見出し画像

一週遅れの映画評:『竜とそばかすの姫』ミラクルライトは輝いているか?

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『竜とそばかすの姫』です。

画像1

※※※※※※※※※※※※※

 私のなかでは「底意地の悪い作品だなぁ」って感想で、でもね勘違いして欲しくないのはこれはdisじゃないんですよ。なんかそうせざるえない誠実さとか綿密さがそこにはあって、それはね好きなんです。
 
 基本的にはネット空間というかSNS上の話で、そのネット上の話題って絶対に指向性が生まれるわけですよ。つまり出来事に対して、本来なら個人がそれに対して「否定か肯定か」をまず問われて、で、その態度の決定にもグラデーションが当然ある。肯定ではあるけど58%ぐらいだな、みたいに。
 それがSNSで発信されたとき、例えばずっと付き合いのある相手だったらその機微を読み取れるじゃない?そうね、私だと昨日、あれ?一昨日?『メイドラゴンS』の第3話が凄かった、みたいなツイートをしたわけよ。これをさ、このキャスを聞いてくれてるような人ならわかるわけじゃない。私がそもそも京アニが苦手で、それとは別に今期の『メイドラゴン』2期に対してこう複雑な読みを入れないわけにはいかないところとか。その上で「凄かった」「良かった」っていう複雑さとか、こうやって言い訳する私の面倒くささとかwわかる、うーん、わかってくれると信じたい?信じれる?わけですよ。
 だけど検索窓にね「メイドラゴン 良かった」とか打ち込んだらさ、私の良かったはそういう諸々を取っ払った「良かった」っていう意見になるし、賛成反対の二項で分類したら「100%肯定のひとつ」としてカウントされることになる。
 
 それは仕方ない、仕方ないんだけど、それが集積されると厄介っていうか……。
 いやね、そういうのを否定はしないんですよ。というか好きではあるんです。例えばアリ、昆虫の蟻ね。あれって一匹一匹には知性なんてないじゃん。いや知性の定義にもよるんだけどさ、まぁまぁまぁ人間みたいに考えて個体が行動しているわけじゃない。だから一匹のアリは「こういう行動をする確率が高いよ」っていうものは持ってるけど、当然違う動きもするグラデーションを持った活動体なわけよ。
 だけどそれが100匹いたら、その1グループは概ね確率の高い振る舞いをするし、それが1000匹だったら幾らかの例外を抱えていてもその集団は「こう動きます」って判断できる。そのとき一匹一匹の行動によるグラデーションは消えて「一つの行動をするアリという生物」になる
 その結果、広大な巣を作ったり複雑な社会性昆虫っていうシステムを構築して。まるで「アリという種族には知性がある」ように見えたりする。私はそういう部分で昆虫とかがすごい好きなんだけど。
 
 じゃあSNSでそれを見るとさ、ほらあの開会式とか。みんなそれぞれ色々あんのよ。ゲームのBGMが使われて、やっぱはしゃいじゃう人も居れば冷淡な人もいる、思わず曲に言及してしまう人もいればゲームの思い出話をする人もいる。ここには、さっき言ったグラデーションのグラデーションみたいのがあって。ゲームに関しての態度とオリンピックに対する態度って、別じゃん、当たり前だけど。
 けど「ゲーム音楽がオリンピックに使われた」とき、ゲームに対する態度とオリンピックに対する態度が重なっちゃうわけ。だから本人のなかでは「ゲームは大好きだけど、オリンピック絶対許せないぜ」みたいな気持ちで「開会式とかそういうことには一切言及せず、曲名だけを呟く」っていう是非のグラデーションの交点を自分のなかで探りながらやってる人って、沢山、というかほぼ全員そうだと思うのよ。そこには「ゲーム一切興味ないけど、オリンピック超楽しみ」みたいな人だって当然いて。
 でもほら、タイムラインってアリの群れじゃんwあ、いかんぞ露悪が出てる、90年代をハンセイしなくてはwそれは置いといて、結局さ私があのタイミングで「ドラクエだー」って言ったら、そこにどれだけ複雑な想いがあろうとも「ゲーム音楽が使われただけで喜ぶチョロいオタク」の一人にカウントされてしまうわけですよ。で、そうやって否定的な人も「オリンピックについてSNSで発信した人」として「オリンピックはSNSで沢山言及されました!」の1カウントにされちゃうっていうねw
 
 でだ、そういう集合にしかなれないものがSNSで。だから表出する、細かなグラデーションを排除された「確率の高い傾向」がいつの間にか「純化した答え」に変容してしまう。
 そうなることで、まぁ毎日見てる「絶賛か、炎上か」みたいな両極端しかない世界がそこに生まれる。
 
