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一週遅れの映画評:『Winny』せかいの はんぶんを おまえに やろう。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『Winny』です。

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 やっぱり私は「脛に傷のある」方の人間なんですよ。
 とは言っても自分が色々なんだかんだしていたのはWinnyよりちょっと前、あれが確か2002年開発だったよね? それ以前からWinMXとかNapsterとか使ってたし、もっと言うならP2PじゃなくてFTPでやり取りするWarezって呼ばれてた時代だって記憶にあるわけですよ。
 それでまぁ当時の割れといえばまず最初に「写真屋」ことPhotoshopとかShadeとかを入手してですよ、それで数回起動して「意味わかんねー」とか言ってCD-Rに焼くだけ焼いて放置! みたいなことをやったりとか、一見画像ファイルなんだけど実は偽装された音楽データで。それをDLして取り出すためのソフトに通すと、別に大して好きでもないアーティストのmp3が、や当時みたいに言うなら「もせ3」が出てきてですね。それを「うひょー!」とか言って1、2回聴いて、でも興味ない曲だからすぐ消したりするw
 そういうことをしていた過去があるわけですよ。
 
 そもそもね、私がサブカルチャーに耽溺するようになったのは1995年前後の悪趣味スカム鬼畜文化の頃で。そのとき『危ない1号』っていうムックがあったんですよ、今では亡くなってしまった青山正明って人が編集をやってた私にとってはその頃一番凄かった本で。でね、そっから村崎百郎ルートっていう文系カルチャーの話とは別に、同じデータハウスから1998年に『コンピューター悪のマニュアル』って本が出てたんです。
 これが98年の、ほんとインターネットが黎明期としか言えないときにハッキング/クラッキングの手法とか、アンダーグラウンドな技術の解説をしていた本なんですけど。それと鬼畜サブカルチャーがどうやって出会うかって言うと、さっき言った『危ない1号』の後継に『危ない28号』というのがあり、その編集が『コンピューター悪のマニュアル』と同じ人で、さらに第1号の特集が「ハッキング」だったわけです。
 
 いまの感覚で言ったら「パソコンのハッキング手法が紙ベース」って、そんな遅いメディアで大丈夫? って感じがあるだろうけど、そのころはマジで過渡期で。インターネットで技術的に話題になったものを書籍化してもまだ間に合う、っていうギリギリの時代だったんですよ。
 それでね『危ない28号』には爆発物の製造方法とかも載っていて(まぁそれは「これを読んだだけでは実行不可能。その補完ができる科学知識があればこんなテキストは不要」っていうコントロールがちゃんとされていたんだけど)、その頃の私はめっちゃ勉強して爆薬作って、安全な場所で「ぼんっ」ぐらいのちっちゃい実験して「うひょひょひょー!」とかやってたわけですよ
 
 何が言いたいかっていうと、私にとってWinnyで違法にファイルをやり取りすることの根底にあるのは、そういった後ろめたい好奇心なんですよね。別に使いもしないソフトとか、聞きもしない音楽とか、目的のない爆弾とか、なんでわざわざそんなものを手に入れようとするのかって、その「手に入れる過程」が面白くて仕方ないからなんですよ。
 自分の手に入れた知識で、普通ならできないようなことを法を破ってする全能感みたいなものの気持ち良さってやっぱたまらんものがあるわけさ。
 
 でね、映画『Winny』にはその快感と、功罪の「罪」部分が隠されているって思うんです。そりゃそうでしょうよ! って自分でも思うんです、そこは映像作品として作る上で隠しておくしかないことぐらいわかってる
 それに物語の中心にあるのはWinny開発者47氏の裁判なわけで、その裁判でされた証言とかをストーリーとして組み上げていく。だから、金子勇さんがする「著作権違反を推奨はしていなかった」とか「この裁判の結果によっては、技術者の自由が奪われてしまう」といった主張って、嘘ではないと思うんです。それは絶対に嘘ではない、ないんだけど100%でもないって言うか。たぶんプログラム打ってて公開したときには5%くらいだと思うんですよw。
 ただ「じゃあこれで社会をめちゃくちゃにしてやろう」って思っていたわけもなくて、もうかなりの部分は「なんか作れるから作った」「できたから上げた」ってだけのことで……作中でもそういう風にも最初は描かれている
 
 だけど警察に取り調べを受け、弁護士と話してる間にどんどんそういった善性が表に出てくる。さっきも言ったけどそれは0じゃない。0じゃないけどいつの間にかそれが80とか90とかの出力になっている。まぁ裁判だからそう言うしかないよね、っていうのを差っ引いても。
 これって47氏が流されて変化していってることをあらわしていて。容疑者っていう特殊な状況、裁判という異常事態、コミュニケーションを取る相手が弁護士だけという環境。その中で彼の心情がどんどん変化していく
 それと世論が並列で描かれているのが良くって。メディアはWinnyによって起こったことを、まるでそのプログラムと開発者が悪意を持っているかのように書き立てる。それで風評というか社会の”空気”が、金子さんが有罪であるかのような空気に染まっていく。
 これってスケールの差はあれどやってることは同じなんですよね。そこにある「0ではないもの」にクローズアップして、強化することによって「まるでそれが主流だった」ように入れ替わっていく姿が。
 
 そして作中では、愛媛県警の裏金問題が同時に取り扱われて。それに対する最後の決め手がWinnyで流出した裏金工作の証拠資料だという方に描かれている。
 ここでお話が一つのアングルに定まってしまうわけですよ。「それそのものには悪意のない47氏とWinny」対「悪意と謀略にまみれた警察側」という風に。それがね私には、自分の経験とか見てきたものからしたら大変に胡散臭い……というか「それって功罪の片面ですよね???」って感じがすごくする。Winnyは素晴らしアイデアを持つプログラムだったけど、同時に大きな問題もあった(そして大半の人はそれを楽しんで使っていた)。警察は汚いことをやっているけど、大多数は職務に忠実な公務員ではる。
 それをちゃんと描きかけながらも、中盤ぐらいからその複雑さを手放して。代わりに「金子勇という人間の醸し出す”エモ”さ」で突破しようとしていた。いや、実際にそれは作品として面白かったし、感動的ではあったのだけど、でもやっぱり私には「手放してしまったもの」こそが、この出来事に一番大切なものだった(そしてそれは「炎上の功罪」という形で、いまの社会にも繋がっているわけで)のではないか? と思うわけです。
 だからなんというかな、「世界の半分だけを見せられても困る」って私は言わざるえないんですよ。
 
 47氏が留置場で、職員から「でもね私もお世話になってるんですよ。だってほら見れるでしょ、無修正のが」ってコッソリ言われるシーンがあって。私はこのシーンがめちゃくちゃ好きなんですよね、それは確かに悪いことだけど、でも誰かの楽しみにはなっている。それを聞いた47氏が何も答えず「そうやって楽しんでる人がいるプログラマとしての喜びと、でもそういう人たちのためにこうやって逮捕されている辛さ」が混じった顔をして。
 このシーンがあるからこそ、もっとその方向で見たかった……! という気持ちになる作品でした。

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 次回は、ええもうこれしかないでしょうよ! 『シン・仮面ライダー』評を予定しております。

 この話をしたツイキャスはこちらの16分ぐらいからです。


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