シャロンから「自分の戴冠式があるので、ぜひ招待したい」という手紙を渡される。ほかにも手品師とかミュージシャンとかダンサーとかが招待され、その戴冠式を盛り上げてみんなを笑顔にして欲しいと依頼されるのですね。
 だけどいざその戴冠式がはじまるとシャンティア国民が誰もいない、それどころか戴冠式なのに現国王すらその場にいない。なんかおかしいな?と思いつつ依頼通り芸を見せて帰ろうとする人たちにシャロンは「帰しません、このままシャンティア国民になってもらいます」と告げる。
 
 実はシャンティア王国、1万年以上前に隕石の衝突で滅びていた。シャロン王女はその隕石に含まれていた不思議な石の力で最近になってようやく復活し、自分の国の復興を願ってこの策略を実行したわけです。ただそれはプリキュアたちの活躍によって阻止され、不思議な石の力が消滅すると共に、シャロンも消えていく。ただあとにシャンティア王国に伝わる歌だけを残して……。
 
 まぁそういうお話なんですけど、これね完全に去年の『ヒーリングっどプリキュア』からの流れにあると思うんです。『ヒープリ』はテレビ版でかなりハードな展開、つまり「私が救えないものだってある」という部分をどう描くかっていう問題を取り扱っていたわけで、ここでは本筋じゃないからサラッといくけど、これってプリキュアの抱える側面として『ふたりは~』の頃から強弱はあれで取り扱われていて。『ヒープリ』はそのなかでもかなり正面からそれに向き合った作品として私はかなり好きなんですよね。
 
 それで今回の映画トロプリ。まぁ正直いろんな理屈をつけてシャロン生存(あるいは転生)エンドをやることって、言ってしまえば簡単なんですよ。でもそれをしなかったんです。「せっかく友達になれたシャロンが消えてしまう。悲しいし辛いけど、そうなってしまったものは、そうなんだ」っていう温度のまま終わるんです。
 これって『ヒープリ』の「私はあなたを助けない」から延長された側面として、「助けたいけど助けれない」っていうハード路線だと思うんです。

 そういった意味では今回「ぷいきゅあ、がんばれ~」の応援が無いんですよ。だってもう応援してる場合じゃないもの、状況が!
 そもそも応援って「責任の分担」でもあるわけですよ。敵を倒すのを応援する、その応援が力いなるってことは、敵の死に対する責任をいくらかは担わされてしまうわけじゃない。だから今回ミラクルライトを振って「ぷいきゅあ、がんばれ」をやってしまうと、友人であるシャロン消滅の責任を分与してしまう。
 それをさせるわけにはいかない!っていう意味が、ここにあるわけです。
 
 でね、そのキツイ展開をやるのにこの『トロプリ』の面々っていうのが凄く良くて。テレビ本編では(多少「これは後々暗い影を落としそうだぞ」って部分はあるけど)基本的に底抜けに明るいキャラクターたちなわけで、だからしんみりする話や悲しい話を投げ込んでも「トロピかってる!!」で絶対に軸足を「いま、楽しくて元気!」のほうに置けるんです。
 だからこのつらい話を正面から受け止めて、それでも誤魔化さずに前を向ける存在として歴代プリキュアのなかでもその力が強いトロプリじゃないと必要以上に重くなっちゃうかな?と……いや他のプリキュアにも当然そういう引力はあるんですよ、明るくて幸せな方向に足を踏み出させる力が。それでもやっぱり「敵だけど友達で、でもそれが消えてしまう」って話を映画の尺でやりきって前向きにさせるには、やっぱりこの結末を担うのがトロプリで良かったな。そう思うんです。
 