 だから『竜とそばかすの姫』でも「竜、殺せ!」みたいな炎上と「ベル、歌上手くてかわいい」みたいな絶賛があって、それでも個別のメッセージとしてベルは叩かれたり、竜を擁護したり……それこそ「U」っていうSNSから離れたコミュニティでは「子供たちは竜を応援している」みたいな面があって。
 それって絶対表裏じゃん。絶賛されるってことは「その集団では肯定の確率が高い」の積み重ねで、でも個々の変数にはグラデーションがあるから「私は51%の肯定」がちょっとしたことで「49%の肯定」になる、それがまた集合になった時、今度は二項のうち「否定」のカウントがみるみる増えていきなり「炎上」になる
 実際、私はそういう光景を沢山見てるじゃない。
 
 それを踏まえた上で、それを踏まえた上でね。作中で言及された「Uの創設者たちは、警察機関に相当するものは不要とした。それでも秩序は維持できると考えている」って設定がめちゃくちゃ好きで。
 あのね、私は度々言ってるけど、人間て「善」が好きなのよ、絶対。もうちょい言うと「真・善・美」ってやつよね。ものすごく単純な欲望として「真・善・美」に触れてるのってめっちゃ気持ちいいの。快/不快の反応で言うなら「真・善・美」は圧倒的に快の側にある。
 だから行動の結果として得られる報酬が変わらないとき、つまり「何をやっても変わらない」状態で人は「善」をどうしても選択しちゃう、だって気持ちいから。そういう感覚が私にはハッキリとあって……まぁそこで「何が善か?」が違ったりするからどうしようもない時はあんだけどさw
 だからこの設定には納得感があるし、好き。ただそれに対する「正義を名乗る者の横暴」があんまりにもストレートすぎるとは思うけどね。まぁこれは映画の尺とサブストーリーに割ける労力問題だから、仕方ないちゃあ仕方ないかな。
 
 もうひとつの「いじわるだなー」って思うところが匿名性の問題で。「U」の中でその匿名性、リアルの自分が晒されることがめちゃくちゃ重い罰として描かれているわけじゃない。なのに主人公の母親が助けた女の子、これは現実の世界の話なのに一切名前どころか顔すら出てこなくて……実際さ、私たちは、例えばコンビニ行く途中ですれ違った人の名前なんかわかんないし顔なんて覚えてないでしょ?私なんてそういう記憶が弱いから、いまの職場とかフロアに50人ぐらい働いてるけどほとんど名前知らないもんwいや、それはそれでだいぶ問題あんだけど。学生んときもクラスの半分ぐらい名前わかんなかったりしたし……あれ?やべぇな、これ作品評じゃなくて私の症例だな?
 えっと、そのなんだ、だから実はネットの匿名性って実は現実の匿名性と大して変わりないと思うのよ。だって私がここで「(本名)」って名乗ったところで、それは私を示す記号が「すぱんく」ちゃんから「(本名)」ちゃんに変わるだけで、別に何ら変わんないし、いま名乗った記号が偽名かどうかすら判断できないし。
 なのに匿名性を剝奪されるのが罰になる世界にどんどんなってくる。でもそれって本来はあまり意味のないものが人質にされることで「なんだか重要なものだ」って勘違いさせられてるだけじゃない?ってことを突き付けてきてる。
 これはねぇ、とってもいじわるな問題提起だと思うんですよ。
 
 本当はなー、これと前半の話を繋げて語れればキレイにまとまるんだけど、ちょっと今は思いつけない。もうちょっと深く考えたら何か見つかりそうなんだけど……それはもう文章でやるほうの批評でやる部分かな?とちょっと思ってはいます。
 
 それで何よりも、作品全体を通して一番感じたのが。
 わかりやすい悪役がいて、そいつには事情があって。それを主人公が知って立ち回り、本当の悪役を退治する。そこで市井の人たちが、なんか光るもので応援してくれる……いやこれ完全に劇場版プリキュアじゃん!これこのまんまプリキュア映画にしても違和感ゼロよ。ゼロ。真善美の取り扱いもめっちゃプリキュアっぽいし。
 だからあれだね『竜とそばかすの姫』は、出来がそれなりに良い年のプリキュア映画くらい良かったです。今日も元気だ!そばかル~ジュプリキュア!
 
 なにこのオチ?

※※※※※※※※※※※※※

 次回は、サイダーよりもライダーじゃい!『セイバー+ゼンカイジャー スーパーヒーロー戦記』評を予定しております。

 この話をしたツイキャスはこちらの15分ぐらいからです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?