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一週遅れの映画評:『ゾッキ』いまそこに生きる薄汚さのために。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『ゾッキ』です。

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 いやー、こうやって話すの難しいねぇ『ゾッキ』って。あのね、めちゃくちゃ面白かったし超好きな作品なんですよ、それでもその面白さを言語化するのが難しい……一応毎週火曜日に映画見て、で1週間考えて話すってペースなんだけど今回時間が合わなくて見たのが金曜なのよ。いやもう「この作品、たぶん語るのが難しいぞ……」とは思ってて心配してたんだけど、その予感が当たってしまったね。もうちょっと時間が欲しい、本当は。
 
 えーと、いわゆる、というか今ではほとんど言わないんだけど「日常系」って作品群あるじゃん?『ごちうさ』とかみたいな。それで私はその「日常系」にも大別すると二種類あると思っていて。ひとつはいま例に挙げた日常系、まぁ仮に「きらら日常系」とでも言えばわかりやすいかな?まぁ「まんがタイムきらら」だけじゃないし、その中でもすっごい幅はあるだけどさ、『がっこうぐらし』とか。でも言いたいことはわかるでしょ「きらら日常系」って言えば。
 それでもう一つが「ガロ日常系」で、つげ義春とか福満しげゆきとか、新しいとこだといま『トーチWeb』『つつがない日々』を連載してるINAとか。いちおうあれか施川ユウキの『鬱ごはん』もその枠だね。あの全然キラキラしてない陰鬱と鬱屈の日常系って実は昔からずっとあって。
 
 それでこの『ゾッキ』原作の大橋裕之の漫画も基本はその系譜にあるわけよ。でそういうガロ日常系ってどっかしら「つっても人間てこんなもんでしょ」って目線がある、こう一般的な社会に属するのが苦手な人が主人公であることが多くて、そこですごく屈折した精神から社会を覗いてるんだけど「でも一皮剥いたらお前らもこんなもんだろ」「お前たちが取り繕ってることなんか、このぐらいバレバレだぞ」みたいなことを突き付けてくる。それでその精神構造にシンパシーを感じる人にとっては、その漫画がめちゃくちゃ面白いっていう、まぁ私みたいなw
 そえで大橋裕之の作品ってその邪悪さがちゃんとあって「これで絵が写実的だったらちょっと見てらんねぇぞ」って感じなんだけど、まぁよく言われるあの特徴的な「目」の描き方とかでだいぶ脱臭されてる、しかもそこからフッと突然幻想、というか妄想の世界に踏み出す。もう本当シームレスに現実と妄想の区別なくそっちに踏み込んでいく……そこに自覚的なのがいま連載中の『太郎は水になりたかった』だと思うんだけど。その不思議な越境を支えてるのが、あの絵だとは思うのね。
 
 それでそういった感覚を映像にしよう!ってなったとき、「邦画」ってめちゃくちゃそれに向いてるんですよ。このオフビート感とネガティブ感を表現する役者、場面、撮り方っていうものを考えたときそれは全部「邦画」が得意としてるものなのね。
 例えば少女漫画原作の映画とか、もちろん良いのはあるよ、最近なら『センセイ君主』とか、あとえーっと思い出した『ホットギミック』とか、どうしてもこの名前は先に脱衣麻雀が脳内で出てくるからなかなか思い出せないわ。で、そこらへんとか超良かったけど、まぁ概ねスベるじゃんw。いや私はよく少女漫画原作の映画を見に行くから言っていいと思うんだけど、常にまぁまぁの地雷感を発揮しているわけ、それってやっぱこう人間て薄汚いじゃない、こう生命体として活動している以上どうしてもそこには生命力っていう薄汚さが出てくるわけで、それとやっぱ少女漫画原作ってのは食い合わせが悪い……アイドルものってむしろその薄汚さがフェティッシュな魅力になるから良いんだけどね。あ、なんかこの薄汚さをフェティッシュな魅力として語るの菊地成孔っぽいな。まぁいいや。
 それで要は基本時に人間を撮ってる以上、なんらかの薄汚さは出る。それがガロ日常系を映像化するとき、やっぱめちゃくちゃハマるんですよ。たぶんその臭いを視聴者に伝える力って演劇、映画、漫画の順で強くて、アニメはそこやっぱどうしても弱いよねっていうのはちょっと考えていて、ほら『BEASTARS』とかあれだけ獣ケモノしてるけどあんま臭くないじゃない。たぶんそれが伝わってる作品て『リズと青い鳥』とかで、いやあれはキレイだけどどっかしら生身の薄汚さが服の下にあるんですよ。つまりあのレベルまで手を込めないと機能しないわけよ。
 
 なんか今日は話があっちゃこっちゃ行っちゃうなぁ。えっと、だから『ゾッキ』って原作時点で猛烈に面白くて、それと相性の良い「邦画」で映像化する時点ですっごい良い作品になるっていうのは確定してるようなもんなんです。だから本当に良い、いやこれ珍しく作品内容の話してねぇな。
 でもなー実際そのお話自体は語りよう無いんスよ。牧田と伴くんの話とかマジ泣いちゃうくらい情けなくて純粋でバカで優しくて、でもしょうもなくて本当に良いんだけど、この良さを話すとストーリー全部説明するしかないから無理なんだよ。
 
 だからもうこれは今までの私が語った映画評を、私のセンスを信じて見に行って欲しい。本当ね、めっちゃいいから。
 
 あーでもあれだわ、これ原作パワーに支えられてるけど、その監督が竹中直人、山田孝之、齊藤工で要は役者がメガホン取ってるのね。別にそれが悪いってわけじゃないけど、こう幾つかのシーンで「これはお約束で流したな」って場面があって。いや三人とも作品を作る力は凄いし、それこそ竹中直人って『無能の人』の映画化で監督やってるから、いま話した流れとしてはかなり正解な人選ではあるのよ。
 ただねー……なんていうの「ここは作り込む必要ないから、まぁよくある感じで片付けちゃおう」っていうのが見える部分が何か所かある。その緩みが気になったかな……うん欠点を言うならそのくらいですね。
 
 いあー見て欲しいな。私のキャス聞くような人にはちゃんと面白いと思うから。

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 次回は『ザ・スイッチ』評を予定しております。

 この話をしたツイキャスはこちらの16分ぐらいからです。


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