見出し画像

一週遅れの映画評:『ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ』きのう脳食べた?

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ』です。

画像1

※※※※※※※※※※※※※

 この映画には3組のカップルが登場するんですよ。
前作のヒロインで主人公エディの元恋人アンとその婚約者である医者のダン。そして今回のヴィランであるシリアルキラーのクレスタ、そのクレタスと幼い頃に隔離施設で出会いお互いに愛し合うようになったフランシス。で、主人公エディとヴェノムっていう……

 いやもうね!この作品、エディとヴェノムがずっとイチャイチャしてんですよ!エディが一流のジャーナリストとして復帰できたのは「俺のおかげだ、俺がお前を特別にしてやったんだ」ってヴェノムがすげぇ「お前は俺がいなきゃダメだ」って言いながら、実際は寄生の適合問題で「エディの体じゃないとダメ」なのはヴェノムの方で、なんじゃこれ?スケベか?スケベな話か?
 同棲生活しててケンカになり大暴れしたあと「もういいっ私、出て行くっ!」みたいな感じでヴェノムが家出したりとかさぁ……こんなんただの痴話喧嘩じゃん。しかもその仲裁を元恋人のアンがするっていうね、だからエディとヴェノムのラブラブパワーは完全に元恋人を「かませ」にしちゃうぐらい強いわけですよ。
 
 でもこの3カップルの様態がいい対比になっていて、アンはダンに対して激しい恋心を持ってるわけではないけど「一緒にいて問題ない」ぐらいの温度で、しかも医者だから生活も安定している。だからここにあるのはすごい現実的な着地って言うか、まさに「地に足がついた」ある種の幸せな姿ではあるのね。
 それに対してクレタスとフランシス。これなんか理由はよくわからないけどフランシスは音波で攻撃する特殊能力を持ってる、まぁマーブル世界だし弱めのミュータントみたいなもんかな。一方でクレタスはエディと同じくシンビオートに寄生され「カーネイジ」って姿になるわけだけど。まぁみなさんご存じの通りシンビオートの弱点は音なわけで、このフランシスの能力とクレタス/カーネイジの相性がめちゃくちゃ悪いのw
 シリアルキラーのクレタスとフランシスはお互いに深く愛し合っていて、普段はイカれた殺人鬼のクレタスだけどそこだけはすっごい純粋な感情があるわけですよ。なのに手に入れたカーネイジという力、これがあるからフランシスと再会できたっていうのにとても相性が悪い。まだ完全に融合しきってないからクレタスとカーネイジにはそれぞれに人格があるわけで、カーネイジは「この女の喉を潰す」とか言い出す。
 激しい愛情があってお互いに運命の相手だと思っている、それなのに上手くいかないどころかお互いに傷つけることしかできない。二人の関係性に「だけ」注目するなら、カーネイジは良くも悪くも「人生における理不尽」を意味するキャラクターであるわけよ。二人は再会しなければ良かったのか?傷つけ合うことになってもほんの一時を過ごせた幸せを求めるべきか?そういった答えの無い問いを突き付けてくるわけですよ、クレタス、フランシス、そしてカーネイジっていうカップルは
 そしてそれはアンとダンに対するカウンターでもあるわけ、穏やかなだけの関係なんて本当に幸せなのか?って。でも作中では当然ヴィランであるクレタスたちには不幸な結末しか待っていなくて、一方でアンとダンは(ダンがちょっぴり活躍したこともあって)「これでいい」と描かれているわけなんですよ。だからこの作品の回答としては「穏やかなその関係は、幸福である」としているわけ。
 
 で、その2組に対するエディとヴェノムのイチャイチャなんですけどwこの二人には穏やかさってやっぱ無いんですよね、一時的な凪のタイミングはあってもやっぱりシンビオートであるヴェノムと人間であるエディの間には完全な相互理解は無い。それでもお互いに「アイツがいないとダメ」とは思っていて。これってアンとダンの関係が「穏やかだけどつまらない」だと批判しつつ、でもクレタスたちよりは「理不尽をやり過ごす」ことができている、そういう間柄として存在していて。
 それって互いの特権性というか「お互いに替えが効かない/ぴったりと寄り添える相手」の重要さを説いてるわけですよね。アンたちは代わりがいくらでもいるだろうし、クレタスたちは相性が悪すぎる。
 
 それでねその特権性はヴェノム最大の仇敵であるスパイダーマンへの対抗でもあるんです。本作でヴェノムは自分たちを”残虐な守護者”と名付けるんですよね、悪人を退治するけどヴェノムはその悪人の「脳」を喰らうことが目的で。だから人間側の視線だとめちゃくちゃ残忍なんだけど悪人を殺してくれる存在、だから”残虐な守護者”。
 対してスパイディの愛称といえば”あなたの親愛なる隣人”じゃないですか。つまり誰もが等しく”親愛なる隣人”で、たまたまスパイディは誰かを救える力を持ってるだけの、あなたと同じ”隣人”ですよ、と。そういうフラットな立場を(ポーズとはいえ)取っている。けれどヴェノムは”守護者”なわけです、決して守るものと守られるものは対等ではない。だから俺の”残虐な”部分をお前らは受け入れるしかないのだ、って部分も含めて。その上で過去のスパイダーマン作品ではピーター・パーカーの孤独、ヒーローであることを隠していかないといけない苦しみって散々描かれて(特に次のスパイディ映画は「正体がバレてしまった事実を消そうとしたら」が導入になるくらいに)、結局どこにも”隣人”なんていないじゃないか?という皮肉を込めて「俺にはエディがいる」とヴェノムはいうわけですよ。
 そしてそのヴェノムと共に立つエディがどれだけ特別な存在なのか、ということにもなっているんですね。
 
 なんかもう特濃BL映画見た感じでしたね。『きのう脳食べた?』ってタイトルでも違和感ないわ、マジで。

※※※※※※※※※※※※※

 次回は『ラストナイト・イン・ソーホー』評を予定しております。

 この話をしたツイキャスはこちらの16分ぐらいからです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?