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一週遅れの映画評:『数分間のエールを』なんか釈然としないんスよ。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かして配信で喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『数分間のエールを』です。

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 見終わったときに「おお〜良かったぜぇ〜」って思うと同時に、なんか釈然としない気持ちがあったんですよ。自分がこれを良い作品だと思いながら、猛烈に引っかかってる。なのにその実体がうまく掴めていない。
こういうとき「一週間寝かせる」ってスタイルで良かったぁ、てマジで思いますね。

 で、改めて考えてみると、この作品
・めちゃくちゃ良いところ
・めちゃくちゃ悪いところ
・その悪いところのフォロー

が起こっているわけですよ。そりゃ「良かったけど、なんか釈然としない」って感想になるわけだ。

 主人公である高校生の男の子、彼はミュージックビデオ(MV)を作ることが趣味だし生き甲斐なのね。それである日たまたま耳にした弾き語りの楽曲に強く心を動かされ、その曲のMVを作りたいと思う。だけどそれを歌っていた女性は、弾き語りを聞いている主人公の姿を見ると、その場から一目散に走って逃げてしまう。
その翌日、主人公の学校に新任の英語教師がやってくるんだけど、それが昨日見た「弾き語りの女性」だった。

 お話はそういう感じではじまるんだけど、その女性はずっとミュージシャンとして認められたくて活動していた。だけどいつまでも夢ばっか追いかけてらんないって、100曲目に作った曲が認められなければ就職しようと考えていたわけよ。で教師として赴任したってことは、まぁそういうことよね。
そして主人公が感動したのは、その100曲目のやつで。なんとか頼み込んで、その曲のMVを作る許可を得るわけ。

 でね。こっから主人公は、まず歌詞の分析をして「この楽曲がなにを言いたいか?」を考え。それを映像の形に落とし込むのに最適な情景とキャラクターを作り、作りたい映像のために新しい知識を学習していくわけ。そうやって自分が感動したものに対して、自身の解釈でもって向き合い、別の形を与えていくわけですよ。
こんなの、私が感動しないわけないんですよね。だってこれ「批評」じゃん、どっからどう見ても。私は常々「人類全員が批評をやるべき」って思っているのは皆さんご存知だと思うんですけど、それって別にテキストでやれとは言ってないわけですよ。そいつの眼の前にある何らかの事象に対して、分析し解釈してそこに自分なりの思想を乗っけて発表する、そういったものを私は批評的アプローチだと思っている……この映画評だってそういうものだし、主人公のMV作成だってそうだし、料理とか掃除とか、作曲とかプログラミングだって私に言わせりゃ「批評」の範疇に入ってるんですよ。
 だから本人がそうと意識していなくても、ここでは批評的アプローチの具体性ある過程が描かれているし、それでひとつの作品を完成させているのってめちゃくちゃすごいことじゃあないですか。

 世間では「批評」って何か嫌われているらしいですけど(嬉しいことにその”嫌われている”は、ほとんど私に届いていないので実感が無いのですが)、違う違うと。この世には「批評」ってタグが付いていないだけで、実際には批評で溢れているし、それを意識せずにみんな批評をすることも読むことも楽しんでいる。そういう姿をポジティブに表しているのが、めちゃくちゃ良いんですよね。

 だけどこの女! このミュージシャン志望の女性が割と最悪で。 いやね、私はコイツの顔がかなり好みでwなんかね、ずっと目の下に濃い目の隈があるんですよ、たぶんこの評のバナー画像にしてるからそれを見て貰えば「なるほど、こういう下瞼の感じが好きなのね」ってわかってもらえると思うんですけど。
あたしゃこういう神経質さが表出しているクマの深い下瞼が超好きで、全然関係ないけど毎年出してる電子書籍の表紙でお世話になってる友人の磯貝さんが描く下瞼の感じがめちゃくちゃ好みなの! こういう感じのが。

 でぇwこの女の下瞼が好み過ぎて、コイツが最悪なことに気づくのに手間取ったことが「なんか釈然としない」を理解するのに時間がかかった主な要因なんですけど。
あのね、コイツが主人公の作ったMVを見て「なるほど……あなたらしい作品だと思います。だけど申し訳ないですが、このMVは公開しないでください」って言うの。しかもその理由を主人公が尋ねてもダンマリで。

