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一週遅れの映画評:『EO』頑固で愚かな「アウトサイダー」へ、花束を。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かして配信で喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『EO』です。

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 なんかすっげぇ不思議な映画でしたね、これ。
 主人公が一匹のロバなんスよ、ロバ。それもガチのロバ……ガチのロバ? 人生で初めて使ったな「ガチのロバ」なんて言葉。つまりね、フィクションとして人間の言葉を喋ったり何らかの内心をわかりやすく表現したりするタイプの動物描写じゃなくて、ホントにただただ私たちがリアルで向き合うタイプのロバが描かれているのよ。
 
 んで、このロバ。最初はサーカスで働いてんだけど、そこに動物愛護団体が抗議に来て「サーカスは動物を無理やり調教している! 虐待だ!」つって。そのタイミングでサーカスは経営苦しくて破産宣告とかする必要が出てきて、ロバは売りに出されてしまう。
 それで普通の畜産家に売られたりすんだけど、そこにサーカスでめっちゃ可愛がってくれてた女の人が訪ねてきて。ロバはその人を追って、こうふらふらとその畜産家のとこから逃げしたりするわけですよ。
 でね、この映画が不思議なとこってその女性をずっと追いかけるとかまた再会するとか、全然無いんですよ。まぁガチのロバだからどこかに行ってしまった人間を追いかける手段も知識も当然持ち合わせていないから、当たり前なんだけど。
 
 そっから森の中をうろうろしたり、普通の馬がいっぱいいる場所で働かされたり、屠殺場に連れていかれてサラミにされそうになったり、母親にガチ恋してる男に着いていったり、また森の中うろうろしたり、人間にボコ殴りにされて獣医にかかったり、そこで動物の保健所というか殺処分場で働かされたり、またまた森の中うろうろするんですけどw
 何というか基本的に「流されるまま」みたいな、周囲の状況がロバの境遇を決定していくだけで彼自身の意志が働く場面てあんまり無いんですよ。
 
 こうロバって昔から頑迷な性質というか、頑固な生き物ってイメージがあるじゃない? 実際この『EO』でもロバはそういった側面を見せるのよ。殺処分場では自分をこき使う男の顔面に後ろ蹴り一発ブチ込んだりして。
 ただそれが「こうしたくない」とか「ここにはいたくない」って意思表示にはなっているけど、「あれがしたい」とか「あそこに行きたい」とかって方向で動くことってほぼ無いのね、それこそ最初の女の人を追って畜産家のとこから出ていくときぐらいで。だから結局、そうやっていまの状況に流されることから踏みとどまってみても、また別の流れに乗ることしかできない。「こうしたい」が無いまま「ここは嫌だ」で外れていくから、やっぱり「流されるまま」なのは変わらないのね。
 しかもそうやって頑迷さを発揮して別の場所に流されていくたびに、より悪い状況へと陥ってしまう
 
 それでね、ラストが森の中をうろうろした結果。仔牛の群れに紛れて、それでそいつらが飼われてる施設に入っていく場面で終わるんだけど……ごめん、ここたぶん私が読み取りきれてない可能性があるんだけど、たぶんその場所って屠殺場なのね。つまり彼が殺されてしまう結果に流されていくであろうことを示唆していて(これ『EO』のインスパイア元である『バルタザールどこへ行く』で最後に主人公であるロバが殺されるから、たぶん間違いないんじゃないかな?)、流れ流された果てにたどり着くのが「殺される」という結果なのね。
 
 で、ここまでザッと説明しててわかるけど、この作品には「他のロバ」が一切登場しないのよ。馬、犬、猫、仔牛、あと人間ね。そういった動物たちは複数匹あらわれるんだけど、ロバは主人公である一匹だけなのね。
 それで思い出したのがコリン・ウィルソンの『アウトサイダー』って本で。この中では社会生活を普通に送れる人たち「インサイダー」の対立概念として「アウトサイダー」っていう人々がいて、そういう属性の人たちの葛藤と私的な闘争を書いてるものなんだけど、これがえっとね1950年代の作品なのね。で、このなかでアウトサイダーって生き方は苦しいけど、そういう人たちが社会を目覚めさせていこうぜ! みたいな話になってるの。おい大丈夫か? この『アウトサイダー』要約。大事なもんだいぶ抜けてるだろw
 まぁいいや、それで「ここにはいたくない」って頑迷さを発揮して、より苦境へと立たされていくたった一匹のロバに私はこの「アウトサイダー」を見る、見るんだけどいまは2023年なんですよね。
 つまり1950年代には「社会に馴染めない俺たちは賢くてすごいぜ!」みたいな感じはあって、それは一面として正しくはあるんだけど一方でこうやってネットを介してとかで小さなコミュニティが乱立している現代で、そこまで孤立することはないし、ちっちゃな賞賛かもしれないけど賢くてすごい人が発見されやすい状況でもあるわけじゃない?
 もちろんそこに「埋もれた未発見の才能」っては確かにある。あるんだけど、実際のところとして社会に馴染めないアウトサイダーはそんな立派なもんじゃあなくて、ただの「頑固で愚かな一匹のロバ」なのではないか? という視点が入り込んでくる。
 
 ただすっげぇ大事なのは、その「頑固で愚かである」ことを否定していなってことなんですよ。流れに棹をさして踏みとどまる、とどまってしまうこと。その傍から見たら無意味どころかマイナスでしかない愚かさ、それこそが一匹のロバを「一匹のロバ」にさせている。つまり「頑固で愚か」なことを発揮するその瞬間にだけ、そこには「個人」が存在しえる。ということなんですよね。
 そういう観点から『EO』に出てくる人間を見てみると、そこには割り切れない愚かさがあって、それが「個人」を形作っていることが見えてくる。
 GoogleとAIに尋ねれば最適解、つまり社会に馴染んで上手く生きていく回答が得られる中で、それでもなお「頑固で愚か」なままで居続けること、「一匹のロバ」として一瞬だけ流れに逆らって踏みとどまり結果としてより悪い方へ行くとしても、その結果として殺されることになっても、それはそうとしか生きられなかった「個人」として間違ってはいないのではないか? という話だと思うんですよね。
 
 だから私、この『EO』でめっちゃ泣いちゃって。その「現代の頑固で愚かなアウトサイダー」像のそうとしか生きられない悲しさと崇高さがね、大好きなんですよ。そういう人たちに対する諦めと優しさがこの映画にはあるように感じて。
 
 えっとね、この作品を私は2人の友人に直接勧めたんですけど。その二人ともめちゃくちゃ頭は良いの。すっげぇ賢いんだけど、たびたび強烈な頑固さを発揮する場面があって、それによって社会からわりと弾かれがちというかw あ、これアカンな、たぶんこの映画評を読んでるのは間違いないないから、ちがうんだってdisじゃないからね? めちゃくちゃピンポイントに思い当たる人物がいて、私はその人たちのそういった性質をものすごく好ましいと思っているんです
 なんかそういう超個人的な友人を思わせる作品で、たぶん誰にでもそういった人を一人か二人は思い起こさせるんじゃないかな? と思います。ネタバレがまったく致命的ではない映画なので、ぜひ見に行って欲しいと思いました。いまのところこの『EO』、今年ナンバー1かもしれない。

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 次回は『おとななじみ』評を予定しております。

 この話をした配信はこちらの16分ぐらいからです。


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