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一週遅れの映画評:『貞子DX』「ハレ」の恐怖、「ケ」の恐怖。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『貞子DX』です。

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 デジタル、トランスフォーメーションッ! 貞子!Dッ!エェェエックスッッ!
 
 ……つってね。ごめん、なんかやってみたかっただけ。いやでもね、『貞子DX』はそのぐらいテンションブチ上がりしちゃう傑作だったと言っていいと思う。正直、見てる最中の怖さというかホラー映画としては0点に近いんですよ。
だ・け・ど、だけどね。それはたぶん意図して作られていて、そうやってホラーから一歩引いた場所から作られているから、なんというか「ホラー作品批評映画」みたいになっている。それがまず良くて……だって『リング』シリーズというか「貞子」を取り扱う作品なんてもう何作目か数える気もおきないぐらい大量にあるわけですよ。だから単純な恐怖をそこで描くことは、ほぼ不可能になっている。それを前提とした中で「じゃあそこで「貞子」を使って恐怖を描く/撮るとはどういうことなの?」って部分に踏み込んでいる。

 その上で、最後の部分ですっごくイヤ~なものをこっちに投げかけてくるんですよ。怖いとか不気味とかじゃなくて、「うっわぁ~ダリぃ~」って感じのイヤさを
ホラーって現在を戯曲化して写し出す鏡みたいな部分があって、その「イヤさ」は完全にいまの社会を捉えている。だからホラー映画として見てる最中は0点であっても、この終わりで私の中では特別加点を稼ぎまくってます。

 で、ここからネタバレしていくんですが。
 この『貞子DX』、世界観としては最初の『リング』『らせん』から直系だと考えて良いです……つまり私が大好きな『貞子vs伽椰子』は別バースのお話になってる点はやや悔しいですがw
 それでいわゆるあの「呪いのビデオ」が出回っている。ただ違うのはビデオを見てから貞子に殺されるまでの期間が7日から「24時間」に短縮されてるのと、「他の人に見せれば呪いは解除される」が通用しなくっている。
これは『リング』シリーズの基礎知識なんですが、貞子の呪いは天然痘ウイルスに山村貞子の遺伝情報が混じったものが原因なんです。ビデオを見てから7日後に死ぬ、というのは天然痘の潜伏期間に由来した性質で。

 ウイルスが「拡散し増殖する」ことを目的としている以上、元の呪いはそれ従っている(7日という猶予/他人に見せる)。そう考えたとき「24時間」というタイムリミットは短すぎて、ウイルスの目的に合って無いのではないか? という疑問を、ビデオを見てしまった妹を救うためIQ200の主人公が解き明かそうとする……というストーリーなんですが。
 まぁササッとオチを話すと、貞子の呪いは変化し「24時間以内にもう一度呪いのビデオを見なければ死ぬ」というものになっていた。主人公はその法則を発見し、自分を含めた妹たちの命を救うことができた。って感じで映画は終わるんですけど。
 
 えっとね、この作品は結構食事シーンが出てくるんですけど、そこで主人公は「規則正しい生活を送るのが大事」って言うんです、つまり3食きちんと食べて、同じような時間に寝て、朝も決めた時間に起きる。そうやって健康が維持できると。
 それとは別に主人公は考え事をするときに、こう耳の後ろのリンパ腺辺りを親指で軽く押しながら、耳の横で手をひらひらさせてその音を聞くって癖があったり。主人公と一緒に行動することになるキャラクターも、何かキメ台詞っぽいことを言うとき、鼻の下に指を当てて「すぅー」って息を吸う癖がある。
 これって順番に味覚/触覚/聴覚/嗅覚の話なんですよね、食べる/押す/聞く/嗅ぐっていう。それらが「規則正しくやる」ことであったり、癖としてあらわれている。五感に対応した行為が習慣化し、維持すべきものだったりやめられないものになっている。
 
 いま五感、って言いましたけど一つ足りないじゃあないですか。そしてこう言及したらもう気づくと思うのですが、そうここで「視覚」に相当するものが「呪いのビデオ」になるわけです。
「24時間以内にもう一度呪いのビデオを見なければ死ぬ」、それは毎日毎日その「呪いのビデオ」を見なくてはいけないってことを意味している。それを規則正しくやらなければいけないし、続けていくうちに癖のようになっていく……まぁ私もこのツイキャスが完全に習慣化してるっていうか、入院してて配信できないときに「ハッ!配信の時間だ!」って病院のベッドから飛び起きるという感じだったりしたんですがw。
 ここでウイルスは生き延びる戦略として、人の生活の一部になることを選択したって解釈できる。毎日見られることでその存在を確かなものにしようとしている。
 
 つまり、これによって貞子は「ハレの恐怖」から「ケの恐怖」へと移行しているわけなんですよ。特定の状況で襲い掛かってくる、避けようのない恐怖であった貞子は、その特別な条件があることで「怖いもの」として存在感を発揮している。だけどその演出で「貞子」ってキャラクターを使うのはもう何度も行われてきた。
 だから今作では当たり前の日常化する貞子、毎日のなかにうっすらと影響を与えて、死の可能性としていつもそこにあるものへと変わってしまった。
 
 これが作中で習慣とか癖として描かれているものと、これまで沢山の(それこそ習慣になりそうなぐらいに何度も)作品が作られてきた「貞子」が重なってくる。何度も見なければいけない「呪いのビデオ」と、何度も作られて上映される「貞子」は同じ意味を持っているんですよ。
これが『貞子DX』が出した「いま「貞子」を使って恐怖を描く/撮るとはどういうことなのか?」というのの答えだと思うの。
 
 で、ここで改めて考えるとすっごいイヤな気分になる、だって想像して? 毎日これといって面白くない動画を見続けなくてはいけないって……うわ、ダッルぅ~って感じじゃん。しかも見忘れたり途中で寝たらアウトで、貞子に殺されてしまう。酔いつぶれたりしてもダメだから、それこそ主人公の言う「規則正しい生活を送る」ことを強要されてしまうわけですよ。
 まぁ「規則正しい生活」って理想ではあるけどさ、それを崩したら一発で死んじゃうとことか、そういう恐怖で強制されることに対する「め、面倒くせぇ~~~~」っていうイヤな感じが最後に出てきて……なんか映画見てちょっと考えたところで「勘弁してクレメンス」って怖くなる感じでしたね。
 
 で、この24時間ごとに呪いのビデオを見るのを、ウイルスでもあるから主人公たちは「抗体を24時間ごとに作る」って表現するのね。
 ……当たり前に日常化してしまったことで、定期的に抗体を作らなくてはいけない、つまりワクチン摂取をするって。もう完全に身近なものになったヤツがあるじゃん? そして『貞子DX』でも最後に「貞子がいること」が日常になってる姿を描いている
 こうやって現実の社会を捉えていくところは、この作品が間違いなく「ホラー」として成立しているし、傑作と呼んで問題ないところだと思ってます。

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 次回は『チケット・トゥ・パラダイス』評を予定しております。

 この話をしたツイキャスはこちらの16分ぐらいからです。


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