 それでね、シャンティア王国に隕石が落ちたのってマジにシャロンが戴冠式で女王になる日だったことが判明するんですよ。つまり彼女は王女とならんとしたまさにその時、自分の国も自分自身も失ってしまう。それがシャロンの深い後悔に繋がっているんです。
 つまりシャンティア王国という存在、それは王国なのだから王/女王がその代表であり証明であるわけ。だけど戴冠式のその日、王は王を止めていて、でもシャロンはまだ王女として任命されていない。まるで社会システムのバグかのようにその瞬間だけシャンティア王国は「シャンティア王国としての存在」がめちゃくちゃ希薄じゃないですか。その瞬間を狙いすましたかのように叩き潰されてしまった。
 だから冒頭でシャンティア王国に招かれたとき、みのり先輩は「シャンティア王国、そんな国は聞いたことがない」って言うわけです。なぜなら王国は「王国じゃなくなった」その時に滅びたから。そこにはその存在を示すものが何一つ無くて、だから後の世にもそれが「あった」ことを伝えることができていないんです。
 
 ただ今回の話ではそのシャンティア王国に伝わる”歌”をローラが受け取って、「シャンティア」の名を冠したまま歌い継いでいくことを約束する。それでシャロンは安心した顔をして消えていくんですね。
 これって「継承」の話なんですよ。シャロンはシャンティア王国という存在を継承することができなかった、そして誰にも知られることなく滅びてしまった。シャロンは自分の国が無いことを悔やんでいるのではなく、誰もそれを覚えていないことを悔やんでいる。だから自分が消えたとしてもローラの歌にシャンティア王国が残り続けるなら、それでいいと思えた。
 ここで起きてることは「継承」に失敗したシャロンがその「継承」をやり直して、それが果たされたことで満足して死んでいく。そういうことなんです。
 
 でね、今回のゲストが『ハートキャッチプリキュア』であることの意味がそこにあるんですよ。『ハトプリ』ってキュアブロッサム・つぼみのおばあちゃんもプリキュア(キュアフラワー)で、しかも最終回にはつぼみの妹もプリキュアになるのかも?みたいな匂わせが描かれていて。プリキュアシリーズの中でもそういった縦のラインの「継承」がかなり強く意識されてる作品なんです。
 だからシャロン―ローラの「継承」を横で見届けて承認を与える役目として、その「継承」を強く持ったハトプリがいる。この心強さったらないわけですよ!そういった意味で、この展開をやるにはトロプリしかなかった。と思うのと同じくらい「この結末にはハトプリを居合わせるしかない」と確かに感じましたね。
 
 それに加えて、シャンティア王国に咲く「スノードロップ」の花を見てつぼみは、1万年以上前にシャンティア王国で咲いていたスノードロップは、いまの世界でも咲いていますと言うんです。これってちょっと欺瞞ではあるんですよ、そのスノードロップとこのスノードロップが関係してるかって結構怪しいじゃないですか。「シャンティア王国は滅んだけど、人間はまだ生きてるからオッケー!」とはならんわけですよ。
 でもここでつぼみが語っているのは”希望”の話で。ローラが歌を引き継いだ、だからといって未来永劫その歌が残るわけでもない。メタな話をするならトロプリ終盤の、まぁ年が明けるころには誰も歌わなくなるわけじゃないですか。それでももしかしたら遠い未来で誰かが覚えてるかもしれない、例えば老人ホームで完全に痴呆になった私が「あ゛~ぷいきゅあ~」っていうかもしれない。それは同じスノードロップでないかもしれないけど、同じスノードロップなのかもしれない。そこには少なくとも可能性というものが残されていて……その可能性を夢見ることこそが”希望”なのではないか、「あるかもしれないこと」を信じることこそが”希望”なのではないか?そのとき欺瞞であったスノードロップは、正しく「継承」の象徴成りえるんです。
 
 そこでねつぼみは「スノードロップの花言葉は”希望”なんです」という。でもスノードロップには他の花言葉もあって、そのなかで代表的なのが”慰め”なんです。
 自分の「継承」が今度こそ上手くいったのかもしれない……そんなほのかな希望を慰めに、微笑んで死んでいくシャロン。人がほんとうに満足して命を終えるときに必要なのは、ほんのちっぽけなものだとしても「希望」なのだと。この伝染病で苦しんでいる世界で、それでもわずかだったとしても希望を捨ててはいけないよと、そういう真摯なメッセージが聴こえたような気がしました。

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 次回は『アイの歌声を聴かせて』評を予定しております。

 この話をしたツイキャスはこちらの10分ぐらいからです。


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