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一週遅れの映画評:『劇場版 ひみつ×戦士 ファントミラージュ!~映画になってちょーだいします~』それでも奇跡を信じるなら。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『劇場版 ひみつ×戦士 ファントミラージュ!~映画になってちょーだいします~』です。

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 同じフィクションでもアニメと特撮には「現実の身体が演じている」っていう大きな差があって、それがフトした拍子に第四の壁をひょいっと越えてくる、現実と虚構がごっちゃになる奇妙な「魔法」がかかるときがあって、私は特撮のそういった瞬間を感じるのがかなり好きなんです。
 
 で、今回の『劇場版ファントミラージュ』は、「ファントミラージュを主役に映画を撮る!」ってシナリオで、まぁこの時点で二重の虚構性が駆動しているわけですよ。
 とはいえ特撮ものでスペシャルな回だったりは、そういった「作品内で作品を作る」って話は結構多い。ぱっと出てくる例えだと『仮面ライダーオーズ』の「仮面ライダー作品累計1000話SP」とかがそんな回じゃなかったけな、確か。
 それって「虚構を作る」っていう、現実にいまこの作品を作っている行為のミニチュアが画面の中で行われているわけだから、最初に言った「第四の壁をひょいっと越えてくる」が起きやすい、というかそれを起こすために取られる方法なわけです。
 
 これはホラーものの主人公に、作家や映像監督、あとはルポライターとかが選ばれやすいこととも関係していて、そうやってメタ作品を描くことで現実と虚構の境目を曖昧にする。そうすることでありえないはずの怪異が「まるで本当のことのように」響いてくる。っていう効果があるからなんでしょうね。
 私の大好きな白石監督の『コワすぎ!』シリーズなんか、まさにそういった感じ。
 
 話をファントミに戻すと、まぁ敵役の策略によって撮影がめちゃくちゃになってしまう。で、そのトラブルに右往左往しながら問題を発見し、元凶を退治する……言ってしまえば「いつもの」を劇場版の予算と尺を使って豪華にやってます!っていうのなんだけど。
 これはもう多少でもそういった作品に触れていれば予想がつく通り、撮影がめちゃくちゃになっちゃった!→君たちが戦ってる姿をこっそり撮影していた、これをそのまま映画にするんだ!→あなた(視聴者)が見ているのがまさにその映画なんです!っていう、「この映画はドキュメンタリーだったんだ!」「な、なにー!?」の、まぁ何回かは見たことあるヤツではあるんだけど、この現実と虚構を曖昧にしていく感じは大好きなので、私としては満足できた。
 
 ここからがこの『劇場版ファントミ』の特異性なんだけど、作中で起きる「撮影がめちゃくちゃになってしまうトラブル」っていうのが、「監督が敵に洗脳されて(ここらへん作品の設定で色々あるけど割愛)めちゃくちゃな映画を撮りだしてしまう!」っていうのなのね。
 いやまぁ洗脳前から「ファントミラージュvs忍者!これでいこう!」っていう、中々のクソ映画感がすごいんですけど、それは置いといて、要は監督自らが狙ってクソ映画を撮ろうとしているわけです。
 
 さっきも言ったようにこれは最終的に、そのクソ映画を撮影していたドタバタも作品として使っていくわけで、それが意味するのは「クソ映画を撮ろうとしたって、狙ってできるもんじゃあない」っていう事なんじゃないかなと思うんです。
 それは翻って「どんな名作も、どんな駄作も、最初っからつまらない作品を作ろうとしている奴はいない。でもなぜか名作と駄作に分かれてしまう。それは狙ってできるものじゃあない、何かそういった”賭け”みたいなものが創作には付きまとう」ということで……。
 
 それをね、三池崇史が言ってるというのが重要なんですよ。
 そう!この『劇場版ファントミラージュ』は「監督:三池崇史」作品なんです!
 
 今年の3月に三池の『初恋』について喋ったときも(一週遅れの映画評:『初恋』あなたの心、頂戴します!)言ったけど、三池監督っていまの邦画界でコンスタントに作品を作り続けている、そもそも数の多い監督の一人で、その上で当たり外れの差がかなり大きい監督だと思うんです。Wikpediaで監督作品の一覧を見てるだけで「あー!」って歓声と「あぁー……」ってため息が漏れてくるという感じの。
 でも、というかだからこそ、私にとっては三池監督作品って「自分で見ないとわからない」度がすごく高いもので、こうやって公開されれば見に行くわけです(そもそも監督作品がほぼ比較的大きな映画館で上映される、っていうのが凄いことなんですけどね)。
 
 その三池崇史に「作品の良し悪しはコントロール不能!」って言われたら「そうッスよね!!」って強く同意してしまう……私、これもう三池のファンだって言うべきだな。
 
 一番重要なのは、そういった言葉を女児向けの劇場版で放ったことなんですよ。
「きっと君たちはこれから色んな映画を見るでしょう。その中には面白い作品も、正直いまいちな作品もあります。でもそれはたまたまそうだっただけで、だから素晴らしいものと出会うために、映画に絶望したりなんかせず見続けてくれると嬉しいな」
 そんなメッセージだと、私は受け取りました。
 
 それって映画を作る人間として”映画”というものの「奇跡を信じるか?愛を信じるか?」ってことで、それはもうそのまま女児向け作品の「奇跡は起こるし、愛はある」っていう答えと、びっくりするぐらい直結しているわけなんです。
 
 前回の『初恋』評でも、三池と女児向け作品の意外な親和性について語ったけど、今作でそれは確信に変わりました。

 これは三池崇史作品を追ってる人や、三池崇史作品に対して何か言わずにはいられない人にとって、必見の作品である!と私は思います。

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 この話をしたツイキャスはこちらの13分ぐらいからです。


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