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一週遅れの映画評:『SAND LAND』問いかけるのは、己が”悪”。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かして配信で喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『SAND LAND』です。

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 これがジャンプで短期連載されてたのって、たしか2000年ぐらいだったと思うんだけど。正直、そのときはあんまりピンときてなかったの、「ふーん」ぐらいな感じ。良いとか悪いまでにも至らないような「ふーん」。
 で、今回『SAND LAND』の映画見てどうだったかって言うと、めちゃくちゃ面白かったの! 
 
 ただ勘違いして欲しくないのは「映像化して、良くなった」ってことではないんですよ。そうね、例えば映画では主人公が水源を探しに旅立つ前に、街の住民から「もう水が無くて限界だ、なんとかして欲しい」って求められるシーンがあるんだけど、原作ではそういったやり取りはまったく無いのね。
それとか魔族が国王軍の水を運んでる車を襲撃する場面では、襲ってきたカマイタチに軍人が水鉄砲を向けて「聖水を喰らえ!」って発射する。その直撃を受けたカマイタチは「日本の魔族に聖水は効かないんだよ」と言う。原作ではあったこのやりとりが、映画ではカットされてるんですよ。

 つまり、映画の方では「いっこのパッケージ」として作品を作っている。旅立ちの背景を描いていることで、主人公の立場とかを説明しているし、一方で作中では他に使われることの無い聖水の設定は省略されている。
それに対して原作は「そういう世界の一幕」として『SAND LAND』がある。語られない主人公の現在は、その背景を描かないことで「私たちの知らないところで、この人の生活があるんだな」と思うことができるし、聖水のやりとりも「こういった小競り合いは頻発しているらしい」とか「人類は抵抗手段が限られている」というパワーバランスを想像させている。
 で、これは私の弱いところなんだけど、物語に対して途中段階では判断を保留しがちなところがあって。アニメとかでも各話感想とか全然思いつけないのよ、「だってこれまだ先があるし……」って思っちゃうとそっから先に考えが向かってくれない。だから「2時間で1作」という映画評ならできる、というか恐らくこうやって毎週映画の話してるせいでそうなってんだと思うんだけどw
 だから原作読んだときは「あ、これ”途中”だ」ってスイッチが入ってしまって「ふーん」になるし、映画はパッケージングされてることで「お、お、お、面白ぇ~~~!」ってようやくわかるんですよね。
 
 なんでそういうことを考えてたかっていうと、この『SAND LAND』は「自問自答」が大切な要素になっているからなんです。
 作品の舞台になってる王国では大きな川の水が干上がってしまい、極端な水不足に陥っている。で、唯一の水源を支配している国は法外な値段で水を販売することで、国民をコントロールしているのね。これかなり非道な行いなんだけど、国王も実質最高権力者である大将軍も「こうやって平和を維持しているし、これが国のためなんだ」と言い放つ。
 ここで見方ってふたつあると思うんですよ、国王も大将軍も「ひどいことをやってる自覚はあるが、対外的にそう言ってるだけ」ってのと、「マジでそう思ってる」パターンとで。
それでね私はこの作品、後者だと思っていて。彼らが現体制を維持するために重大な嘘をいくつもついている、それがバレたらマズいことは理解している。しているんだけどその嘘を「仕方のないこと」だと……もうちょっと正確にいうなら「ここまで来てしまったら、正しいことにするしかない」という感じに見えるのね。

 それは国王側とは真逆の存在として、魔族であるもうひとりの主人公ベルゼブブがいるからで。ベルゼブブは「悪いことをする」のが魔族である自分にとって正しいことだと考えてる。だけどさっき話した水を奪うにしても、水源を独占している国王軍から強奪しているだけで、そこから困ってる子どもに水を分けたりと義賊的な側面が強い。しかもブン殴って痛めつけても、殺すまではしない。むしろ「人を殺したことがある」って主人公の告白を聞いて、ドン引きするぐらいなの。
 そういった行動に対して「将来もっと大きくなっていじめた方が楽しいからな」とか「俺たちが本気だしたら人間なんてすぐ絶滅しちゃうだろ」という言い訳を繰り出す。実は人間たちが過去にあった戦争である種族を絶滅させているから、この「人間なんて絶滅しちゃう」は実際にそれをやったことある相手に言ってるわけだから、その点でも根本的な善性があらわれちゃってるんだけど。
 それはそれとして、ベルゼブブは常に「自分が魔族として正しい行為をしているか?」つまり「これは悪いことなのか?」を、自身に対して問い続けている
 
 ほら、よく「地獄への道は善意で~」って言うじゃない。あとはあれ「地獄は善意で満ちているが、天国は善行で満ちている」とかもあったかな。『SAND LAND』の対立構造ってまさにそのままで、ベルゼブブたちは自分たちの行動が「悪いことか」って考えている。それは言い換えるなら「善意を意図的に手離している」ということになる。そのことによって自問自答と反省を繰り返している。
 それと対比される国王側は「自分たちが正しいことをやっている」という考えに疑問を持たない、だから自分たちの行動を省みることができなくて、平気でひどいことをやることができる。
 
 これを「現代の縮図!」みたいに言うこともできるんだけど、さっき言ったことわざの原型は12世紀ぐらいにはもうあったわけだから、まぁ人類っていつでもおおむねそういう間違い方をするものよね。という話ではあるんですよ。
 そこに自分の中にある善性を否定したくて、行ったことが「ちゃんと”悪いこと”だったか?」という問いを繰り返すベルゼブブっていう存在が介入してくる
 
 隠されていた事実が明らかになっていく物語的な面白さとか、国王側だった人物が真実を知って「自分たちはこれでいいのか?」と疑問を持つ展開とか、あとは戦車のアクションとかもめちゃくちゃ良かったんですけど。ベルゼブブの持つ特異性というか、その「自問自答を繰り返す」という在り方が、作品の大きな芯になっていて。その部分で作中があらわしたい対立と、メッセージが明確になっているのは、本当に素晴らしかったと思います。

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 次回は『Gメン』評を予定しております。

 この話をした配信はこちらの18分ぐらいからです。


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