 主人公もこの女も、作品を作る理由を「誰かの気持ちを動かしたいから」って言うんですけど。嘘じゃん!! 嘘は言い過ぎか、でも都合の悪いことを隠しているのは間違いないよね。
つまり主人公の作ったMVで表現されているメッセージと、自分がこの曲に込めたメッセージが違う。だから公開しないで欲しいって言ってんですよ、この女はァ! だとしてもですよ、主人公がこの曲で心を動かされたのは間違いない。例え自分が曲に込めた想いと違うものだったとしても、結果としてそれが「誰かの気持ちを動かした」わけじゃあないですか。それなのに「公開すんな」って言うのは、つまり「誰かの気持ちを動かした」だけじゃあ嫌だってことですよね。
 この女は「この曲を聞いて、自分が想定している通りに受け止めた上で、感動して欲しい」つってるわけですわ。この女が「音楽で成功する」を具体的にどういう状態としているかは明言されていないのですが、「就職する」が音楽活動を止めた代わりに出てくるってことは「音楽による収入だけで生活できる」が含まれていることは憶測できるわけです。それに加えて動画サイトにあげた曲の再生数が伸びてなかったり、「うpおつ」みたいなコメントが1つ2つ付くだけなことにショックを受けている。てことは「いっぱい再生されて、たくさんコメントがつく」ことを良しとしているわけでしょ?
 例えば1,000人が聞いて、1,000人がお前と同じ感想を持つか? って話ですよ。いや1,000もいらんわ、10人でいい、10人で。10人全員が完璧に同じ感想を持つわけねぇだろ現に「その曲に感動した」と言っている目の前の主人公にすら伝わっていないのに

 まぁ100歩譲って、MVというもので曲の意図と違うことをされるのは困るまでは理解しますよ。だったらちゃんと言えや!! 伝わんなかったからって拗ねてんじゃないわよ。何が問題か、どういう解釈のスレ違いがあるか、どうして欲しいのか、主人公は聞いているわけですよ「何がダメでしたか?」って。つまり彼はより良いものを、曲の制作者が納得できるものに修正して作り直そうする意志を見せているわけ。そこをダンマリで終わらすってどういう了見だオイッ!
 この女、なんか「必死で曲を作ってきた、でも認められなかった」とか言ってますけど、自分に対してめちゃくちゃ好意的な相手にすらこの態度ですからね。聞いてもらおうとか、わかるように伝えようってことを今までまったくしてこなかったのが見え見えなわけですよ。「わかってくれる人にだけ聞いてもらえればいい」って考えがあってそう活動してる人もいていいとは思うんです、でもそれって例えば再生数を稼ぐとかと両立させるのはバチクソに難しいわけです。一部の超天才が驚くような幸運によって初めて可能となることで、普通は無理なの。

 そういう奇跡を期待するのも良いとは思うのよ。だけど奇跡を呼び込むのは試行回数だけなんです、奇跡が起きるまで繰り返したから「奇跡」は起こるんですよ。それを100曲? ハッ、100回程度で諦めるんだ。ソシャゲのガチャでも100連でSSR出ないことあんだぞ! お前のそれはガチャより確率が高いのか? おぉん!?
 アホかクソボケカスぅ。こっちは映画評あげるたびに「これが鬼バズして人生一発逆転じゃい!」と毎回思って231回だぞ! お前の倍以上食らっとるわ、たぶん年齢も倍ぐらい違うわ、年は関係あるか? いや、ある、あるわ。人生の残り時間が全然違うだろうが。働きながらでも出来ることあんだろ、諦めるのはお前の勝手だが、それで悲劇のヒロインぶってんじゃねぇ! ぶん殴るぞ、歯ぁ食いしばれ!!

 ……すいません、興奮しすぎました。いやもうね、この女が良くないんですよ本当に。最後、主人公がもっかい自力で曲を再解釈して、それに納得した女は(いま思ったけど「女」呼びはだいぶひどいな、私w)教職を辞め、音楽活動を再開するのでした……いや数ヶ月で退職とか、仕事舐めとんのかいっ。一定の任期はこなしてから辞めろよ。職員室は大混乱だよ、たぶん。

 ただこの女とは別に、主人公の同級生で軽音やってる子のMVも作ってるの。それでね、その完成したMVを見た同級生とバンドメンバーはめちゃくちゃ喜ぶんですよ。だけど主人公はそこで同級生に「完成前、出来上がってる冒頭部分を見せられたときに、何か違うな―と思ったの」みたいなことを言われるわけですよ。
それに続けて「でもそれもありかなって。自分たちでは気付かない魅力を見つけてくれたんだなって思った」って言うわけ。こっち!! こっちが断然正しい!! 神経質そうで天才肌っぽい雰囲気を出している女と、かなりポップで元気な同級生っていう見た目の違いで「前者は本格派、後者は遊び」みたいな印象を持ってしまいそうになるけど、作中ではそんな差どこにも描かれてないんですよね。この同級生だって、いやこの同級生の方がたぶん本気なんですよ
 まぁ「本気度」なんて曖昧なものは測れないから、それはいいわ。だけど「ミュージシャンとして成功してぇ」ってなったとき、間違いなく可能性が高いのはこの同級生の方だと思うんですよ。
 そういうキャラクターを描くことで「いやまぁ、この女はだいぶダメですけどね」っていうのを、作ってる側は絶対わかってやってるんじゃないかな。この(作品全体として見たときの)フォローがあるから、私はこの作品をちゃんと「良かった」と改めて言うことができます
 うん、良かった。良かったです。いまは釈然としている。釈然としている? そんな言い回しは普通しない!

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 次回は『ザ・ウォッチャーズ』評を予定しております。

 この話をした配信はこちらの13分ぐらいからです。


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